最近、映画について思うこと
最近、映画について思うこと
その1、あまりに予定調和すぎる映画は、感情を家に持って帰れない
予定調和すぎるストーリーは、観客の心に爪あとを残さない。
映画館を出る頃には、もう観客の心は平穏な状態に戻ってしまう。
つまり、余韻が無い。
- 助さんが、助さんのやるべき事をキッチリとやり、
- 角さんもやるべき事をキッチリやり、
- うっかり八兵衛が、良いところで「うっかり」して、
- 風車の弥七が風車を飛ばし、
- かげろうお銀がお風呂に入り、
- 越後屋がキッチリと悪徳商人で、悪代官が「お主も悪よのう」と笑い、
- 村娘とその父親がキッチリと悪代官に虐(いじ)められ、
- 黄門さまはキッチリ8:40に印籠を出す
バランスが良く、善人が善人として、悪人が悪人としての役割をキッチリこなし、全てが調和して予定された通りに進んでいく物語は、観終わったあと心の中で薄れていくのが早い。
最近その事に気づいた。
その2、超大作ブロックバスター映画は、右と左の両方を満足させる必要がある
21世紀に入って以降、スペクタクル・エンターテイメントの映画の予算が高騰している。
その予算を回収するためには、老若男女、ありとあらゆる趣味嗜好の人々を満足させる必要がある。
「超大作映画は、政治的に右の人にも左の人にも支持される必要がある。そうしないと大ヒットしない。資金を回収できない」と、数年前から言われている。
また、こんな風にもいわれている。
「リテラシー(読解力)の高い観客も、リテラシーの低い観客も、両方ともが楽しめないと大ヒットは見込めない」
表面的には、単純で痛快なアクション・エンターテイメントを装って低リテラシーの観客を喜ばせつつ、所々に「裏テーマ」や「隠しネタ」を仕込んで高リテラシーの観客が「別の解釈」をする余地を残して、あらゆる観客に届くようにしなければいけない。
「少数のマニア」にも「大多数のライト層」にも届かないと商売として成立しない。
……と、言われている。
あくまで仮説の域を出ない話ではあるが。
その3、人類は(今のところ)スペース・オペラが好きではない
前々から薄々気づいていた事なのだが、人々はスペース・オペラをそこまで好きではない。
別に積極的に嫌いって訳じゃなく、関心が無い。
「スター・ウォーズ」っていう、ものすごい巨人がエンターテイメントの中心にドンと構えているせいで、うっかり誤解しがちだよね。「ああ、みんなスペース・オペラが好きなんだな」って。
でも実際スター・ウォーズが好きな人は、あくまで「スター・ウォーズが好き」なのであって、スペース・オペラ全般には関心のない人の方が多いと思う。
アメコミ映画好きの人は、個々のヒーローというより『アメコミ』というジャンル全体が好きで、ひと通り色々なアメコミ映画を観ている場合が多いと思うけど、それとは対照的だ。
そのアメコミ映画も1980年代ころまでは、全然メインストリームじゃなかったと記憶している。
大御所スーパーマンは人気だったが、逆に言えば人気者は彼一人だった。
ティム・バートンが『バットマン』を作り、サム・ライミが『スパイダーマン』を作り……っていう流れの中で徐々に潮目が変わっていって、マーベルが最後の導火線に火をつけたっていうのが、歴史的な経緯だろう。
だから、スペース・オペラにも流れが来る可能性はゼロじゃないとは思う。
私自身に関して告白させてもらうと、実は、私も筋金入りのスペース・オペラ・マニアという訳ではない。
小説「レンズマン」も「キャプテン・フューチャー」も、十代の頃に2巻か3巻まで読んだという、あやふやな記憶がある程度だ。
私が好きなのは『巨大ロボットもの』だ。その舞台が宇宙であるか否かに関して、特にこだわりは無い。
巨大ロボットが思う存分あばれ回れる舞台なら何でも良いというのが正直な所だ。