リビング・デッド、リビング・リビング・リビング

発生。(その21)

「ふうーっ」
『N市市営〈丘の上キャンプ場〉はこの先五百メートル』と書かれた看板に手をついて、禄坊ろくぼう太史ふとしは息を吐いた。
「登り坂だっていうのに、志津倉しづくらさん、歩くの速いんだなぁ。さすが元陸上部」
「や、やっぱり速すぎたかな。少し休む? ここまで来れば着いたも同然だし」
 志津倉しづくら美遥みはるが太史に聞いた。
「賛成、賛成」
 横から棘乃森とげのもりれいが答え、看板に寄りかかった。息を整えながら夜空を見上げる。
「星が良く見える」
 美遥と太史も顔を上げた。
「市街地から離れているからね。周囲に街灯やらネオンやらの光源が無いから、空の光がよく見えるんだ」
 太史が解説した。
「……そうか……志津倉さんも棘乃森さんも東京出身だっけ……不夜城って言葉もあるくらいだから、やっぱり東京って真夜中でも相当明るいんだろうな」
「生まれた時から住んでいるから、それが当たり前になっていて何も感じなかったけど……こうして星空を見上げると、ああ、東京の夜ってやっぱり相当明るかったんだなって思う。地上の明かりで星が見えないほどに、ね」
 美遥が太史に言った。そして何かに気づく。
「東京って言えば……これだけの大惨事なんだからヘリコプターの一機くらい東京から飛んできても良さそうだけど。……東京のマスコミとか、政府関係のヘリとか、自衛隊とか……何でも良いけど、そういう人たちが乗るヘリコプターの音がしないし、姿も見えない」
「こ、この現象が起きてから数時間しかっていないから、ま、まだ中央まで情報が届いていないんだと思うよ。届いていたとしても準備やら移動やらに時間が掛かるだろうし」
「本当に、そうかな?」
 楽観的な推測をする太史を玲が冷めた目で見た。
「だと良いけど」
「明日になったら動きがあるでしょう。とにかく今日は休む場所を確保するのが先決だと思う。そろそろ休憩終わらせて良い?」
 美遥の言葉に他の二人が「はい、はい」と答え、三人はキャンプ場まで残り五百メートルの道を歩き始めた。

 * * *

 キャンプ場に到着すると、駐車場にはクルマが二台、大型バイクが一台駐車していた。
 クルマのうち一台は、先ほど美遥たちを追い越していった小型SUVだった。もう一台はハイブリッド・カー。二台並んで停まっている。その向こうに田舎風デザインの公衆トイレの明かりが見えた。
「こんなキャンプ場にも先客が居るんだな」
 言いながらすたすた歩いて行こうとする太史を美遥が制止した。
「ちょっと待って禄坊ろくぼうくん。少し様子ようすを見よう」
「ええ? どういう事?」
「どんな人たちなのか見極めてからの方が良いと思う」
「どんなって、遊びキャンプに来てる人たちだろ……ああ、さすがにこのおよんで、それは無いか。じゃあ僕らと同じで、市街地から避難してきた人たちだ」
「そうなんだろうけど……」
「美遥は、ね。禄坊ろくぼうくん。って言ってるのよ」
 玲が美遥の言葉を補う。
「こっちは美人女子大生が二人に、頼りなさそうなポッチャリ男子大学生が一人。それとも禄坊ろくぼうくん、私たちに危険がせまったらていして助けてくれる?」
「そ、そんな……こと、言われても……だいたい、あのSUVの方は、さっき僕たちを追い越していったヤツだろう? 何か悪い事されるんだったら、あの時点でされてたと思うけど……」
 その時、公衆トイレから人影が出てきて小型SUVに歩いて行った。
 こちらからだと逆光で良く見えないが、影の輪郭からして女のようだった。スラリとしたモデルのような体形の女だ。
 女がSUVの助手席のドアを開けて車内に入った。一瞬、ルームライトのスイッチが入り、女の顔を照らした。
「結衣!」
 美遥が驚きの声を上げる。
「結衣? 結衣って誰よ」
 玲がたずねた。
「同じ大学の一回生じゃない。ほら、教養科目の『心理学入門』で一緒いっしょの……」
「うーん。覚えてないな。分からない」
「とにかく私、話してくる。お父さんが警察官だって聞いてるし、助けてくれるかもしれない。ここで待っていて」
 そう言って美遥は、いきなり駐車場に飛びだすと、小走りにSUVの方へ向かった。
「ど、どうする?」
 取り残された格好の太史が、同じく取り残された玲に聞いた。
「どうするって、私に聞かれても……禄坊ろくぼうくんが決めてよ。男なんだから、さ」
「美遥さんは待ってろって言ったけど、自分はサッサと行っちゃうし……き、決められないよ」
「んもう!」
 イライラした玲が「こいつ、使えねぇ男だな!」というさげすみの目で太史を一瞥して、自分もSUVに向かって歩き出した。
「ああ、ちょ、ちょっと待ってよ! 棘乃森とげのもりさんっ」
 二人で美遥を追いかけるように歩く。
 その時、突然SUVのヘッドライトが点灯した。まともに光を浴びせられ、目がくらんだ。
「手を挙げろ! 停まれ!」
 男の声が駐車場に響いた。

 * * *

「まったく、人をけて森の中のキャンプ場に来たっていうのに、千客万来だな」
 ぼやきならがら大剛原おおごはらは倒していたシートを起こし、再びヘッドライトのスイッチを入れ、車外に飛びだした。
「手を挙げろ! 停まれ!」
 叫びながら銃口を人影に向ける。
 ……女だった。
 ワンピース姿の若い女だ。娘の結衣ゆいと同じくらいの年頃の……そこで、さっき山道を登るとき路傍に立っていた若者たちの一人だと気づく。結衣が同級生だと言っていた少女だ。
「美遥……」
 助手席の方を見ると、結衣がドアを開けて外に出ていた。
「ば、馬鹿っ、勝手に車外に出るな」
 そう叫ぶ父親の言葉を無視して、ヘッドライトの向こうに見える少女に話しかけた。
「あんた、こんな所まで何しに歩いて来たの?」
「えっと……今、N市が大変な事になっていて……もう滅茶苦茶めちゃくちゃで……ひどくて……それで市内から逃げて、ここなら静かだろうと思って一晩だけ野宿しようと思ったの。そしたら結衣の姿が見えて……確かお父さんは警察官だって聞いてたし、ひょっとしたら助けてくれるかな、と思って。結衣は? 何でここに居るの?」
「ほぼ、美遥と同じ理由」
「結衣、勝手にベラベラしゃべるな」
「あ、あの、こ、こちらが、結衣……さん、の……お父さん?」
「父さん、もう良いじゃない。私の友達が助けを求めているのよ? いつまで銃口を向けてるの? それとも目の前で『友だちだろうが同僚だろうが助けるつもりは無い』とか言って、私にはじかせるつもり?」
 父親はしばら戸惑とまどっていたが、娘の「お父さんっ」という強い語気に押されるようにして、拳銃をホルスターに収めた。
「あ……あのう……僕たちも助けてもらえませんか?」
 後ろから少女の友人らしき若い男女が光の中に現れた。
「まったく……」
 大剛原が「頭が痛いよ」とでも言うように、に手を当てる。
 ハイブリッド・カーのドアが開いて、風田かぜた孝一こういちが出てきた。
「僕も協力させてください……その学生さんたちと情報交換もしたいし」
 風田の方を振り返り、その飄々ひょうひょうとした顔を見ながら大剛原は思った。
(絶妙のタイミングで出てきたな)
 ハイブリッド・カーの窓を見ると、ほんの数センチだけ開いていた。
(なるほど……窓を少しだけ開けて外の様子をうかがっていた……盗み聞きしていたな? 食えない男だ)
 それから、大剛原、結衣、歩いてきた学生たち、そして風田を含めて互いに情報を交換し合った。
 学生たちの経験談も、大剛原親子や風田と似たり寄ったりだった。
 警察署が既に〈噛みつき魔〉の巣窟で壊滅状態らしいという話に、風田は少し驚いたようだ。
 大剛原が気になったのは、学生たちを助けたという「刑事」と名乗る男の事だ。
(なにか匂うな。いったい何者だ?)
 コンビニで銃をぶっぱなし、警察署内でぶっぱなし、〈噛みつき魔〉とはいえ、人間二人をき殺して街を去った男。
 もちろん所轄にそんな私服警察官は居ない。県警本部から来たのか、あるいは東京からか……そもそも本当に刑事なのか?
 猫が人間を襲うという情報は、学生たちにとっても意外だったようだ。
 テントも持たずにキャンプ場に来たという事は、あずま屋の長椅子の上あたりで野宿するつもりだったのだろう。内心、猫に寝込みを襲われる自分らを想像してゾッとしているに違いない。
「あ……あの」
 美遥とかいうワンピースの少女が大剛原を見て言った。
「ひ、一晩、泊めて頂けないでしょうか? そ、その、クルマの中で……結衣も、お願い……私たち、見ての通り着の身着のままで歩いてきたし、他に頼る人も居なくて」
 おずおずとした話し方とは裏腹に、このお嬢さま風のワンピースの少女には、何か「押しの強さ」のようなものがあった。
 大剛原親子は互いに相手の目を見つめた。
「……仕方がない、な。後部座席で良ければ使うが良い」
「ありがとうございます」
 歩いてきた学生たちが、ほっと胸をなでおろした。
「ただし、後部座席は狭いぞ。車中泊と言っても楽じゃない。覚悟するように」
 自分と娘だけの二人家族だ。妻は何年も前に亡くなっている。クルマには興味が無いし、二人家族に大きなクルマは必要ない。後部座席に人を乗せる事など滅多に無い。
 一年前ほどまえ買い替える時に、予算を言って娘に車種を選ばせた。大学に入れば時々は娘も使う事になるかも知れない。自分はクルマなんぞ走ればそれで良いと思っている。娘が持って来たカタログには、いかにも若者向けのおしゃれなスタイルのSUVが載っていた。ディーラーに行くと「ディーゼルなら燃費が良い」とか勧められ、言われる通りにサインをした。
「あのぉー」
 風田が大剛原に声をかけた。
「良かったら、俺のクルマに一人来ませんか? 特別こっちも後部座席うしろが広いってわけじゃありませんが、乗っているのは女子高生と小学生二人です。大人五人がSUVに乗るよりははずです」
 結局、風田の言う通り、歩き組の三人は、大剛原と風田のクルマに別れて乗ることにした。
 SUVには、運転席に大剛原、助手席に結衣、後部座席に美遥と玲。
 ハイブリッド・カーには、運転席に風田、助手席に「ちょっと太めの」禄坊太史、後部座席に隼人少年と沖船おきふね姉妹。
 大剛原が窓から隣のクルマに目をやると、後部座席に座っていた女子高生が一旦いったん外に出て、助手席の少年が後部座席に乗り込み、その後から再び女子高生が後部座席に乗り込むのが見えた。真ん中の一番座り心地の悪い所に少年、という事だろう。
 後部座席に三人掛けで車中泊と聞かされたせいか、女子高生はひどく機嫌が悪かった。
 こうしてN市郊外の「丘の上キャンプ場」に偶然集まった九人の男女は、ハイブリッド・カーと小型SUV、二台のクルマの中で「最初の日」を終えた。