僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

資料室。

1、扉の向こうにいる者

 部屋のスチール扉が「キィッ」と小さなきしみ音を立ててゆっくりと開いた。
 扉の向こうに立っていたのは……寺男のタロウだ。
 自分でも何故なぜここに来たのか分からないといった感じの情けない顔で、何やらしきりにうなりながら僕らを見ていた。
 自動ロックを破壊され開け放っしになっていた入口から、フラフラと研究所の中に入って来たのか……
 そう言えばさっき墓地で姿を見かけた時も、この施設に興味を持っている風だった。
「やっぱり、この研究所内で何らかの人体実験を受けていたのか?」
 僕はタロウに銃口を向けたままつぶやいた。
「その時の記憶が僅かに残っていて、思わず開けっ放しの玄関から入って来たとか?」
「コウジ、悪いがタロウを研究所の外に連れ出してきてくれないか」
 兄が僕を見て言った。
「あちこち徘徊はいかいされて機械を誤動作させられても困るからな。やはり研究所の入口を開け放して来たのは失敗だったかもしれん。確か、扉には物理的なかんぬきも付いていたはずだ。それを掛けてきてくれ」
 タロウと二人っきりで薄暗い廊下を歩くのはゾッとしなかったけど、見た目が薄気味悪いだけで他人に危害を加えるような事はしないだろうと信じるしかない。
 以前サエコと墓地に来たとき、彼女に対して妙に熱い視線を送りながら近づいて来た事を思い出した。
(女の子に特別な関心があるとか? いや……まさか、ね)
 とにかくサエコには近づけさせない方が良い。
 僕は用心深くタロウに銃口と視線を向けたまま部屋の入口まで歩いて行って話しかけた。
「さあ、一緒に外へ行こう」
 僕の言葉を理解出来たのか出来なかったのか、タロウは相変わらずの情けない表情で「いやいや」の仕草をした。
(やれやれ……)
 どうしたら良いか分からず、僕は振り返って兄の指示をあおごうとした。
 すでに兄はタロウに対して興味を失っていて、再びドック・コンプに向かって中に記録された資料を熱心にあさっていた。
 サエコに視線を移す。
 驚いたような表情で僕を見ていた。
 ……いや、僕じゃない……僕の後の……開け放たれたスチール扉のさらに向こう、薄暗い廊下の一点を見つめている。
 振りかえって廊下を見た……何も無かった。
 もう一度サエコを見て、僕は言った。
「サエコ……一体どうしたんだ?」
 僕の問いには答えず、サエコは、目に見えない何か……サエコにだけ見えていて僕には見えない何かを追いかけるように、いきなり走り出した。
 僕とタロウの脇を通り抜け、資料室の外に出た……いや、出ようとした。
 一瞬、タロウから注意をらしてしまった。
 いきなりタロウがサエコの前に立ち塞がり左手で胴体を抱え、いつのまに出したのか、右手に持った小型ナイフを彼女の喉元に当て、叫んだ。
「動くな」
 僕は、タロウをてっきり「薄のろ」だと思っていた。油断していた。だから一瞬のすきを突かれて、奴に銃口を向けていたにもかかわらず、みすみすサエコを人質に取られてしまった。
 兄にも油断があったんだと思う。それに兄は限られた時間の中で「機械の止め方」とやらを探すのに必死になっていた。そこを突かれてしまった。
 ジーディーが「ウウッ」とうなった。ロボット犬の全身に緊張が走った。
「ジーディー、やめろ!」
 あわてて軍用犬を制止した。今はサエコを……人質の命を最優先に考えなくてはいけない。
「タロウ……さん……あんた、言葉を話せたのか?」
 寺男に銃口を向けたまま僕は言った。
「タロウ、ねぇ……ふふ」
 寺男があざ笑うようにして言った。
「さあ、コウジくん、その物騒な物をこっちへ寄こすんだ」
 僕は拳銃のスイッチをオフにしてゆかに置くと、寺男のタロウに向けて滑らせた。
「リューイチくんも、頼むよ」
 兄はしばらくタロウをにらんでいたけど、観念してアサルト・レーザーガンをゆかに置き寺男の方へ滑らせた。
 寺男が重ねて言った。
「拳銃も、だ」
 腰のホルスターから大型軍用拳銃を出し、アサルト・レーザーガンと同じようにゆかを滑らせる。これで兄は丸腰になってしまった。
(……いや、まだナイフを持っているはずだ……)
 兄ならこの危機を何とか乗り越えてサエコを救ってくれる……救って欲しい……そう思った。
(それにしても、タロウの精神は崩壊していたんじゃないのか? 戦時中この施設で行われた人体実験のせい……か、どうかは分からないけど、とにかく何らかの事情で彼の精神は空っぽになっていたんじゃ……それに、僕のことをコウジくん、って呼んだり、兄のことをリューイチくんって呼ぶのも違和感がある……)
 僕らをこんな風に呼ぶのは……呼んでいたのは……?
「コウジ……」
 突然、喉元のどもとにナイフを突きつけられているサエコが言った。
迂闊うかつなことをして御免ごめんなさい。そのせいで、こんな事になっちゃって……」
「い、いや……サエコは悪くないよ。なんで突然廊下に出ようとしたのかは分からないけど、何か理由があるんだろ?」
の」
「見えた、って……まさか」
「そう。昨日と同じ。首にぬらぬらしたを巻き付けられた裸の女のひと。全身あちこちに食いちぎられたような跡があった……」
「ユキナさん……なのか?」
 僕の言葉を聞いて、兄がこちらを見た。
 タロウは僕らが何を言っているのか分からず戸惑っているように見えた。
 サエコが続けた。
「ううん……。別のひと。でも、同じように苦しんでいるみたいだった。そして同じように、首に巻き付いたに引きずられて廊下の奥へ消えた」
「何の事かと思えば……」
 突然、寺男が笑い出した。
「なるほど……サエコ、さん、と言ったか。のだな? つまり、君は巫女という訳だ……ひょっとしたら? とは思っていたよ。昨日の墓地での様子を見て、な」
 瞬間、僕は気づいた。
 ……こいつ、タロウじゃない……寺男のタロウじゃない。
 サエコも同時に同じ結論に達したようだった。
「寺男のタロウさんに? ?」
 タロウに……いや、住職に背中から抱き着かれ、喉元にナイフを当てられながらサエコは冷たく言い放った。
 その言葉に兄が驚く。
 タロウに憑依ひょういした住職は、正体を明かされても動じることなく、むしろ余裕の表情さえ浮かべていた。
 僕は、その時になってやっと気づいた。
「そうか……実験薬を使って幽霊化した魂は、憑依ひょういすべき肉体を求める。でも、生きている人間にはその人自身の魂が宿っているから憑依ひょうい出来ない。人造人間たちは全員、生命維持装置が壊れたせいでミイラ化して死んでいる。……だからタロウさんなんだな? 戦時中の人体実験のせいで心を破壊されたタロウさんになら、憑依ひょういすることが可能だった」
「ご名答だよ。コウジくん。実は、この資料室には私の……つまりの、という意味だが……顔写真やら指紋やらの生体パターン記録が保管されているのだ。一度死んでタロウの体に乗り移るなんて事は考えてもいなかったし、研究所の自動ロックがこうも簡単に破られるとも思っていなかったから、放って置いたのだが……こういう事になってしまった以上、町を逃げ出す前に証拠は処分して置こうと思ってね。もちろん君たちは全員、それこそ死んで幽霊にでもなってもらうしか無い」
 気の利いた冗談を言ったつもりなのか、タロウの体に憑依ひょういした住職が「くっくっく」と笑い声を上げた。
「本当に、そう?」
 住職の笑い声に重ねるように、サエコが冷たい声で言った。
「タロウさんの魂は、に破壊されたと、言い切れる?」
「どういう意味だね? 可愛い巫女さんや?」
 寺男タロウの顔をニヤニヤさせながら、住職がたずねた。
「こういう意味よ」
 ナイフを持った寺男の右手を、いきなりサエコがギュッと強く握った。
 ナイフを持った手がビクンッと震え、サエコののどの皮膚が浅く切られて血が胸に垂れた。
「サエコ!」
「大丈夫」
 思わず大声で叫んでしまった僕に、サエコが冷静に答えた。寺男の右手をゆっくりと引き離し、腹部を拘束していた左手も外す。
 住職が操っているはずの寺男の体は、なぜか彼女に抵抗しなかった。
 KO寸前のボクサーか、飲み過ぎた酔っ払いのように、白目をいてゆらゆらと体を揺らしている。
 タロウの拘束を逃れたサエコが、走って来て僕に抱き着いた。
 彼女の安全を確認した瞬間、兄が物凄い勢いでタロウめがけて走った。
 寺男の腹に前蹴りで戦闘ブーツの踵を叩きこむと、その勢いでタロウの体が後に飛び、壁に作り付けられた本棚の柱に後頭部を激突させてゆかに転がった。
 タロウが動かないのを確認して、足元にあった拳銃二丁とアサルト・レーザーガン、それと右手に持っていたナイフを取り上げて、兄が僕らの所に来た。
「これを使うと良い」
 アーマージャケットの胸ポケットから小さなスプレー缶を出して僕に渡す。止血剤だった。キャップを外し、サエコののどに吹き付ける。さいわい傷は浅く、スプレーの化学作用で血が凝固し、それ以上の出血を押さえることが出来た。
「ありがとう」
 サエコが僕に言った。コートの胸が血で赤黒く染まっている。
「とにかく無事でよかった……でも、どうして……」
いちばちかのに出たの」
「賭け?」
「健康だった頃の記憶や意志や感情がタロウさんの中に少しでも残っていれば、短時間なら正気にさせる事が出来る。もちろん、精神が完全に破壊されていれば無理だったけど」
「そうか……タロウさん本来の魂に正気を取り戻させれば、居場所を失った住職の霊魂は肉体の外に出ざるを得ない」
 僕の言葉にサエコがうなづいた。
「……と、いう事は……今の彼は?」
「短時間だけど、本来のタロウさんに戻っているはず。かつて正気だった頃のタロウさんに」
 僕らはゆかに倒れている寺男のそばに行った。
 兄が片膝かたひざを突いてタロウの脈を確認した。
「大丈夫だ。生きている。後頭部を打って気絶しているだけだ」
 首のツボを指で押して活を入れる。
「うっ」とうめいて、タロウが目を覚ました。そして頭を振りながら言った。
「わ、私は……どうやら生きているようだな」
(意味のある言葉をしゃべった?)
 僕は驚いて彼の顔をまじまじと見つめた。その両目には確かに知性の輝きがあった。
「君たちは一体何者だ?」
 僕ら三人を順番に見ながら、タロウが言った。
「それはこっちのセリフだ」
 兄が聞き返した。
「タロウ……お前は何者だ?」
「タロウ? 私の名はカガミカワ・レイタロウ博士。この研究所の所長だ」