再び少女は消え、グリフォン立ち上がり、一行、展示室を後にする。
1、アラツグ
「おおい! アラツグ!」
遠くから自分を呼ぶ親友の声にアラツグは振り向き、ホールの
「ちょっと、こっちへ来い!」
ローランドが手招きをしている。
「なんだよ、ローランドのやつ、こんな時に……ああ、レンカちゃん、俺の友達が呼んでいるから、ちょっと行ってくるわ」
そう言って、壁際の親友のもとへ向かって歩こうとしたアラツグの袖を、エレアナがギュッと
「わたし、あの人、嫌い……」
少女は、遠くからこちらを見つめているローランド達を敵意のこもった眼差しで見返していた。
「嫌い? 何で?」アラツグが聞き返す。「さっき、剣を抜こうとした事を
そう言ってなだめるアラツグをエレアナが見上げた。
「アラツグさん……よく
「え? ま、まあね。お人好しなんていう言葉、よく知っているね」
「悪い人に騙されないように気をつけて……まあ、誰とは言わないけど」
少女は、アラツグの袖を掴んでいた手を離した。
「私、そろそろ行くわ。いつまでもここに居ないほうが良いみたい」
「そ、そうだね。ご家族も心配しているだろうし……ちょっと待ってて。今、ローランドに言って展示場の鍵を開けてもらうから」
「大丈夫よ。私だけが知ってる『秘密の抜け道』があるの」
「え?」
「あの人たちには
言い残して、少女は、伏せているグリフォン像の向こう側にタタタッと走って、ローランドたちからもアラツグからも見えない像のかげに隠れた。
「……秘密の抜け道って……大丈夫かな?」
アラツグは頭を
2、ローランド
「エレアナ、とか言ったか? あの少女はどうした?」ローランドが、こちらに歩いてきたアラツグに言った。
「ああ……どこかへ行ってしまったよ。たぶん両親の所に戻ったんじゃないかな?」と、アラツグが返す。
「戻ったって……」ローランドが呆れたようにアラツグを見た。「ここは
「全然。可愛い女の子じゃねぇか」
「まったく……お前なぁ……お人好しにも程があるぞ」
「ああ、それ、さっき、あの子にも言われた」
「何だって?」
「お人好しって……さっきレンカちゃんにも言われた」
「チッ」
イライラを隠しきれず、ローランドは思わず小さく舌を打ってしまった。
(あの怪しい少女は気になるが……まあ、それは後のことだ……今は……このグリフォン像を何とかして元の姿に戻す)
ローランドは気持ちを切り替えて親友の顔をジッと見つめた。
「おい、アラツグ」
「何だよ……」
「あれを元に戻せ」
「あれ、ってなんだよ」
「グリフォン像」
「はあ?」
「あの像は、お前の命令で、あんな姿になったんだろ?」
「いや、まあ、そうらしいけど……」
「だったら、元に戻せ。伏せの姿勢を取らせたんだ。元の姿勢に戻す事も、お前なら可能なはずだ」
「そんな……妙な理屈をこねられても……」
「
「ローランドにその責任があることは分かったけど、何で俺がグリフォン像に再度命令せにゃならのだ? 第一、このグリフォン像は実は
いきなり疑り深い目つきになったアラツグを見て、ローランドが「ああっ! イライラする!」と叫びながら良く手入れされた自分の金髪を
「アラツグ! お前は馬鹿だ! お人好しだ! 変なところで
「は……恥ずかしいんだよ!」
アラツグがチラリとメルセデスの顔を見た。
「良い
「良いから、さっさとやれ!」
「あ、ああ……」
ローランドの気迫に押され、アラツグは渋々グリフォンの方に歩いた。
怪物の正面、五レテムほどの距離を置いて立つと、やけくそ気味に両手を広げ、「もとの姿勢に戻れぇぇぇ」と叫んだ。
怪物がぎろりとこちらを見返した。
一瞬、その巨大な金属の目玉にたじろぐが、気を取り直して、もう一度、「もとの姿勢に戻れぇ」と叫ぶ。
(恥ずかしぃー)
そう思いながら、グリフォンの瞳を見返す。振り返ってメルセデスやローランド達の顔を見る気になれない。
グリフォンが、再び、動き出した。
伏せていた首を持ち上げ、鷲の爪を持つ前足と、獅子の後ろ足を伸ばし、後退して台座の上に立ち上がる。
畳んでいた巨大な金属の翼を体の両側に一杯に広げ、ガラス天井越しに空を仰いだ。
怪物の像は、アラツグ達がこの東展示ホールに入って来た時と寸分違わぬ……少なくとも目視ではそのように見える……姿に戻った。
最初と違っているのは、グリフォンがその並外れた体重で潰し、ひしゃげさせた囲いロープの支柱が
3、アラツグ
後ろから、「よくやった」と声をかけられた。
アラツグが振り返ると、ローランドとメルセデスがゆっくりとこちらに歩いて近づいて来た。
秘書のハンス・ゾイレは、像の立つ台座の周囲をぐるりと歩きながら何かを調べている。
「『よくやった』……ってなぁ……人にこんな恥ずかしいことさせておいてよく言うよ……お前、俺がどれだけ恥ずかしい思いで『怪物に向かって叫ぶ』なんてことをしたと思ってんだよ……上手くいったから良いようなものの……」
「まあ、そう言うな。結果オーライだ」
「本当に、これ、お前が仕掛けたんじゃないんだな? ……じゃあ、何でこの像は動いたんだ? 俺の命令に従っているように振る舞ったのは何故なんだ?」
「分からんか?」案外、真剣な瞳で、ローランドが聞き返した。
「分かる訳ねぇだろ」
「例えば、このグリフォンに命令する時、グリフォンから発せられる『何か』を感じなかったか?」
「『何か』って、何だよ……分かんねぇな……」
「……そうか……やはり『武器』が無いと駄目か……いかに英雄の後継者でも、お前自身は魔法の一つも使えない、ただの人間……と言うことか……」
「また、それかよ……じゃあ、何か? 俺は、その三千年前の英雄ガリッドの再来だか生まれ変わりだかで……だから、この
「信じられんか?」
「ああ。信じられんね」
「
「あ……ああ……ま……まだ、
アラツグのその言葉を聞いて、ローランドは少し失望したように「ふう……」と
「まあ良いさ……お前がそう思いたいのなら、そう思ってくれても結構だ……今の所は、な」
そして金髪の少年は、真剣な眼差しで親友の黒髪の少年を見つめた。
「アラツグ……常識に惑わされるな……世界の有りのままの姿をちゃんとその目で見るんだ……友人としてご忠告申し上げて置くよ……いや、これは忠告なんて
「め……目覚め……?」アラツグは、案外凄みを帯びた友人の声に戸惑いながら
3、ローランド
真っ青な瞳で親友を見つめていた金髪の少年が、ふと視線を外し、肩越しにアラツグの後ろを見た。
その視線につられて、アラツグも後ろを振り返る。
ハンス・ゾイレが巨像の台座を一周して戻って来たところだった。
「どうだった?」
ローランドが秘書に声をかける。
ゾイレは黙って首を横に振った。
(……そうか……やはり居なかったか……あの
あの少女がエルフの一味だとしたら、怪物像の事も、アラツグの事も、エルフ達に知られてしまった。
……まあ、仕方が無い……とローランドは気持ちを切り替えた。
(人間側としては痛い失敗だが、今さらどうにもならん……それよりも善後策を講じるべきだが……)
怪物像の頭を見上げる。
(
そして、もう一度、アラツグの顔を見る。
(問題は、
エルフには人間の精神の乗っ取り、思うままに操る術があると言う……
(それをアラツグに対して使うのか……)
それだけは絶対に駄目だ、とローランドは思う。
彼の目の前に立って、
(まだ『覚醒』していない以上、人間の剣士としてアラツグがどれだけ強かろうと、魔法種族であるエルフに勝てると言う保証は無い……ならば、
「どうした? 急に考え込んだりして……」お気楽な顔でアラツグが言った。
その声に、ローランドはハッとして、再度、親友の顔を見た。
(まったく……世話の焼ける『英雄』さまだぜ)
命を
同時に、悲壮になっていた心が
「何でも無い」
軽く笑いながら、ローランドが言った。
「グリフォン見学も、もう充分だろう。さあ、帰ろう」
「そうだな」
ローランド、メルセデス、ハンス・ゾイレ、アラツグの四人は、閉め切られていたサミア市立中央大博物館東館グリフォン展示ホールの鍵を解き、重い
ホールを出る直前、アラツグは、振り返って巨大な像を見た。
元のままに翼を広げ空を見上げていた怪物の頭が少しだけ傾き、金属の瞳が動いてアラツグを見返した。
アラツグには、怪物が微笑んでいるように見えた。
4、エレアナ・スタリヤァー
最後に、再び楢の
ホールの真ん中で翼を広げているグリフォン像の左肩の陰から、一匹の黒い小動物が顔を
小動物……小さな黒猫……は、しばらく扉を見つめた後、数レテムの高さにある怪物の肩からホールの
小猫の体は、何か不思議な目に見えない力に支えられているのか、案外、ゆっくりとした速度で落ちていった。
そして床に付く直前、体全体が光に包まれたかと思うと、次の瞬間、小猫は消え、床の上に一人の可憐な少女が、とんっ、と
「アラツグさん……かぁ……」
黒髪の少年剣士の消えた重い扉をしばらく見つめた後、少女は、巨大なグリフォンの頭を見上げた。
「良い人そうだね。まあ、ちょっと頼りない感じだけど……何にしても、良かったね」
怪物は、静かに、春の光が降り注ぐ空を見上げて居た。