放浪剣士ゾル・ギフィウスと仮面の妖魔

10、石畳の上の決闘

「ほざけ! 俺様にクロスボウの矢は効かん! 俺を倒したくば剣の間合いに近づいて来い! そして、この四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスの餌食となれ!」
 巨体の前で二つの大きな戦斧の風車を回転させながら、ギードが叫んだ。

「よかろう」
 灰色の剣士ゾルは、手にしていたクロスボウを足元の石畳に置き、ゆっくりとギードに近づいて行った。

 左右どちらの手にも武器は持っていない。
 ぞろりと羽織った灰色のマントのすそが、かすかな風に揺れる。

 ゾルが戦斧の間合いギリギリの場所に立った瞬間、ギードが両手の斧を高速回転させたまま両腕を前後左右に振り始めた。
 コマのように回りながら、戦斧がギードの周囲を縦横に動き回る。
 斧の刃が、ゾルの鼻先ギリギリをかすめ、風圧が前髪をあおった。

「どうだ! この無駄のない回転運動についてこられるか! 防御から攻撃! 攻撃からまた防御! このよどみのない流れと変化こそ我が四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスの真骨頂! さあ、間合いに入って来い! その瞬間、お前の体は無数の肉片と化す!」
 叫びながら、ギードは目の前の剣士の顔を見た。

 青灰色の冷たい瞳がギードを見返していた。

(何っ?)
 鼻先からわずか数センティ・メドールを巨大な斧の刃が高速で通過したというのに、ゾルの瞳には恐怖の欠片かけらさえ無かった。いや、恐怖だけでなく一切の感情が無い。
 自分を殺そうとしている巨人の顔さえ、見つめていなかった。
 灰色の剣士は、ギードの巨体全体を視野に入れ、そのどの部分にも焦点を置かず、それでいて、その動きの全てを把握していた。

(むう! も、もしやこの瞳の輝きは……遥か昔、竜を倒した伝説の剣士が会得していたという『何も見ず、全てを見る』の境地……『無心全鏡眼むしんぜんきょうがん』(ニール・コルディス・オムニ・スペクルーム・オルクス)! しかし……まさかこの男が……)
 ギードがその内心の不安を打ち消そうとした瞬間……

 がしっ!

 突然、高速で回転していた戦斧がピタリと止まった。

「え?」
 一瞬、何が起きたのか分からず、上半身裸の巨人ギードは狼狽うろたえ、自分の両腕を見た。
 自分が握っている戦斧の柄の中心から少し外れた場所を、左右とも、ゾルが握っていた。

「ま、まさか、この俺様の高速回転が止められた、だと? ち、力比べで負けたとでもいうのか!」
 あわてて両方の手首に力を込めるが、いくらりきんでも斧はピクリとも動かなかった。

 今まで、かいたことも無かった嫌な冷や汗が禿げた額から頬を伝って落ちた。

「力だけではないぞ」
 ゾルが感情の無い声で言う。
「我が一族は〈竜骨剣〉の使い手として、幼少の頃より体内に『竜の闘気』を取り込み制御する術を学ぶ……なるほど、貴様の筋力は並外れている。反応速度も悪くない……しかし、それとて所詮しょせんだ……常に竜の気と向かい合ってきた俺にとっては赤子も同然……そして俺の拳は、全力を出せば。クロスボウの矢の比ではない」

 ゾルが戦斧の柄を押さえる両手に力を入れた。
 ググッ……
 ギードは、自分の両腕の内側から筋肉のきしむ音が聞こえたような気がした。敵を両断するはずだった斧の刃が、少しずつ少しずつ自分に向かって迫ってくる。

(な……なんだと! この俺様が? こ、この俺様の三分の一もなさそうな体重の男に、俺様が力負けしている? ば、馬鹿なっ!)

 ゾルが、巨人の恐怖とあせりをあおるように言った。
「どうした? 愛用の戦斧の刃が、
 そして、まったく力をかけていないような様子で、両手につかんだ戦斧の柄をグイッと押し込んだ。
 ギードの極太の両腕がゾルの押し込みに耐えられず、戦斧の刃がジリシリと巨人の首に迫ってくる。

「有りえん! たかが小汚い旅人ごときに、この俺様が腕力で負けるなど……」
 巨人の両腕の筋肉がぷるぷると震えだす。

 たまららず、ついに巨人ギードは両手を離し、石畳を蹴って後ろへ跳んだ。体重三百キル・グレイム以上の巨体で、一気に五メドールも後方跳躍する……恐ろしい脚力だった。
 ゾルとの間合いが開く。

 しかし愛用の四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスをゾルに奪われ、ギードの両手に、もう武器は無い。

 身長百九十センティ・メドールの剣士にさえ不釣り合いに見える大きく重い戦斧……巨人から奪い取ったその巨大な戦斧を、ゾルは、まるで棒切れか何かのように無造作に両方の手に持ち、ゆっくりとギードの方へ歩いた。

「ひ……ひいい!」
 情けない悲鳴を上げ、何か無いかと周囲を見回したギードの目が、先ほど殺された兵士の死体を見つける。
 あわてて死んだ兵士の手からクロスボウを取りあげ、弦を引いて鉤爪に引っ掛け、毒を塗った矢じりをゾルの顔へ向けた。

「く……来るなぁ! う、撃つぞぉぉぉ!」

 巨人にとってはオモチャみたいな大きさのクロスボウを灰色の剣士に向け、恐怖に震える指を引き金に掛けた。

 それを見てゾルが冷たく言い放つ。
「撃ってみろ」

「へ?」



「し……死ねぇぇぇ!」
 叫び声とともに、ギードはクロスボウの引き金をひいた。

 カンッ!
 金属と金属がぶつかる甲高い音が響き、ギードの放った矢は、ガードしたゾルの巨大戦斧の刃にはじき返された。

「何ぃぃぃ!」

 驚くギードの目の前で、灰色の剣士は、両手に持った四枚刃戦斧クァットゥオル・ビペンニスをくるくると回転させ始める。
 回転は徐々に速度を増し、やがて剣士の前で高速回転する二つの風車になった。

「そっ、その技は!」
 ギールが驚きに目を見張る。

戦斧旋風高速陣せんぷせんぷうこうそくじん(ビペンニス・ウェルテクス・ヴェロクス・モアーニア)……だったか?」
 客が料理人に料理の名前をたずねるように、灰色の剣士がたずねた。

「な、なぜだっ! なぜ俺様の奥義を貴様がっ!」

「俺は生まれつき、敵の技を一瞬にして会得する才能を持っている……どんな奥義だろうと一度ひとたび目にすれば完全に自分のものに出来るのだ」

「な……なんという天才的戦闘能力! き、貴様、何者だ! まさか軍神いくさがみの化身だとでも言うのかぁぁぁ!」

「いいや……ただの通りすがりの旅人だ」
 恐怖に足がすくんで動けず、ついに戦斧の間合いに入ってしまったギードに向かって、灰色の剣士が死神のような声で言った。
「貴様が今まで切り刻んできた者たちの苦しみを味わって、死ぬがいい」

「ぎゃあああああ!」

 森の奥深くに断末魔の声が響き渡り、戦斧の巨人は石畳を汚す三百キル・グレイムの血と肉の塊に成り果てた。