僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

私たちも行こうとサエコが言った。

1、死者の霊魂

「さっきも言ったけど、通常死んだ霊魂は数日間は夢うつつのような状態で自分の死体や遺骨の周囲をうろうろするだけ。そして時期が来ると、世界の重力から解き放たれて、ゆっくり、どこまでも高く、空へ昇って行く」
 人里離れた雪原の一軒家、月も見えない夜中、庭先に積もった雪の上でサエコは僕に言った。
 濡れたような黒い瞳が家の窓から漏れる明かりを反射していた。
「でも、あの幽霊は違った……確かな意志を感じた。それも悪意を……それに高速で山寺の方へ飛んで行ったのも気になる。あんな幽霊は初めてよ」
「つ、つまり……」
「お兄さんが心配なの。住職の幽霊に『生前の意志』が残っていて、何か悪いことをたくらんでいたとしたら……」
「ああ見えても、兄貴は第四次霊魂戦争の最前線で戦った元エリート兵士だよ。たとえ相手が幽霊だったとしても、そう易々やすやすと負けるような事はないだろ。そもそも幽霊が現実の人間に危害を加える事なんて出来るのか?」
「その辺の理論は複雑で一言では言い表せないけど……一般的には死者の魂というのは無害よ。でも、それを兵器に仕立て上げようという研究が進んでいたのは公然の秘密だったし、万が一、住職の幽霊が何らかの力を持っていたとして、が山寺に帰って行ったのなら、お兄さんは不意を突かれることになる。それでも絶対に安全だと言い切れる?」
「そりゃ、まあ……絶対とは言えないけど」
 僕は黙り込んでしまった。
 つまりサエコは、兄貴が心配だから、僕らも山寺へ行こうと言っているんだ。
 彼女の言う通りだとしたら、自分からわざわざ危険な場所へ乗り込む事になる。それも承知の上で兄貴を助けるつもりなんだ。
「コウジ」
 半ば哀願するように、半ば勇気づけるように、サエコが僕の名を呼んだ。僕の心から抵抗する力を全て奪ってしまう、あの黒く光る大きな瞳で見つめながら。
(しょうがないな)
 僕はサエコの肩をポンッポンッと軽く叩いて、一旦いったんヨネムスさん夫婦の待つ玄関へ向かった。
「あの、今から僕たちも兄を追って山寺へ向かいます」
 さすがにご主人も奥さんも驚いたようだった。
「追うって言ったって君……」
「詳しい理由を話すわけにはいきませんが、僕とサエコで話し合って、たった今決めました。ヨネムスさんは兄貴の言った通り二時間後に警察へ連絡してください」
 家の主人はしばらく黙って僕の顔を見つめた。
 僕がどれくらい真剣か、その度合いを測っている様だった。
 そして言った。
「ちょっと待っていなさい」
 ガウン姿のままスリッパを長靴に履き替え、壁のフックに掛けてあった鍵を取った。
 そのままガレージへ向かい、扉を開けて中に入った。
 ガレージから水素エンジンの掛かる音が聞こえた。
 四輪駆動車がガレージからゆっくりと出てきて庭の真ん中で停まり、エンジンを掛けたままヨネムスさんが運転席から降りた。
「これを使いなさい」
「良いんですか?」
「あのクルマで山寺への道を登っていくよりはだろう」
 住職のSUVにぶつけられて後部座席のドアがぐしゃぐしゃになったヴァンの方へあごをしゃくりながら、ヨネムスさんが言った。
「警察には私の方で適当に説明しておく」
「ありがとうございます」
 それからヨネムスさんは、イグニッション・キーを差したまま放置してあった住職のSUVに乗り込んで少しだけバックさせた。
 前タイヤのパンクしたSUVを動かすのは大変そうだったけど、何とかクルマ一台が通るだけの隙間を空けるのに成功した。
「さあ、行きなさい」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 僕はもう一度ヨネムスさんに頭を下げた。となりでサエコも同じように頭を下げていた。
 それから、僕らはヨネムスさんのクルマに乗り込んだ。
 ジーディーが運転席、僕とサエコが後部座席だ。ロボット犬の首の下からケーブルが出てきて、四輪駆動車のデータリンク用端子を探り当てた。
 エンジンの回転音が少しだけ上がった。トランスミッションが繋がり、四輪駆動車がゆっくりと動き出した。
 RVと僕らのヴァンと庭の柵の間を車幅ギリギリで通り抜けて、ヨネムスさんのクルマが雪道に出た。
「ジーディー、できるだけ速く山寺へ向かってくれ」
 軍用犬の制御能力なら、ここから町まで十二、三分、そこからさらに山寺まで三十五分。合計五十分弱という所か。
 雪原の一本道を、四輪駆動車はぐんぐん速度を上げながら走った。
 やがて前方に町のあかりが見えて来た。
 町の中心街に入ると直線の道が多くなる。大通りは除雪もされていて舗装もきれいだ。反面、この時間はまだクルマの往来もそこそこあったし、どこに警察が居るかも分からないから、全速力という訳にはいかない。
 ジーディーが速度を落とした。
 荒っぽい運転に車内で体を揺すられっぱなしだった僕らはホッと息といた。
「町を出るまでに状況を整理したいんだけど、良いかい?」
 隣に座るサエコに聞いた。
「うん」
 彼女がうなづいた。一度大きく息を吸って頭の中を整理し、僕は話し始めた。
「たぶん、そもそもの発端はあの研究所だ。戦時中、軍は秘密の研究をするため墓地の向こうに施設を造った。それ自体は、この地方では特別めずらしい事でもない。現にこの町にも秘密の施設……戦時中は秘密扱いだった施設が、他にも何か所かある」
「コウジたちの農場の地下ミサイル発射場もその一つ?」
「うん。まあ、そうだ。とにかく、墓地の向こうでは新兵器に関する何らかの研究が行われていた。そして終戦を迎え、これまた他の多くの施設と同様に墓地の研究所も放棄された。ただし自動ロックは今も生きていて、誰も中には入れない……はずだった」
「あの住職を除いては、でしょう?」
「おそらくは、ね。住職は戦時中から研究所に出入りしていたんだと思う。極秘の軍施設に民間人が入るなんて本来は有りえないはずだけど……でも、何らかの事情で特別に許されていた可能性は高いんじゃないだろうか。研究所の事故に巻き込まれて大けがをしたり、研究者たちに治療してもらったりしているのがその証拠だ。戦争が終わって職員たちが去った後も、住職は研究所に出入りしていた。理由は分からない」
「たぶん……」
 サエコが言った。
「研究所の実験施設って、今も動いているんじゃないかな? 自動ロックが現在も作動しているっていうのなら、中にある他の設備が同じように動いていてたとしても不思議じゃないでしょう?」
「そうか、それは有りうるよな」
「そして中で研究されていたのは、たぶん心霊科学の原理を応用した兵器だと思う。私も……戦時中そういう研究施設に居たことがあるから、分かる。私の居た施設と似たようなが、あの建物にはある」
「つまり、ユキナさんは巫女みこ化処理をほどこされたって事? でもユキナさんは死んでいるんだよ? 病気が悪化して町の総合病院で亡くなって、それからあの墓地に埋葬されたんだ」
「分からない、けど」
「何にせよ……」
 僕は話を進めた。
「ユキナさんの霊魂は、あの首に巻き付いた気味の悪いのようなものに引きずられて研究所に消えた。彼女の魂を研究所に縛り付けている『何か』があの中には有るんだ。それが全ての中心だ」
「ねえ、コウジ」
「何?」
「死ぬ直前に、住職が変な事を言っていたじゃない? たしか『研究所で作られた実験薬をいま飲んだ』とか、何とか」
「ああ」
「それって、ひょっとして、死後の霊魂に何らかの作用を及ぼす化学物質だったんじゃないかな? ……つまり……本来、死者の魂には強い意志というものが無くて、ただ夢見るみたいに数日間この世でうろうろしているだけなの。そしていつか重力から解き放たれて空の彼方かなたに行ってしまう。……でも、仮にあの研究所が『生前の意思』を……生前抱いていた憎しみや欲望なんかを死後の魂に持ち越せる化学物質の開発に成功していたとしたら?」
 サエコの仮説は飛躍し過ぎている様にも思えたけど、同時に、全く有りえない事でもないな、とも思った。
 過去四度に渡る霊魂大戦は、皮肉なことに脳神経科学を飛躍的に発展させた。
 定期的に薬を飲めば必要な知識が化学的に脳内に固定されて、毎日学校で授業を受ける必要が無くなったのも、戦争の副産物として生まれた薬のお陰だった。
 サエコの脳内に潜在的にあった『巫女の能力』を開花させたのも薬物投与を中心とした施術だろう。
 サエコが僕の顔を見て言った、
「あの薬は……言ってみれば『死後もこの世界で魂を生きながらえさせるための薬』だったんじゃないかって思うの」