放浪剣士ゾル・ギフィウスと仮面の妖魔

2-4.お嬢さま

 久しぶりに、二十年前のの夢を見た。

 * * *

 ルッグは、小さな山村で生まれた。森の中にポツンとある貧しい村だった。
 そして十一歳で奉公に出された。

 山村の貧しい家の次男坊として生まれた少年には、他に選択肢は無かった。
 奉公先は、生まれた村から歩いて半日の場所にある街道沿いの町トゥクに住む大商人の家だった。

 山奥の小さな村から一度も出たことの無かったルッグにとって、街道の宿場町は驚くほどにぎやかで、奉公先の家は驚くほど大きく、主人家族の暮らしぶりは驚くほど華やかだった。

 彼は、その商人家族に仕える少年下僕として働き始めた。

 美しい母屋の横に立つ粗末な物置小屋の、その奥にある小さな下男部屋で寝起きし、薄い粥や主人たちの残り物を食べた。
 家の掃除、庭の草刈り、馬の世話、その他ありとあらゆる雑用をするのが彼の仕事だった。
 まだ日の昇らないうちに起きて、朝から夜まで働いて、食事をして、物置小屋に帰って、寝る……そんな日々が続いた。

 大商人の家には、ルッグの他にも何人か男女の使用人が住み込みで、あるいは通いで働いていたが、彼らは皆いい歳の大人で、ルッグと友達になれるような同年代の者は居なかった。
 ただ一人、大商人の一人娘ミイルンは、ルッグと同い年齢どしだった。
 しかし、いくら年齢が同じでも、同じ敷地内で寝泊まりしていても、主人と使用人では、同じ人間でありながらだった。

 人間と馬みたいなものだ……少年は思った。

 向こうは一方的にルッグに命令する種族で、ルッグは主人とその家族から命令を受けるだけの種族だった。友達になれる訳がなかった。

 そして四年の歳月が流れ、ルッグと大商人の娘ミイルンは十五歳になった。

 * * *

 ある日の午後、商家の所有する森で薪に使える木切れを拾い集め、それを背負って帰って来たルッグに、ミイルンが声をかけた。
「ルッグ、ちょっと探し物があるから手伝って頂戴ちょうだい……今すぐ屋根裏部屋へ来て」
「しかし……お嬢さま……」
 森から背負って来た木切れをまき置き場に積んで、庭の雑草を刈り、それから馬小屋へ行ってふんの始末をして干し草を馬たちに与えて……

(言いつけられた仕事は山ほどあるんだ……屋根裏で探し物など……家の中の事なら、メイドたちの誰かに手伝ってもらえば良いじゃないか)
 そう言いたかった。
 しかし、『一方的に命令する種族』であるお嬢さまに対し、『一方的に命令される種族』である少年下僕のルッグが異議を唱えられるはずもなかった。

「なにをぐずぐずしているの! 早くその薪の束を置いて私にいてきなさい!」
 一方的かつ高圧的な声で『お嬢さま』ミイルンが言い、彼女はルッグの返事を待たずにクルッと後ろを向いて、すたすたと屋敷の中へ入ってしまった。

 ルッグは(お嬢さまに聞こえないように)め息をき、急いで薪の束を縛り付けた背負子しょいこを下ろして、ミイルンの後を追った。

 玄関から屋敷の中へ入ると、階段を昇って二階へ向かうミイルンの姿が見えた。
 屋敷の中では静かにしなさい。廊下を走るなど、もってのほかです……と、奥さま(ミイルンの母親)から、きつく言われていた。

 しかし、階段の踊り場で一瞬振り返ったお嬢さまの顔には「なにをぐずぐずしているの? 早く私を追って来なさい」と書いてあった。
 仕方なく、ルッグは長い脚を使って階段を一段抜かしに、しかし出来るだけ音を立てないようにして昇った。

 この四年間で、ルッグは随分ずいぶんたくましくなった。身長も並の大人よりも高いくらいに成長していた。この四年間の厳しい肉体労働の結果なのか、もともと身体的に恵まれた家系だったのか、それは分からなかったが。
 だから、その気になればすぐにでもお嬢さまに追いつく事は出来た。
 しかし、ルッグの心の中にある『何か』が、ミイルンの体に近づく事を恐れていた。

 この四年間でルッグの肉体が著しい成長をげたように、ミイルンの体も美しく成長しつつあった。
 美形の奥さまの血を良く受け継いで、もともとミイルンは可愛らしい女の子だった。
 それが、この一年で見違えるほどの輝きを手に入れていた。
 やや眼差しをしているのが唯一の欠点と言えば欠点だが、それ以外は、ほぼ完璧な美少女と言えた。
 美しい変化は、顔だけでなく体全体に及んでいた。
 少女らしい華奢な骨格のまま、胸と腰回りは日に日にふっくらと丸みを帯びて張り出しつつあった。

 ミイルンような美しい少女が同じ敷地内に住んでいて日常的に顔を合わせているとなれば、思春期の少年なら意識するなという方が無理だろう。
 ルッグとて例外ではなかった。
 お嬢さまが視界の中に入っただけで、作業をする手が止まり無意識にボーッと彼女を見つめる事が何度もあった。
 一日の仕事を終え、くたくたに疲れて倒れ込んだ物置小屋の粗末なベッドの上で、お嬢さまの夢を何度も何度も見た。

 しかしその一方で、少年は、何故かは分からなかったが、この美しい少女を恐れていた。
 この少女ひとに近づいては、いけない……ルッグの中にある無意識的な『何か』が激しい警告を発して、その美しさに吸い寄せられそうになる彼を引き留めていた。