ホラー映画における『階段』について
ホラー映画における『階段』について
前回の記事の続き。
昨日、映画『ウィッチサマー』のレビュー記事を書いたあとで、ふと思いついた事があったので追記する。
テーマは「ホラー映画に出てくる『階段』について」だ。
『怪談』じゃなくて、『階段』
誤植や文字変換のミスではない。
ネタバレ注意
この記事には以下のネタバレが含まれます。
- 『ウィッチサマー』
- 『ヘレディタリー/継承』
以下、ネタバレ。
ホラー映画には階段がよく出てくる。
ホラー映画には階段がよく出てくる。
多くの場合、階段の上もしくは下に主人公がいて、その反対側に幽霊・化け物がいる。
(主人公が階段の上なら、化け物が階段の下。主人公が階段の下なら、化け物が階段の上に居る)
そして化け物が、一段ずつ階段を昇って(あるいは降りて)主人公に迫ってくる。
『エクソシスト』の有名なスパイダー・ウォーク(クモ歩き)シーンや、日本ホラー『呪怨』の伽耶子など、階段を挟んでの主人公と化け物の対立、そして階段を昇って(降りて)迫り来る化け物、というシーンは、古今東西、ホラー映画に数え切れないほどあるだろう。
……いや、ホラー映画に限らず、『階段を挟んでの上と下との対立』構図は、サスペンスや人間ドラマなどジャンルを超えて良く使われていると思う。
この対立構図は映画『ウィッチサマー』でも頻出していたのだが、それを見ていて気づいた。
「ああ、なるほど、これは 『黄泉比良坂』 の事か……」と。
黄泉比良坂(よもつひらさか)
古来より、人は『坂』に対し霊的な何ものかを本能的に感じとり、そこを『あの世』と『この世』の境界だと信じていた。
『坂(さか)』とは、すなわち『境(さかい)』
現世と異界の境にあって、両者を橋渡しするもの、それが『坂』だ。
坂の上と下、そのどちらが現世でどちらが異界であるかは、この際、重要ではない。
高低差のある二つの世界が『坂』によって繋がっている事それ自体が重要なのだ。
現世の住人である主人公は、坂道を昇って(あるいは降りて)その向こう側、異界へと迷い込む。 そして異界の住人(幽霊・鬼・化け物)と出会い、再び『坂』を通って現世に逃げ帰る。
『異界へと繋がる坂』と言われて、われわれ日本人が連想する最も古い伝説は、日本神話の『黄泉比良坂』だろう。
妻イザナミの死を悲しんだイザナギが、死者の住まう地底の国を訪れ、そこで妻と再会するが、しかし彼女は既に異界の住人に成り果てていた。彼女の変わり果てた姿を見たイザナギは坂を登って黄泉の国から地上世界へ逃げ帰り、大きな岩でその出入り口をふさいでしまう。
この伝説に出てくる『黄泉の国=異界』と地上世界(現世)を繋ぐ坂の名が『黄泉比良坂』だ。
『黄泉比良坂』伝説は、われわれ日本人が古代より語り継いできた神話だが、二十世紀にロシア・フォルマリズムや文化人類学によって提唱され、『スター・ウォーズ』以降ハリウッドの作劇術の主流となったテーゼ、すなわち
『この世界には、太古より人類全体が本能的・無意識的に共有している(たった一つの)神話構造なるものが存在し、世界各地に伝わる何百もの神話伝承は、そのバリエーションに過ぎない』
に従うなら、日本神話の『黄泉比良坂』伝説と同じ構造を、洋の東西を問わず現代のホラー映画監督たちが本能的に発想し、繰り返し採用しているという解釈も、筋が通る。
実際、『黄泉比良坂』伝説と殆(ほとん)ど同じ物語構造は、遥か西方のギリシャでは『オルフェウス神話』として伝えられている。
これは、どっちがどっちを真似したパクったという話ではなく、太古より人類全体が共有する『無意識の物語』が、西のギリシャでは『オルフェウス神話』という形で発現し、東の日本では『黄泉比良坂』の形を取ったのだと、現代の物語論では解釈されている。
(ちなみにオルフェウス伝説では、現世と冥界の境界に川が流れている。これも日本の『三途の川』を連想させる)
現代ホラー映画における『階段』に話を戻す。
映画『ヘレディタリー/継承』のクライマックス、鬼女と化した母親に追われた少年は、階段を昇って屋根裏部屋に逃げ込み、跳ね上げ扉に鍵をかける。
この『階段』が『黄泉比良坂』だとすると、まさしく、鬼女と化したイザナミに追われ、地上に逃げたイザナギが黄泉比良坂の出口を大岩で塞ぐという構造に一致する。
ここで、本記事の結論をもう一度書く。
「現代ホラー映画に出てくる『階段』は、日本神話の『黄泉比良坂』だ」
あるいは、こういう表現もできるだろう。
「映画に階段が出てきたら、その階段によって繋がれた上下階のうち、どちらかが『あの世』で、どちらかが『この世』だ」
さらに付け足すと、
「階段の昇り口・降り口・途中に誰かが立っていたら、そいつは大体、お化け」
追ってくる女
ここからは余談。
心霊ホラー映画で『階段を昇って(降りて)主人公に迫ってくる幽霊』は、圧倒的に女が多いような気がするのだが、どうだろうか?
私自身の感覚としても、男の幽霊に追われるよりも、女の幽霊に追われる方が遥かに怖い。
これは、私が男だからそう思うのだろうか?
それとも男女どちらの観客も、女の幽霊に追われた方が怖いのだろうか?
あるいは、女の観客なら、男の幽霊に追われる方が怖いのだろうか?
ちなみに、ジャンルが心霊ホラー映画ではなくアクション映画になると、『追われるのが女(あるいは男女カップル)で、追ってくるのは男』という物も多い。
例えば『ターミネーター』などがその典型だろう。
神話伝承も、怖い物語には『追ってくる女』の方が多いような気がするのだが、如何だろうか?