僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

暗闇を歩く。

1、山寺

 山寺の三門前にジーディーがクルマを停めた。ドアを開け、ボクとサエコはクルマの外へ出た。
 突然ヘッドライトが消えて真っ暗闇になった。隣に立っているサエコの顔も見えない程だった。僕は反射的に「ヤバい」と感じてジーディーに向かって叫んだ。
「ライトをけろ」
 再び自動車のヘッドライトが点灯した。
 ライトを点けることが果たして安全なのかどうか、僕には判断できなかった。でもこんな人里離れた森の奥の古寺で、真っ暗闇の中に居続けるよりはだ。
「くそっ、迂闊うかつだった。懐中電灯を借りて来るんだった」
 軍用ロボット犬にはサーチライト機能も備わっているが、出来ればジーディーに余計な仕事はさせたくなかった。いざという時には僕らを守ることに専念してほしい。
 いったんクルマに戻ってルームライトを点け、懐中電灯が無いか探してみた。ダッシュボードの中には入っていない。クルマの後へ回ってトランクの中も探してみたけど、そこにも無かった。
「用心深いヨネムスさんの事だから、ひょっとしてと思ったけど、そう都合良くは行かないか」
 再度、助手席のドアを開け、こんな物でも何かの役に立つかもしれないと、発煙筒をポケットに入れてルームライトを消し車外に出た。
 ジーディーにもヘッドライトとエンジンを切って外に出るように言った。暗闇の中、軍用犬が雪の上に降り立つ音を確認し「周囲を照らせ」と命令する。
 光を当てられて三門が浮かび上がった。
 ジーディーを見ると、頭蓋骨の後、人間で言えばうなじに相当する場所から自在に動く蛇腹式の金属棒が伸びていた。棒の先端にはまったレンズによって収束された光が、三門の軒を下から照らしていた。
 僕は中綿のハーフコートの左ポケットに発煙筒を押し込んだ。右ポケットには小型レーザー・ハンドガンが入っている。
「行こう」
 サエコとジーディーに言って、ゆっくりと三門をくぐった。
 本堂にも、庫裏くりにも、境内の何処どこにも灯りは見えなかった。
(当然か。寺の主である住職が死んでしまったんだからな)
「タロウさん……だっけ? 寺男さんは何処どこにいるんだろう?」
 サエコが聞いて来た。
(そうだ、寺男のタロウ……)
 急いで参道から左右を見回したけど、やっぱり人の気配は感じられなかった。
 タロウは何処どこへ行ったんだ?
 念のため、本堂の扉を開けてみた。鍵は掛かっていなかった。
 入口から中をのぞいてみた。ジーディーに言ってライトの光を本堂内全体に這わせてみたけど、何も発見できなかった。
 さすがに中に入って調べる気はしない。僕は扉を閉めてサエコに言った。
「何も無い。誰も居ない。裏へ回ろう」
 ジーディー、僕、サエコの順に一列になって、軍用犬の灯りを頼りに裏の墓地へ向かった。
「寺男のタロウから何か情報を得ることは出来ないだろうか」
 本堂の外壁に沿って雪の上を歩きながら、僕はサエコに聞いた。
「夕食のあとに僕や兄貴にしたみたいにさ。水晶玉は持っているかい?」
「うん。でも……」
 サエコは首を小さく横に振った。
「健康だった頃の記憶や意志や感情が少しでも残っていれば、ごく短時間だけなら正気にさせる事は出来ると思う。そうすれば記憶を引き出して何があったか分かるかもしれない。でもタロウさんの精神が完全に破壊されていれば、何をしても無駄よ」
「精神が完全に破壊されていれば無理……か。住職は、タロウも戦争の犠牲者だってよく言っていたけど、何であんな風になったんだろう? 軍が研究していたある種の薬物の人体実験に使われた、とも言っていた……サエコは、その辺の知識は?」
 彼女は首を横に振った。
「私たち巫女もタロウさんと同じ。もっぱら薬を投与された側よ。化学的な原理なんて全く教えてもらえなかった」
 本堂の角を曲がり、僕らは墓地に出た。やや下から軍用犬が墓に光を当てた。
 月も星も無い真っ暗闇に、無数の墓石が浮かび上がった。何とも言えない不気味な光景だった。
「コウジ、あれを見て」
 サエコが墓地の向こうを指さした。
 研究所の一部から明かりが漏れていた。
「い……行ってみよう」
 ごくりとつばを飲み込んで、僕はサエコに言った。彼女がうなづいた。
 ゆるやかな上り勾配で研究所まで真っ直ぐ続いている墓地の通路を進む。
 突然、先頭を歩いていたジーディーが立ち止まり、「ググウッ」と唸った。
 誰かが墓石の陰にサッと隠れるのが見えた。
「誰だっ」
 僕は叫んだ。叫びながら立ち止まってポケットから拳銃を出し、人影の消えた方へ銃口を向けて構えた。後を歩いていたサエコが体を寄せて来た。
「だ、大丈夫……だと、思う……たぶん寺男のタロウだよ。ジーディーにライトを向けられて、驚いて逃げただけさ」
 僕は彼女に言った。根拠なんて無い。何となくタロウのような気がしただけだ。
 軍用犬が振り返って僕を見上げた。やつを追いかけようか? と、問いかけているんだ。
「いや、追いかけなくても良いよ、ジーディー。それより、しっかり僕らを守ってくれ。ゆっくり研究所まで歩くんだ」
 ロボット犬が墓地の路地を歩き始めた。僕らもその後ろからゆっくり付いて行く。
 僕は両手に持った拳銃を前へ突き出し、怪しい人物のいた方向へ銃口を向け続けた。
 最初に怪人物が隠れていた墓石の所まで来た。心臓の鼓動が高まる。思い切って石の裏側に飛びだし、銃を向ける。
 誰も居なかった。
(当然か……)
 僕はサエコを振り返って言った。
「ここで順番を入れ替えよう。サエコが前になって。僕が最後尾になる」
 僕とサエコとジーディー。この中で一番戦闘力が高いのは、当然、軍用ロボット犬であるジーディーだ。こいつに先頭を任せておけば間違いない。サエコを間にはさんで、ハンドガンを持つ僕が最後尾になれば、不意を突かれる確率が減る……少なくとも理屈の上では、そういう事になる。
 ジーディー、サエコ、僕の順番で緩い傾斜になっている墓地の通路を研究所の建物を目指して歩いて行く。
 一番うしろを歩きながら、僕は左右と後方に目配りし続けた。ほとんど後ろ歩きのような状態だった。
(雪の上をへっぴり腰で歩く僕の姿を客観的に見たら、きっと情けない格好で笑っちゃうだろうな)
 ふと冷静になって、そんな余計な事を考えてしまう。
 見上げると、研究所の建物との距離が近くなっていた。ドアが半開きになってそこから光が漏れている。
(さっきから見えていたのはこの明かりか)
 中に居るのは兄か、住職か……
(いや、住職は死んで幽霊になったんだっけ……という事は、ドアを開け放して中に入ったのは兄貴か。そう言えば、住職はどうしたんだろうか?)
「サエコ、住職の気配は感じない?」
「うん。今のところ見えない。三門にも、本堂にも居なかった。この墓地にも居ない。ここは深い森の中だから、どこか木の向こうに隠れているのかもしれないけど」
「隠れる? 幽霊って隠れられるのか? 透視とか出来ないの?」
「コンクリートや金属なんかの無生物なら、その向こうに霊魂が居るかどうかを感じる事は出来る。それから死んだ生物……たとえば切り出して『板』に加工されてしまった木材とかなら、その向こうに幽霊が居るのは分かる。でも、森の木々のような、生きている動植物の向こう側に霊魂が居ても、感知できないの」
「……そうか。じゃあ、ここは奴にとって隠れる場所だらけという事だ」
「うん。でも大丈夫だと思う。幽霊は物理的な攻撃が出来ない……はず……だから。精神攻撃なら大丈夫。私が巫女の能力を使って防御できる。コウジ、あなたの事も守ってあげられる」
「あ、ありがとう」
 僕らはゆっくりと、研究所を目指して、墓地の通路を上って行った。
 サエコは住職の幽霊を、僕は寺男のタロウ(らしき人物)を、警戒しながら歩いた。
 結局、住職もタロウも現れないまま僕らは研究所の入口に到着した。
 半開きの扉の向こうから明かりが漏れていた。
 取っ手を調べると、自動ロックが破壊されて中の金属が溶けていた。これをアサルト・レーザーガンでやったのだとしたら、兵士の携帯装備としては相当の大出力という事になる。
(兄貴だ)
 エリート実験部隊にのみ支給された最新式の銃を使ったに違いない。
 壁に背を付け、中の様子をうかがう。
 ジーディーが斥候せっこうの役を買って出て、研究所内に入った。
「わんっ」
 小さく一つ、鳴き声を上げる。
 大丈夫だから中に入って来いという合図だ。
 僕、続いてサエコの順に中に入る。
 素早く天井に目を走らせた。
 レーザー発振器つきの監視カメラが、すべて見事に破壊されていた。兄の仕業しわざに間違いなかった。