とっさに隠してしまった。
「これが……レシピ?」
僕は思わず
「そうだ」
キヨシが答える。
「正確には、数あるレシピの一つだな。まずは、これを試してみて、それから徐々にバリエーションを増やしていけば良いんだ」
「いや……さすがに、これは僕には……僕とサエコにはレベルが高いと言うか、何と言うか」
その時、車道から僕の家の敷地にクルマの入って来る音がして、ヘッドライトの光が僕とキヨシを照らした。
とっさに僕は雑誌を封筒に入れ、背中に隠した。
ヘッドライトが消えた。ヨネムスさんのクルマだった。
運転席のドアが開いて、ヨネムス夫人が現れた。
「あら、コウジくん、そんな所で何やってるの?」
「い、いや、別に。ちょっと友達と話を……」
助手席のドアが開いた。中から少女が出てきた。薄暗い光の中で、僕に向かって微笑んだのが分かった。
「おい……ひょっとして……」
となりでキヨシが息を呑んだ。
「か、彼女が……お前の……」
僕は
「やあ、ヨネムスさん」
玄関口に立った兄が奥さんに声を掛けた。
「こんばんは。サエコさんも、こんばんは。こんな時間に、どうしたんですか?」
「今日はシチューを作ったんだけど、ちょっと作り過ぎちゃって。それで、おすそ分け」
「ええ? 良いんですか? ありがとうございます。いやあ、助かります」
「これで晩ご飯を作らなくても良くなったから?」
「ええ。まあ……」
サエコがクルマの中から両手持ちの鍋を出して、玄関の兄の所まで持って行った。
玄関灯が照らす範囲にサエコが入った。
スッとした立ち姿。
相変わらず、サエコは可愛かった。
突然、高級四輪駆動車のドアが開いて、すでに車内に乗っていたユキオと、ユキオの
なぜか足早に僕の家の玄関に戻っていく。
いきなりキヨシが僕を突き飛ばして、ユキオたちに負けない早歩きで玄関に向かった。
「やあやあ、これはヨネムスの奥さん。こんばんは」
老人がわざとらしく
「あら、シマサネさんのご隠居さんに、ユキオくん。こんばんは」
「こ、こんばんは」
ユキオが
「なかなかの偶然ですな。こんな所でお会いするとは……ところで、こちらの美しい少女は……」
ユキオを見ると、奴の顔も真っ赤だ。
おまけにキヨシの顔も。
ユキオにユキオの
「あら、私としたことが紹介が遅れましたね。こちらハルノシマ・サエコさん。サワノダ・コウジくんの婚約者よ」
「はじめまして。こんばんは」
両手に鍋を持ったまま、サエコがゆっくりとお辞儀をした。
それからサエコと初対面の三人が順番に自己紹介をして、玄関先で少し雑談をした後、ユキオたちは帰った。
帰り際、ユキオの
「おい、可愛らしいお嬢さんじゃないか」
「そうかな? 僕は普通だと思うけど……ごく普通の女の子ですよ」
思わず僕は
なぜ恋人どうしというのは互いに相手のことで謙遜するのか。自分のことじゃないのに……
「まあ、とにかく頑張れよ。あんな素敵な女の子は
そう言って僕の肩を強く二回叩いて、ご隠居さんは運転席に乗り込んだ。
高級車のテールランプを見送って、玄関に戻ろうとした所で気づいた。
「あ、雑誌を返すの忘れた……」
自分の手元を見た。二冊の雑誌。
キヨシいわく『正しい入り口と間違った入り口の書いてある地図』『色々なバリエーションのアイスクリームを作るためのレシピ』
無地で厚手の茶封筒に入っているから、中身が透けて見える事は無いだろう。早く
そんな事を考えながら、僕は兄たちの待つ玄関へ歩いて行った。
ヨネムスの奥さんが目ざとく僕の手元を見た。
「それ何?」
「え? ああ、さ、参考書です。キヨシに、も、貰ったんです。学習薬も完璧じゃありませんからね。知識を詰め込むことは出来ても、論理的な『思考方法』なんかは化学的には脳に定着しないんですよ。それで伝統的な方法で補助的に学ぶ必要があるんです」
「ふーん……」
奥さんが疑うような目をして
「さあ、中に入りませんか? いつまでも玄関先で立ち話をしていても、しょうがない」
ヨネムス夫人とサエコが
僕は少し遅れて中に入る事にした。
「おい、コウジ、そんな所で何をやっているんだ? 早く中に入れよ」
兄に声をかけられて「うん……ちょっと」などど言って
みんながダイニング室の方へ行って、玄関には僕一人になった。とりあえず封筒を戸棚の中に隠す。
(サエコたちが帰ったら、ちゃんとした隠し場所を検討しよう)
その時、誰かの視線を感じた。ハッとして視線の方へ振り返った……誰も居なかった。
(いまの視線……何となく、サエコのような気がしたけど……気のせいか)
後から思えば、キヨシに渡された参考書……『いつもと違う穴』と『ハイヒール・ビッチとランジェリー・タフガイ』……この二冊をもっと慎重に隠すべきだったのだ。
まさか、見られてしまうとは。
ダイニング室へ行くと、兄が
「サエコとヨネムスの奥さんは?」
僕が
「夕食の準備は奥さんたちでするから、
なるほど、台所に人の気配があった。
「僕たちも手伝わなくて、いいのかな?」
「今日のところは良いんじゃないかな」
僕も椅子に座って待つことにした。
都会で両親が死んで田舎に住む祖父の家に転がり込んで以降、ほとんど毎日、農作業を手伝ったり、家事を手伝ったりして暮らして来た。
「食事が出来るのを
僕の言葉に、兄が
「コウジ、そりゃお前、贅沢な悩みってもんだぞ。こういう時はヨムネス夫人とサエコさんに対する感謝の気持ちを抱きながら、大人しく静かに待っているのが礼儀だ」
「そりゃ、そうなんだけどさ……」