僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

光。

1、カガミカワ・レイタロウ

 サエコが手短に今までの経緯けいいを話した後、タロウに……いや、研究所の所長カガミカワ・レイタロウ博士に言った。
「時間がありません。あなたの精神を正気に戻すため脳内に送り込んだ霊力は二十分間……長く見積もっても三十分間しか持ちません」
 それを聞いて、博士は彼女にたずねた。
「霊力が切れると、私はどうなるのだね?」
「残念ですが……」
「精神を破壊された状態に戻ってしまうという事か」
 サエコがうなづく。
「もし、お前が本当にこの研究所の所長なら」
 今度は兄が博士に聞いた。
 まだ完全に信用していないらしく、アサルト・レーザーガンの銃口を用心深く彼に向けていた。
「この下、地下二階にある『霊魂捕捉装置れいこんほそくそうち』を安全に停止させることも出来るな?」
「もちろん、だが」
 研究所所長が兄を見上げて答えた。そしてまじまじと兄の装備を見つめた。
「その姿……実験部隊EX1の生き残りか?」
 兄は答えない。
 博士が続けた。
「特所部隊の人間なら、この研究所を装置もろとも破壊する事など簡単だろうに。なぜ安全に停止させることにこだわる?」
「それではユキナが……いや……。彼女たちの魂を救うには、装置を安全に停止させなくてはいけない。ドック・コンプのファイルに、そう書いてあった。しかし肝心の停止シーケンスの記述だけが見当たらなかった」
所詮しょせんは死んでしまった魂だ。別に救わなくても……」
 兄が銃口を博士の額にピッタリ付け、有無を言わさぬ口調で言った。
「機械を停止させろ」
「博士、お願いします」
 サエコも頼み込む。
 研究所所長カガミカワ・レイタロウ博士は「ふんっ」と鼻を鳴らして立ち上がった。
「付いて来い」
 兄に蹴られた腹を押さえながら、よたよたと資料室を出て暗い廊下を歩き出す。
 僕は慌てて博士の後を追った。左手に持った懐中電灯で廊下を照らし、右手の拳銃を博士に向けながら。
 サエコ、ジーディー、軍用多機能ゴーグルを装着してアサルト・レーザーガンを持った兄が続く。
「ひとつだけ教えてください」
 僕は博士の背中に銃口を向けながらたずねた。
「この研究所と住職とは、一体どんな関係なのです? それだけが分からない」
 懐中電灯に照らされた暗い廊下を歩きながら、博士はポツリポツリと話し出した。
「死体あるいは荼毘だびに付された遺骨のまわりを漂う霊魂の捕捉……そのための研究所を設ける立地として、ここより相応しい場所は無かったよ。……人里離れた山奥の寺。にも関わらず古い歴史ゆえ檀家だんかの数が多い。つまり、死んで墓地に納められる『新鮮な』遺骨の数が比較的多い。特にこの地方は、戦時中『巫女殺し』の被害が大きかったからな。十代の娘たちの遺骨が次から次へと運び込まれる。実験材料には困らない、という訳だ」
 先頭を歩く博士の顔は、僕らからは見えない。暗い廊下を歩きながら淡々と話す声を聞いて、背中にヒヤリとしたものが流れるのを感じた。
「当初、寺の住職と我々は、あくまで『土地を接収された者』と『軍の研究者』という関係に過ぎなかった。研究員の一人が、本堂で偶然を見つけるまでは、な」
「あれ?」
だよ。極楽茸ごくらくだけさ」
 そして、軍の心霊兵器研究所所長……いや男は、次のようなおぞましい物語を、語りだした。

 * * *

極楽茸ごくらくだけ……この地方の森にだけ自生するこの特殊な菌類には、脳神経に作用して強烈な幻覚を引き起こす化学物質が含まれているのかも知れない……『せんじて飲めば、この世に居ながら極楽浄土を見られる』という言い伝えは、その可能性を示唆しさしているのではないか? ……我々の研究に有効な何らかの成分を抽出できるのでは?
 所内のある研究員の発案によって、我々は寺の供物くもつを接収して研究所に持ち込む事に決めた。
 罰当ばちあたりな話さ。住職は最初は渋っていたがね。軍の権力をちらつかせて強引に頼み込んだら、『少量だけなら』と言って分けてくれたよ。
 それがの始まりだった。
 背景には、我々の研究がなかなか成果を上げられない現実があったのだろうな。……せまい研究所内で暮らす所員たちのストレスは時間が経つほどに増大し、戦争末期には手のつけられない所まで蓄積されていたんだ。
 そして、とうとう研究員の一人が一線を越えてしまった……実験材料である極楽茸の粉を面白半分に自ら服用したのだ。
 ……この世のものとも思えぬ快楽だと、その男は言った。遅々ちちとして進まぬ研究に苛立いらだっていた所員たちの間に、その遊びは、あっという間に広がってしまった。所長であるこの私も含めて、な。
 この世に居ながら天国を味わわせてくれる極楽茸は、それだけに副作用も強烈だった。
 思考力の低下、記憶の欠落、五感の鈍化、そして何より強い常習性と依存性。
 終戦を迎えるころには、研究所の中は惨憺さんたんたる有様になっていた。
 ……皆、研究そっちのけで、廃人同様に所内をフラフラしているか、乾燥させたきのこの粉を鼻から吸引しているか……
 住職と我々の立場も逆転してしまった。
 国家権力を傘に着て寺の供物くもつを取り上げていたつもりが、いつのまにか極楽茸ほしさに住職の言うことは何でも聞くようになってたんだ。
 民間人立ち入り禁止の軍研究施設に土足でズカズカ入り込んで、もの珍らしそうにあちこちのぞいて回る住職を、私も含めて誰もとがめようとしない。
 それどころか『これは何だ、あれは何だ』と質問してくる住職に、卑屈な笑いを浮かべながら丁寧に答える始末さ。
 ある日、培養槽ばいようそうの中を指さして、住職が言った。
『このには魂が無い……姿形は人間でも、人間とは言えない、な?』
 欲望に目をギラギラさせた奴の顔は今でも忘れられん。
『人間ではないただに何をしようと罪ではない』
 奴が、特大ステーキをペロリと平らげる大食漢の食い道楽だとは知っていたがね……とうとうに興味を持ったという訳だ」

 * * *

 カガミカワ博士の言葉に、僕ら三人は息を呑んだ。
「じゃ、じゃあ、あのミイラ化した人造人間に手足が無かったり、あちこち肉がえぐれているのは……」
「そういう事だ」
 僕の問いかけに所長が答えた。
「もちろん当時は生命維持装置も正常に作動していたから、ミイラなんかじゃないさ。精神は空っぽでも、人造人間の肉体は若くてぷりぷりした十代の少女そのものだからな……どんな味がしたものやら」
 サエコが「うっ」と唸って口に手を当てた。
 僕らは廊下の端、折れ階段の所までやって来た。
 研究所所長を先頭に、ゆっくりと、一段ずつ地下二階への階段を降りる。
「住職の食に対する飽くなき探求心には、まったく恐れ入るよ」
 暗闇に向かって階段を降りながら、カガミカワ博士が続けた。

 * * *

「我々が何か月も手塩にかけて培養した人造人間の少女たちを一体残らず食い散らかして台無しにしたあと、奴は軍用霊視ゴーグル越しに『霊魂捕捉装置れいこんほそくそうち』を見ながら言った。
『カガミカワ君……私はの食べ物にはもう飽き飽きしたよ』……ってね。
 最初は何を言っているのか分からなかったが……住職の意図に気づいて、さすがの私も発想の突飛とっぴさに呆れたね。
 霊魂捕捉装置は動作がまだ不安定で、時どき少女たちの霊魂を逃がしてしまう事があったが、それでも何とか試験段階に漕ぎつけては、いた。その当時すでに墓場から十数人分の魂を捉え、溜め込んでいたんだ。
 奴はそのと言ったのさ。……私たちに選択肢は無かった。その頃には、すっかりきのこの毒にやられていたからな。
 中毒で回らくなった頭を必死に使って、貪欲な御主人様のために研究所員みんなで考え、一つの結論に達した。
『いまだかつてそんな事を試した者は居ないが、案外、不可能でもない』……という結論に。
 四度にわたる霊魂戦争によって、軍用の霊的感応装置の性能は相当高いレベルに達している。目、舌、のどに霊感センサーを埋め込み、全ての歯を抜いて霊体切断パルス発振器付きの総入れ歯にすれば……」

 * * *

「じゃ、じゃあ研究所で事故にあって怪我をしたというのは……」
 僕は驚いて、博士に聞いた。
 その僕の声にかぶせるようにして博士が答える。

 * * *

「嘘っぱちだよ。住職は健康な体をわざわざ機械に置き換えたんだ。
 ……やがて戦争が終わり、ろくな成果もあげられないまま研究所は御役おやくご免で放棄された。
 しかし、すっかり脳を毒に冒され極楽茸無しには生きられない体になっていた我々研究所員には、他に行く所が無かった。
 奴は廃人になった所員を一人ずつ森へ連れ出した。森から帰って来るのは必ず住職一人だった。
『森の中を二人で歩いているうちに逃げられた』とか、なんとか、御座成おざなりな言い訳を毎回していたが、悪行の証人を一人ずつ始末していたのは明らかさ。
 とうとう研究所の生き残りは所長の私だけになってしまった。もちろん覚悟したよ。次は自分の番だ、ってね。
 ……しかし住職は私を殺さなかった。研究所内の様々な設備の操作方法を奴に教える人間が必要だったからだ。
 終戦後しばらくは研究所に隠れ、人目を忍んで住職に機械の操作方法を教える日々が続いた。私が極楽茸を求め、それを奴が少しずつ与える。ときどき霊魂捕捉装置を使って、墓地に運び込まれた少女たちの遺骨から霊魂を引きはががし研究所に閉じ込める……そんな日々だ。
 住職が基本的な操作を習得し終えてから幾らも経たないうちに、いよいよ極楽茸の毒は私の精神を破壊し尽し、そこから先の事はボンヤリとしか憶えていない」

 * * *

 極秘の心霊兵器研究所所長、カガミカワ・レイタロウ博士の話が終わった。
 僕らは地下二階に下り、廊下を突き当りまで歩いて、両開きの扉の前で一旦止まった。
 スチールドアのすぐ前に博士。その後ろに残りの三人が横並びになった。
 博士が両手で取っ手を引いた。開いた扉の向こうには……何も無かった。
 バレーボール・コートくらいの広さの部屋の真ん中に大きな機械が一台、低い唸りを発しているだけだ。
 サエコが我慢できないといった風に顔を背け、僕の胸に付いた。
 霊的感応装置付きの軍用ゴーグルを付けた兄を見ると、体が強張こわばってるのが分かった。必死で感情を抑えていた。
 ジーディーが「ウウッ」と唸る。
 きっと僕には見えない何かを兄とサエコとジーディーは見ているんだ。
「サエコ、何が見えるんだ?」
 僕の胸に顔をうずめたまま、サエコが首を左右に振った。
「見ない方が良い」
「ここまで来て、そう言う訳にはいかないよ」
 サエコはしばらく黙っていたけど、決心したように僕の手を握って言った。
「何を見ても驚かないで」
 こめかみに電流がスパークするような「あの感覚」に襲われ、いっしゅん目を閉じる。
 ゆっくりと目を開けた。
 さっきまで何もないと思っていた部屋に「彼女たち」が居た。
 中央の機械からムラサキ色のぬらぬらした触手が、まるで蛸の足のようにながら四方八方に伸びていた。
 触手の先端には一本に一人ずつ全裸の少女が縛りつけられていた。
 少女たちは一人残らず、体の一部が「食われて」いた。
 腕、脚、脇腹わきばら、背中、乳房、顔、頭蓋骨……何か所も肉をえぐられ、千切ちぎり取られ、ゆかを這いつくばる少女たち。
 部屋から出ようと藻掻もがくけど、その度に首に巻き付いた紫色の触手に引っ張られて、中央の機械近くに引き寄せられる。
「これが我々の研究成果だ」
 博士が言った。
「これが、我々が持てる知識と知性の全てを注ぎ込み必死で作り上げた、その成果だ!」
 言いながら、よたよたと部屋の中央へ歩いて行く。ゆかの上で回っている傷ついた少女たちを、気にも留めていないようだった。
 ……いや、彼には見えていないのか……
 機械のそばに立ち、操作パネルをいじりながら、カガミカワ博士が大声で叫んだ。
「もうすぐ巫女の霊力が切れる。俺の脳は再び極楽茸の毒に冒され、理性も、知性も、感情も、何もかも失う! その前に機械を停止させる。必ず止める! 約束する! だから! 機械が止まったら俺を殺してくれ! 頼む!」
 博士は操作パネルの前でピアノ奏者のように指を動かし続けた。
 やがて機械の唸りが少しずつ小さくなって……消えた。
 少女たちの霊を縛っていた紫色の触手のぬらぬらしたが急速に失われ、ボロボロに干からびて崩れ落ちた。
 苦痛に満ちた表情でゆかいつくばっていた少女たちの体が、フワリと空中に浮かび上がった。
 ふわふわと宙を漂いながら、少女たちは皆、背中を丸めひざを抱えた。
 顔から苦しみが消えていた。
 体がぼんやりと光りだした。輪郭りんかくが溶けて、少女たちはまるの光なった。
 丸い光はゆっくりと上昇し、天井の樹脂パネルを通り抜けて見えなくなった。
 光になった少女たちが、次々に天井の向こう側へ消えていく。
 やがて全ての光が天井に消えた。部屋には操作パネルに付いてウーウー唸っている研究所所長カガミカワ・レイタロウ博士……だけが残された。
 しばらくの間、僕らは元のタロウに戻ってしまったカガミカワ所長を呆然と見つめた。
「お前らは先に帰れ」
 兄が僕を見て言った。ゴーグルを付けたままだった。声が少し震えていた。
 僕はうなづいた。
「わかった」
 兄だけを実験室に残し、僕とサエコとジーディーは暗い廊下を階段に向かって歩いた。
 階段の上り口まで来たとき、僕とサエコは実験室を振り返った。同時にパシュンという音がして、レーザーガンの光で部屋が一瞬ぱっと明るくなったのが見えた。

2、帰る

 階段を一階まで上り研究室を出た。
 途中、廊下の武器庫に僕とサエコの持っていた懐中電灯を戻して置いた。何であれ、研究所から物を持って帰る気になれなかった。
 外に出ると相変わらずの曇り空で星も月も見えなかった。
 真っ暗な墓地の通路をジーディーのライトを頼りに本堂の方へ降りていく。
 本堂の外周をまわり、正面の参道を歩いて三門をくぐり、ヨネムスさんから借りたクルマを停めてある駐車場に出た。
 クルマに乗る直前、僕とサエコは山寺を振り返った。
「この寺には、もう誰も居ないんだな」
 三門の軒を見上げながら僕はサエコに言った。
「住職も寺男も居ない、誰も居ない寺になった」
 サエコがうなづいた。
 突然、ドォンという音が森に響き渡った。
 同時に本堂の向こう側……墓地のある方向が明るく光った。その光に照らされて灰色の煙が立ち昇るのが見えた。
「兄貴だ……兄貴が研究所を爆破したんだ」
 サエコを振り返って言った。
「さあ、帰ろう」
 僕らは後部座席に、ジーディーが運転席に乗り込んだ。
 ロボット犬が「わんっ」と一声鳴いて、クルマは深い森の一本道を町へ向かって走り出した。