玄夢集

路上で目覚めた少年の話(その5)

「ほう?」
「この御方おかたに、ずっと私を守って頂きたく思います」
 それを聞いて、父親がクックッと含み笑いを始めた。
「そうか『守ってほしい』か……なるほど、これは良いな……少年、どうだ?」
「どう……と言われましても」
「我が娘……我が科学力の結晶、人工人間第二号……ミヨ子の望みをかなえてやってくれるか?」
「は、はあ……」
「私は、このミヨ子を、自分の全知性・全科学力を動員してわずかの欠陥も無く『造り上げた』つもりだったのだが……正直に言うと、まだまだ未完成の所もあってな……人工人間は、その生命力において、どうしてもに劣る……ひとことで言えば『ひ弱』なのだ。だから、過酷な世界で生きて行くためには守護者が必要だ……どうだね? 我が娘の守護者になってはもらえないか?」
「守護者、ですか?」
「そうだ」
 少年は、テーブルの向かい側に座る和服姿の少女を見た。少女は思い詰めた表情で少年を見返していた。
「わ、わかりました」
 思わず、少年は答えていた。
「そうか……なら……」屋敷の主人が少年に言った。「たった今から、君のことを守男モリオと呼ばせてもらうよ」
「えっ?」
「勝手なようだが、我々としても……私も娘も、君をいつまで『名無しの権兵衛』にしておく訳にはいかない。何であれ、何らかの呼び名をもって、君を呼ばなくちゃいけない。他に良い名前を思いついたら、その時は言ってくれ。それまでは取りあえず『モリオ』と呼ばせてもらう」
「そんな……」

 * * *

 それから三人は、黙って食事を続けた。
 食事が終わるまで、話をしようという者は誰も居なかった。
 やがて三人の皿が空になり、三人ともナイフとフォークを皿の上に置くと、ミヨ子がスッと立ち上がって、順番にテーブルの上の食器類を厨房に下げた。
 すべての食器が厨房に下げられたのち、代わりに熱いコーヒーの入ったカップが三人の前に置かれた。
「いろいろと、不思議に思っているのではないかね? モリオくん」
 コーヒーをすすりながら、佐多博士が言った。
 少年は、モリオという名前で呼ばれることに違和感を感じた。しかし、どのみち名前は必要だろう。博士の言う通り、少年自身が代替の名前を思いつけないのなら、取りあえず、その名前を名乗っておくしかない。
 博士が言葉を続けた。
「なぜ、自分は森の真ん中で目覚めたのか? なぜ記憶が無いのか? ここは何処どこか?」
「ええ……まあ」
「その全てに答えられる訳では無いが……ここは……この世界は、な。モリオくん……なのだ」
「えっ……そ、それは一体いったい
「文字通り、言った通りの意味だよ。この世界は、誰かが目を閉じで寝ている間に想っている夢なのだ」
 モリオは、何を言ったら良いか分からなかった。あまりに馬鹿馬鹿しかった。

 * * *

 博士は、右手に持った自分のコーヒーカップをじろじろ見ながら言った。
「このカップも、ティースプーンも、皿も、テーブルも、壁紙も、電球も……この部屋、この屋敷、この森……この世界全体が、みーんな、誰かの見ている夢なのだ。
 いったい誰の見ている夢かって?
 さてね。
 それは私にも分からない。
 何しろ、この私自身が、その夢を見ている誰かの『夢の産物』なのだからね。
 私も、モリオくんも、人工人間第二号……ミヨ子も、この世界で息をして、食事をして、考え、誰かを好いたり嫌ったりしている人間全てが、夢の産物なのだ……人間も、動物も、植物も、鉱石も、全部、ね。
 証拠を見せろって?
 そりゃあ無理な話だ。
 良いかい、モリオくん。
 ある理論を証明するためには、その証明しようとする対象物以外の、なのだよ。
 分かるかね?
 ある定理を証明するには、既知の別の定理が必要なように……
 検事と弁護士のどちらが正しいかを判決するためには、検事でも弁護士でもない上位の第三者、つまり裁判官が必要なように……
 裁判官の正しさを証明するのに、刑法が必要なように……
 刑法の正しさを憲法が保証しているように……
 ……それが正しい事だと証明するためには、常に、別の『既に正しいと証明された何か』が必要なのだよ。
 しかし……しかし、だ。モリオくん。
 
 世界そのものが夢でないと、誰が証明できるのだ?
 世界そのものを証明するためには、『世界の外側』に行かなくちゃならん。しかし、われわれ人間が……いや、人間であろうとなかろうと、世界の内側に居る存在が、世界の外側に行くことなぞ永遠に出来んよ。
 もし出来たとしたら、そこはもはや『世界の外側』ではない。それは『てっきり世界の外側だと思っていた内側』だよ。
 え? では、なぜ、私は、この世界が夢だと思うかって?
 それは『直感的』としか言いようが無い。
 私は、この森の広い一軒家にこもって、もう何十年も研究に明け暮れている。その成果が、ここに居る『人工人間第二号』……ミヨ子なのだが……それはそれとして、私にはこの屋敷に来る以前の記憶が全く無いのだ。
 気がついたら、この屋敷の実験室に居た。
 気がついたら、人工人間の開発に没頭していた。
 自分の名前も分からなかった。
 知っていたのは、自分は日本人の男で年齢が四十五歳という事だけだ。
 不思議な事に、生活する上で最低限必要な知識や、人工人間の研究に必要な科学知識はあるのだ。
 ただ、自分に関する記憶だけがスッポリ抜け落ちているんだ。
 じゃあ、佐多三吉博士というのは何だ、と思っただろう?
 そうだ。
 私が便宜上、自分自身に付けた『仮の名』さ。
 本当は『名無しの権兵衛』でも何でも良かったんだが、それじゃあ、あまりに格好が悪いだろう?
 だから自分で適当な名前を付けた。
 それから不思議ついでに、もう一つ。
 私は、さっき『何十年もこの屋敷に住んで研究を続けている』と言ったが、あれは嘘だ。
 いやいや、嘘とは言い切れないが、本当の事ではないんだよ。
 本当は、ね、
 何しろ、私は、いつまで経っても見た目が変わらないんだからね。
 
 四十五歳で、この屋敷で一人目覚めて以降、それから何日も何百日も何千日も研究にいそしんでいたというのに、全く見た目が変わらないんだ。
 そりゃ、最初は日数を数えていたさ。
 しかし、三千数百日……およそ十年を超えたところでめてしまったよ。
 何年たっても私はとしを取らない。
 何年たっても屋敷は、古びて来ない……まあ、最初から相当古びていたんだが……それ以上、老朽化が進行しない。
 そんな不可解な現象を目の当たりにすれば、私みたいな分からず屋の偏屈博士でも『コリャ、おかしいぞ』と気づくってものさ。
 この世界は……世界そのものが、どこか変だ、ってね。
 それで仮説を立てたんだ。
『この世界は、誰かの見ている夢の中だ』という仮説を。
 もちろん、証明なんて出来やしない。
 私の直感以上の物じゃない。
 しかし人間、時として理屈より直感を信じなきゃならんこともある」
 そこまでを一気に話し、佐多三吉博士と名乗る男は、カップの中の冷えたコーヒーを一気にグビリッとあおった。