僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

歓迎夕食会。

1、森

 右に左にうねうねと曲がる森の道を、僕らのヴァンは町へ向かって走った。寺に向かった時と同じように、ヴァンの運転席にジーディー、後部座席に僕とサエコが並んで座った。
 道の両側には延々と木が続いていた。
 このあたりの森の木はほとんどが広葉樹だったから、今は葉が落ちて骸骨みたいになった木の枝に白い雪が積もっていた。
「なんか、綺麗きれいね」
 隣に座ったサエコが言った。
「そうかい? 田舎暮らしの僕らにとっては見慣れた風景だけどな。サエコって、ひょっとして都会で暮らしてたの?」
「うん。まあ、中くらいの規模の都市まちかな。森とかは、行ったこと無かった」
「ふうん……僕もこの町に疎開してくるまでは都市に住んでた。結構な大都会だったけど……その分、敵の攻撃も激しかった。……命からがらこっちに逃げてきて、とにかく生きるのに精いっぱいで風景を眺めてる余裕なんて無かったし、気がついたら慣れちゃってたよ。この景色にも、ここの暮らしにも」
「そっか」
 僕は窓の外を見た。
 サエコに言われるまで綺麗だなんて思ったことも無かったけど、改めて見ると白一色の殺風景なこの眺めも、悪くないような気がした。
 やがてジーディーの運転するヴァンは森を出て、雪原の中の一本道を走った。
「今日は、付き合ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ……誘ってくれて、ありがとう」
 僕は、サエコの返事を聞いて、思わずニヤリとした。
「本当にそう思ってる? 山奥の古寺なのに? 女の子を誘って行った先が墓場だなんてな」
「正直言うと、ちょっと変かな。でも、お兄さんのこととかユキナさんのこととかヨネムスさん夫婦のこととか、少しだけ分かったのは良かった」
「気休めでも、そう言ってくれるとホッとするよ」
「でも、あの男の人は、すごい怖かった」
「寺男のタロウさんか……」
「うん」
「そうだな。住職さんは、危害を加えるようなことは無いっていつも言ってるけど……やっぱり、僕らだけであの寺へ行くのは良くないかもね」
「うん……それと……」
「それと?」
「ううん。やっぱり何でもない」
「なんだよ。途中で言いかけて。気になるじゃないか」
「うーん……」
 サエコは、しばらく言おうか言うまいか迷っていたが、決心したように僕に言った。
「あの、墓地の向こうにあった建物だけど……」
「放棄された軍の研究所のこと?」
 サエコはうなづいた。
「やっぱり気になる? そりゃ、そうだよな。見るからに不気味だし」
「そう、なんだけどね……そうじゃなくて……私、見ちゃったの」
「見たって……何を?」
「窓に……人影ひとかげが……人影みたいな物が……」
 さすがに驚いた。
「まさか。だって百メートルくらい離れていただろ。万が一、窓の中に誰かが居ても見える訳ないって。気のせいだよ」
「かも知れない……でも」
「あの中に誰かが閉じ込められているって言いたいのかい?」
「わからない」
 それ以上、何と言ったら良いか分からなかった。
 僕とサエコとジーディーの乗ったヴァンは雪原をヨネムスさんの家に向かって走った。
 ヴァンが家の敷地に入る前に、玄関の扉が開いてヨネムスさんのご主人が姿を現した。
 僕とサエコがヴァンに乗って出発した時と同じニヤニヤ笑いを顔に浮かべていた。
(そんなんじゃ、無いんだけどなぁ)
 そう思いながら僕はヴァンのドアを開け、ヨネムスさんに挨拶あいさつをした。
「ど、どうも」
「どうだ? 楽しかったか?」
「え、ええ……まあ」
 入口の所まで行って、サエコが振り返って僕を見た。
「今日は誘ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
 最後に僕らは挨拶を交わして別れた。
 家の戸が閉まり、僕はヴァンに乗って自分の家へ向かった。

2、夕食会

 次の日は予定通り、町で一番のレストランでみんなで食事をした。サエコの歓迎会だ。
 ジーディーの運転するヴァンに乗ってヨネムスさんの家に到着したのが夕方の六時ちょうど。
 僕も兄も洒落た服なんて持っていなかったけど、それでも出来る限りカッコ良くキメて行った。
 ヨネムスさん夫妻は、相当おしゃれに着飾って僕らを待っていて、その力の入りように、僕らはちょっと気後れしてしまった。
 ワンピース姿のサエコも可愛かった。きっとトランクに詰めて持って来た数少ない服の中の一着だ。
 何を着ようとサエコは可愛いけど。
 僕ら……つまり、サワノダ家とヨネムス家とサエコは、みんなで僕らのヴァン一台に乗り込んで町まで行くことにした。
 行きも帰りもジーディーに運転させれば、大人たちは全員アルコールが飲めるからだ。
「……で」
 町へ向かう車の中で、僕は兄に向かって
「何で僕が荷台なんだよ」
「しょうがないだろ。このヴァンは五人乗りだ」
 運転席にはジーディー。助手席に兄。後部座席の三人掛けベンチシートにヨネムスさん夫婦とサエコが座った。
 で、僕が荷室。
 ヴァンの荷室は乗員室と一体になっているから、座る場所が椅子シートの上か、ゆか直座じかすわりかというだけの違いなのだが……それにしても僕だけが……というのは納得がいかない。
「我慢しろ。飲酒運転をせずに大人全員が酒を飲むためには、こうするしかない」
「荷室に人間が座るのも交通違反だろ」
「まあ、それは、そうなんだが」
「いちおう、僕も精いっぱいのオシャレをしてきたつもりだからな。そもそも兄貴は荷室の使い方が雑なんだよ。一張羅いっちょうらのズボンが汚れちまうだろ」
「降りるときに払えば何とも無いって。それとも、あれか? お前は軍払い下げのトラックの荷台の方が良かったとでも言うのか?」
「もういいよ。まったく」
 ふてくされた僕は、ふと、後部座席に座るサエコの頭を見た。彼女が近くにいると、つい視線がそちらへ向いてしまう。荷室からは後頭部しか見えなかったけど。
 そうこうするうちに、ヴァンはオッドヤクート町の商業区へ入った。雪化粧をした家や商店をオレンジ色の街灯が照らしていて、綺麗きれいだった。
 町一番のレストランの駐車場にヴァンが停まる。
 僕以外は全員、車の外に出た。
 助手席から降りた兄が、車の後へまわってリアゲートを開けて僕に言った。
「さあ、降りろ降りろ」
 リアゲートから駐車場に降りると、見覚えのある車が停まっているのが見えた。
 白い高級SUV。
(住職さんが来てるのか……)
 レストランの中に入り、案内係の後に付いて予約したテーブルに行く。ホールの中を通るとき、住職さんの姿が見えた。
 てっきり誰かと一緒かと思ったけど、テーブルには住職さん一人だった。料理も一人分しか置いていない。
 目が合った。僕は会釈した。住職さんも軽くうなづいた。
 レストランの中でもサングラスを外さず、マフラーも首に巻いたままだ。
「へえ、住職さんもこのレストランで食事をするんだな」
 自分たちのテーブルに着いて、料理を待っている間に兄がつぶやいた。
「しかも一人っきりか」
 それから終始和やかな雰囲気で楽しく食事をした。ユキナさんが死んでから何処どこか寂しげだったヨネムスさん夫婦も、この日は心から楽しそうだった。サエコがこの町に来て下宿したということがヨネムスさん達にも良い影響を与えていた。
「住職さん、さっきから凄い量を食べてるな」
 兄の声に、皆が住職さんのテーブルに視線を向けた。
 ちょうど運ばれて来た特大ステーキの最初の一切れを口に入れる所だった。
「あなた、人さまのテーブルを覗き見るなんて……リューイチさんも、みんなも」
 ヨネムスさんの奥さんの声に皆ハッとなって視線をらせた。
「まあ、あれだ……今の時代、坊さんが肉食にくじきでも良いよな。別に」
 ヨネムスさんの言葉に奥さんが相槌あいづちを打つ。
「そうですよ。肉食妻帯なんて当たり前ですよ。お坊さんがステーキ食べたって良いじゃないですか」
 兄が反論した。
「そりゃ何を食べようと良いですけど……さっきから見てると量が物凄いんです。優に二人分、いや三人分は食べてますよ」
 ウェイターにワインを注いでもらいながら、ヨネムスさんが聞いた。
「あちらに私たち家族がお世話になっている住職さんがいらっしゃるが、時々この店に来るのかね?」
「はい。大変なお得意様です。週に二回以上いらっしゃっいます」
「週二回以上!」
 このセリフには、さすがにサエコ以外の全員が驚いた。
 サエコは知らないが、ここはオッドヤクート町で一番高級なレストランだ。相当に値も張る。
 一年に一度とかの特別な日ならともかく、週二回も来店するなんてことは町のごく一部の金持ち連中にしか出来ない。
「住職さんって、けっこうもうかるんだな」
 僕が呟くと、ヨネムスさんがワインを一口飲んだ後に言った。
「お寺の経営というのは、一にも二にも『檀家だんかの数』で決まるらしいぞ。檀家が多ければ多いほど経営が安定して……まあ、こういう言い方が正しいかどうかは分からんが……『利益』が出るようになる。そして檀家の数というのは、一般的には寺の歴史の長さに比例する。古ければ古いほど良いと言う事だな。ワインと同じように」
 もう一口グビッとやった後、続けた。
「あの寺も、山奥にあってお参りするには不便だが、歴史だけは長そうだからな。檀家が多くて儲かっておるのだろうて……」
「あなた、その辺にしなさい。ばちが当たるわよ」
「おっと……話が生臭なまぐさすぎたかな」
 それから僕らは九時近くまで楽しく食事をした。僕ら兄弟は元々そんなに話が得意なタイプじゃないけど、ヨネムスさん夫婦のかけ合いは面白く、僕も兄も、サエコも笑いっぱなしだった。とくに酔っぱらったヨネムスさんの話は最高で、コメディアンにでもなれば良いのにと思うくらいだった。
 八時半くらいだったろうか、食事を終えた住職さんが立ち上がって僕らのテーブルに挨拶をしに来た。
「こんばんは。ヨネムスさん。サワノダ兄弟。それから……サエコさんだったか」
「こんばんは」
 僕ら全員、声をそろえて挨拶を返した。
「楽しそうですな。……そうか、この町に引っ越して来た可愛いお嬢さんの歓迎会か」
「ええ。そうなんです」
 ヨネムスさんが代表して答える。
「住職さんは、よくこの店にはいらっしゃるのですか?」
「まあ、時々は、ね。山奥にこもりがちな老僧の、唯一の楽しみですわ。終戦直後の事故で、こんな体になってしもうたが……」
 そう言って、マフラーの上から自分の喉をなでる。
「さすが軍の最先端兵器を研究していたエリート達ですな。生身なまみの時よりも、かえって感覚が鋭くなって味も喉越のどごしも数倍たのしめるようになった」
「それは、それは」
「どうです? ヨネムスさんも機械化手術を受けてみては」
「ははは……」
 住職さんの冗談に、みんな中途半端な笑いを浮かべる。
「それでは拙僧は、これで失礼します」
 住職さんはレストランのホールを横切って会計へと向かった。
 それから三十分後に僕らも食事を終えてレストランを出た。
 来たときは曇り空だったけど、見上げると月が出ていた。
 ヴァンに乗り、町を出て街灯の無い雪道をわが家へ向かって走る。
 月明かりを反射して雪原が青白く光っていた。
 途中、ヨネムスさんの家の敷地で一旦いったん停車。
 兄も含めて僕以外全員、車を降りた。
「ジーディー、リアハッチを開けてくれ」
 僕もあわてて車外へ出た。
 サエコが足を止めて、空を見上げていた。
 冬の澄んだ空気を通して、月と、溢れるほどの星が地上に光を投げかけている。
「こんな夜空は都会じゃ見られないだろ」
 声をかけてサエコの隣に立った。コートを通して体温が感じられそうなくらいの距離だ。
「うん」
 サエコがうなづいた。
 つい三日前の僕だったら、女の子に近づくなんて絶対に出来なかった。でも、その夜はサエコの隣に立つのがとても自然な事のように思えた。
 しばらく……ほんの一分か二分、二人で並んで星を眺めた後、サエコは家の中へ入り、僕と兄はヴァンに乗って自分らの家へ向かった。
「お前ら二人、けっこう良い感じだったじゃねぇか」
 助手席の兄が、後部座席に座っている僕に向かって言った。
「そうかな」
「会って三日目だっていうのに、まるで十年った夫婦みたいだったぜ。……しかし……一応、念を押しておくが……
「うるせぇよ」
 運転席のジーディーが一声ひとこえ鳴いた。
「わんっ」