放浪剣士ゾル・ギフィウスと仮面の妖魔

9、戦斧

 「つ……つえぇ……奴は化けもんだ……」
 隊長ザンギムは恐怖し、本能的に馬首を返して鼻先をカールンの町に向けた。
 そのカールンへの道をさえぎるように、森の中から跳び出てきた灰色の影が石畳の真ん中に立つ。

「逃がさん」
 クロスボウを持った灰色の男が、ザンギムの乗る馬を射た。
 矢は馬の胸に正面から突き刺さり、驚いた馬が棹立ちになって警備兵団隊長を振り落とし、そのままカールンから遠ざかる方へ走って逃げて行った。
 それを合図に主を失った他の馬たちも街道を逃げていく。
 残されたのは石畳に振り落とされたザンギムと、大きな二頭立ての馬車と、その御者……

(……いや……もう一人、居る)
 ゾルは幌付きの荷馬車を見ながら思った。
(殺気がある……あの大きな馬車の中にひそんでいる)

 石畳の上に尻もちをついているザンギム隊長に視線を移す。
「ひっ」
 にらまれたザンギムが悲鳴を上げ、幌馬車へ向かって大声で叫んだ。

「先生! ギード先生! お願いします!」

「……やっと、俺様の出番か……」
 腹に響くような野太い声に続いて、いきなり幌を突き破って巨大な戦斧の刃が現れた。
 大きさも厚みも特大の斧の刃は、そのまま水平に走って幌を切り裂き、御者台に座った兵士の胴体さえも上下に両断して、馬車の上をぐるりと一周した。
 巻き添えを食った御者の上半身が、「何が起きたか分からない」といった表情のまま二頭の馬の足元にドサリッと落ちた。
 御者台に残った下半身から、噴水のように血があふれ出す。

 ……どんっ!
 大きな音とともに、斧によって切り離された幌の上半分が、馬車の中にいるに投げられ、石畳の上に落ちた。
 ……中から出てきたのは……伝説に出てくる巨人のような大男だ。
 身長はたっぷり二メドール半はあるだろう。
 上下だけでなく左右の幅も、前後の厚みも特大だった。
 全身、厚い皮下脂肪に覆われ、腹もデップリと突き出ているが、その脂肪の層の下で荒縄を束にしたような巨大な筋肉の塊が、関節の動きに合わせているのがはっきりと分かる。
 丸禿げの頭。刈り込んだ口髭くちひげ顎鬚あごひげ
 晩秋の薄ら寒い森の中で、なぜか上半身裸で幌を失った馬車の上に立っていた。

「ぬんっ!」

 掛け声とともに、三百キル・グレイムは下らないであろう体が宙に跳び、その反動で馬車の床板が悲鳴を上げるが、何とか壊れずに持ちこたえた。
 石畳の上に跳び降りた巨人の両手には、柄の両側に巨大なちょうのような刃を持つ異形の戦斧が握られていた。

「はっはっはあ!」
 巨人の前に立った隊長ザンギムの高笑いが、森に響いた。
「このお方こそ、我がカールン警備兵士団格闘術顧問、人呼んで四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスのギード大先生だ! 貴様が戦闘術がどれほどの物だろうと、ギード先生の前では赤子も同然!」
 そして大男のわきへ下がり「先生! お願いします!」と頭を下げる。

「んーん……なるほど……ただ何気なく立っているように見えて、どこにもすきが無い……なかなかの戦士と見たが……」
 ギードは、自分に比べれば子供のような身長のゾルを見て、感心したように戦斧を持つ手であごいた。
「この俺様の敵では、ないなぁ……まあ良い。それでも暇つぶし位にはなるだろう。さあ、かかって来い!」

 挑発する上半身裸の男に、ゾルがクロスボウの先端を向けて言う。
「悪いが、確実に矢の当たる距離を捨てて体臭のきつそうな大男に近寄る趣味は無い。ここから急所を射抜かせてもらう」

「ほおお? そのチンケなクロスボウでなぁ……この俺様を射抜くだとぉ? 面白い。!」

 次の瞬間、ゾルのクロスボウから矢が放たれ、ギードの心臓めがけて超高速で空中を走った。

 ……しかし……

 カンッ!
 金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、ゾルの放った矢は、胸をガードしたギードの巨大戦斧の刃にはじき返された。
 無言で驚くゾルに、ギードが馬鹿にしたような笑いを投げる。
「ふふ……驚いたか? 俺様を見損なうなよ。力だけではどんな巨体だろうと戦いに勝ち続けることはできん! 並外れた筋骨が生み出す力と、それを操る素早い反射神経の両立こそが我が四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスの神髄!」

「なるほど……では、これでどうだ!」
 言いながら、ゾルは右手でクロスボウを構えたまま左手で素早く弦を引き、立て続けに三本の矢をギードに向けて放った。狙いは眉間、鎖骨の間、心臓。いずれも当たれば必死の急所だ。

「ハイッ、ハイッ、ハイッ!」
 ギードの掛け声と同時に、カンッ、カンッ、カンッと三回金属音が響き、矢は全て戦斧にはじかれた。

「何っ!」
 さすがのゾルも、驚きの声を上げる。

 巨漢が半分おどけた顔で感心したげなセリフを吐いた。
「ホウッ? 左手の力だけで重いクロスボウの弓を引き、連射するとは……祭りの見世物には、ちょうど良い芸だな」
 そして、金属製の柄の両側に巨大なちょうのような刃を装着した四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスをぐるぐると回転させ始めた。
 両手に一挺ずつ持った巨大戦斧が、巨体の両側で風車かざぐるまのように高速回転する。
「どうだ! これぞ我が四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニス奥義! 戦斧旋風高速陣せんぷせんぷうこうそくじん(ビペンニス・ウェルテクス・ヴェロクス・モアーニア)! 貴様にこの鉄壁が破れるかぁ!」

 ゾルが無表情のままギードに言った。
「……なるほど……面白い芸だ。祭りの見世物には、ちょうど良い」
 そして少しだけ、灰色の剣士の口角が吊り上がる。
「ギードと言ったか……自分自身を新種の珍獣として見世物にしたらどうだ? 人気が出るかも知れんぞ」