青葉台旭のノートブック

日記のような小説、小説のような日記

日記のような小説、小説のような日記

11月19日(木)


昨日、牛すね肉を煮た汁で作ったお粥。


マクドナルドのハンバーガー(百円)を2つとコーラのSサイズ。


居酒屋で、刺身2皿と手羽先3本、ホッピー1杯、中身おかわり2杯。
家に帰ってから、今日も牛すね肉、ビール500mlを2本。

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新しいプログラミング言語を学んでみようかと思っている。
現在、自分専用の静的サイト・ジェネレータを作る程度にはrubyを使える。
プログラミング言語人気ランキングなどを見ると、いま一番イケてる言語はpythonらしい。
pythonの事は良く知らないが、perl以後に作られたクラス・ベースのオブジェクト指向かつ動的型付けのスクリプト言語という意味で、rubyとは「血の繋がっていない従兄弟」みたいな関係だろう。
違いはあるにせよ、まあ似たような物だろうと予想する。

どうせ新しい言語を学ぶなら、違う発想の物が良い。
本職のプログラマーなら、時代の流れを汲んで少しでも将来性があって給料を多く貰えそうな言語を習得すべきだろうが、私の場合、どうせ素人の手習だ。自分が面白いと思える事をやるのが良い。

javascript
プロトタイプ・ベースのオブジェクト指向というものが何なのか、興味がある。
加えて、javascriptは、htmlと共にウェブ・ブラウザーの『公用語』だ。
現在のブラウザーは、単にハイパー・テキスト閲覧装置というだけでなく、動画再生・GUIなどを装備する総合実行環境だ。
単的に言って『速度を問わなきゃ、何でもできる』
これは魅力だ。

rust
何か、メモリー周りで新しい概念を採用しているらしい。
面白そうだ。
ただ、ライブラリの充実度とドキュメントの充実度が分からない。
素人が手を出すのは時期尚早か。

go
googleがサポートしている。
最近、流行の兆しが見えるらしい。
しばしばrustと比較されているようだ。
完全に新しい概念を取り入れた言語というよりは、ベターC、ベターC++を目指したものか。

lisp
再挑戦したい。

hasckell
再挑戦したい。

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』第1巻を読んだ。
第2巻を買った。

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エリック・ホッファーの言葉に次のようなものがある。
「青年が危険なのは、彼らがまだ大人になりきれていないからではない。
 青年が危険なのは、彼らがもう子供ではないからだ」

ここでホッファーの定義している『子供時代』とは、『純粋に何かに感動し、何かに没頭できた時代』だ。
そういう『幸せだった頃』を、人は青年に成長して失う。
感動を失い、没頭を失う。
そして進むべき道に迷い、露頭に迷い、血迷う。

そのホッファーは、28歳のとき自殺未遂事件を起こしている。

別の誰かが「20代後半から30歳くらいまでは『第2の思春期』と言われている」と何処かに書いていた。
なるほど、言い得て妙だと思った。
現代は、その気になれば『大人になること』をいつまでも猶予される時代だ。
特に、中流階級以上の家庭に生まれ、高等教育を受け、自分を知識階級の一員だと思っている人間ほど『大人になる』覚悟が決まらない。
2019年の日本の大学・短大進学率は58.1%らしい。
彼らの多くが、自分を「中流知識階級」だと思っているだろう。
『もう子供ではない、かと言って、まだ大人でもない』時期を思春期と名づけるとすれば、中流知識階級の若者 (すなわち現代日本の若者たちの6割近く)にとっての『思春期』が30歳前後であっても不思議ではない。

私自身の人生を振り返ってみても、20代後半から30歳くらいまでが、自分が何をやって良いか分からず一番悩んでいた時代、一番キツかった時代だったような気がする。
『もはや、あの頃ほどには何に対しても感動できず、何に対しても没頭できない自分』に気付いて、ずっと困惑していた。

最近、村上龍が何処かに「小説なんて、淡々と書けば良いんですよ、淡々と」と書いていた。

何十年も前、押井守は「心臓をグッと掴まれる体験がなければ映画じゃない」と言っていた。

私自身、人生の折り返し地点を過ぎて早や10年経った。
感動と没頭を取り戻す、もう一度それに挑戦しても良い頃だと思っている。

(2020年)

2020-11-20 04:43