リビングデッド、リビング・リビング・リビング

禄坊家(その13)

 地下室には、根菜類の入った段ボール箱や、買い置きの醤油、缶詰、トイレット・ペーパーなどが棚に整然と並べられていた。
「お袋の『特売品買いだめ癖』には、僕も親父も辟易へきえきさせられたものだけど……こうなると、地下室の買いだめ品が宝の山に見えてくる、な」
 棚をチェックしながら禄坊が言った。
 地下室の端には、三十キロ入りの米袋がいくつも積んであった。
「米は当分持ちそうだな」
 風田がつぶやき、禄坊が「うちも田んぼを持っていますから」と答える。
「農作業自体は近くの農家の人に委託してますけど、ね……当然だけど、農家は米を自給自足します。次の収穫期までの米はありますよ」
「それは、ありがたい」
「でも、兄貴が独立して、僕と両親の三人暮らしでした。今は九人の大所帯だ。単純計算で三倍の消費量です。みんな食べ盛りだし予想以上に早く底をつくかもしれません。……お、ドッグフードも結構、備蓄が有るじゃないか……これで、当分はアルテミスも腹をかさずに済みますね」
「いざとなったら、人間の食料にもなるだろう」
「ええ? ドッグフードを食べるんですか?」
「いざとなったら、さ。なりふり構っては、いられない」
 それから、風田はポケットからメモ帳を出し、禄坊が読み上げる棚の品々を書き込んでいった。

 * * *

「さっきは、すいませんでした」
 地下室の備蓄品をあらかたチェックし終え、禄坊が風田に言った。
「興奮してしまって……隼人くんに罪は無いのに」
「謝るなら、俺じゃなくて隼人くんに謝るんだな」
「分かりました……あの、隼人くん、大丈夫でしょうか? 僕になじられてショックを受けたんじゃ……」
「ショックなら、とっくに受けているさ。凶悪なウイルスを開発したのが自分の父親だと知った時点で……まあ、でも、大丈夫だ。隼人くんは強い少年だから」
「そう言ってもらえると、僕としても、多少は心の負担が軽くなります」
「俺は、君の方が心配だよ」
「え?」
「君は、見かけによらず繊細せんさいな心の持ち主らしいからな。それに案外みたいだ」
「そんな……僕は普通ですよ。とくべつ繊細せんさいでも、正義感がある訳でもない……普通です」
「謙遜しなくても良いさ。……しかし……繊細せんさいさにしろ、正義感にしろ、平和な世の中じゃ『機能する』かも知れんが、こういう状況じゃ、かえって『機能不全』を起こして邪魔になるかもしれんぞ……老婆心ながら、ご忠告申し上げておくよ」
「へへ……風田さんは相変わらずドライなんですね」
「ドライで結構、ドライ上等だ……じゃあ、ドライついでに聞くが、禄坊くんは〈噛みつき魔〉の発生原因がウイルスだと聞いて、どう思った?」
「どう……って……驚いたのが半分と、ああ、やっぱりなという気持ちが半分でしょうか……半分は予想していたというか……」
「いや、そういう意味じゃなくて、だな」
 風田は「フムン」とうなってしばらく考え「実は、俺には他人に言えない趣味があってね……」と言い出した。
「趣味、ですか?」
「小説書き」
「ええ?」
「子供のころからオカルトとか怪奇小説とかホラー映画が好きでね。二年ほど前から、ウェブの小説投稿サイトに怪奇小説を投稿しているんだ。まあ、恥ずかしくて会社の同僚には内緒にしているけど」
「へええ。風田さんにそんな趣味があったなんて意外ですね。小説投稿サイトっていうと、『マルヨム』とか『文筆家になろうぜ』とか、ああいうのですか?」
「なんだ、禄坊くんも知っているのか?」
「文芸サークルの先輩が投稿していて、『お前も登録して、俺の小説にポイントを入れろ』ってうるさいんですよ」
「ホ、ホントかよ! じゃ、じゃあさ、『赤葉台あかばだいあさひ』って作者、知らない?」
「いいえ」
「そ……そうかぁ……」
 がっくりと肩を落とした風田に、禄坊が「誰ですか?」とたずねる。
「誰ですか? その赤葉台あかばだいあさひ……って、まさか……」
「そう……それが俺のペンネーム」
「はあ……」
「まあ、そんな事は、この際どうでも良い……話を戻すぞ……俺、そのサイトに怪奇小説を投稿していてね。ブードゥー教の秘儀を扱ったホラー小説なんだ」
「ブードゥー教、ですか? 名前だけは聞いたことあるけど。確かハイチとか、あの辺の宗教ですよね?」
「日本と違って、向こうは土葬だろ? ブードゥー教の魔術師の中には、墓場から死体を掘り返して『魔法の粉』……ある種の薬物……を振りかけることにより、死者をよみがえらせて操る者がいるんだ」
「それ本当ですか? な、何のために?」
「もちろん非科学的なただ話だよ……蘇らせる理由は、主に農場などで働かせるためだ。……死体だから飯を食わない、魔法で操られているから従順で文句も言わない。理想的な労働者、という訳さ……その、蘇った死体をブードゥーでは『ゾンビ』と呼ぶのだが……日本でも陰陽師などは式神を使役したというし、中国では道教の術者が操る殭屍きょうし(キョンシー)なんてのもあるし、魔術師がある種の霊的な存在を操るというのは、洋の東西を問わず有りがちな話なんだろうな」
「陰陽師の式神に、道教の殭屍キョンシーに、ブードゥー教のゾンビ……ですか」
「あるいは、昔のカリブ海周辺や中南米あたりには……健康な若者を拉致らちして、ある種の植物から採取したアルカノイドなどの向精神物質を投与し、薬物依存にさせて農場や鉱山で強制的に働かせる、なんて悪事を働くやつらが居たのかもしれない……薬物を投与され、遠くの町の農場で夢遊病のような状態で労働させられている所を、偶然、家族が見かけて『行方不明になって死んだと思っていた息子が生きていた!』なんて言い出したのが、伝説の始まりかもな」
「ゾンビ、ねぇ」
「とにかく、その『ゾンビ』をテーマにした怪奇小説を俺は小説投稿サイトにアップしていたんだよ。『悪い魔法使いに操られた何十体もの〈生きている死体リビングデッド〉たちを主人公がバッタバッタと撃ち殺す』っていう小説を、さ……でも、それって相手が怪物モンスターだから許される話だよな、って気づいたよ。もともと死んでいるんだから、いくら殺しても罪にはならないだろ? 法的にも、倫理的にも」
「怪物なら、殺しても罪にはならない……って、まあ、そうでしょうね」
「じゃあ〈?」
「え?」
「隼人くんの告白でハッキリしただろう? 彼らは墓場からよみがえった化け物ゾンビなんかじゃあ、ない……運悪くウイルスに感染し精神をおかされた『病人』だぞ? 本来なら、保護して治療すべき可哀かわいそうな人たちだ」
「……」
「禄坊くん……学校で同級生がインフルエンザにかかっていると分かったら、君ならどうする? このまま彼が教室に居続ければ、いずれクラスのみんながインフルエンザに感染してしまう……しかし、だからといって、?」
「そ……そんな……それは……か、風田さんは、どうなんですか? 〈噛みつきウイルス〉に感染した、その『可哀そうな患者さんたち』を、風田さんは、どうするんですか?」
「本来なら保護し治療すべき人たちを殺すのは非人道的で許されざる行為だ……しかし、それでも、。自分自身を、仲間たちを、大切な人を守るために、な」
 言い切った風田に、禄坊は返す言葉が無かった。
 何らかの病気にかかった人が他人に危害を加えたとしても、それは病気のせいであり、病人自身の責任ではないと、昨日まで国を支配していたエリートたち……政治家や裁判官や弁護士や学者たちは言った。
 ……ならば、それによって誰かが傷ついたという事実、それ自体に対する責任は誰が負うのだ? 
 健康な人間がその病人を返り討ちにして殺したとき、その責任は誰が負うのだ?
「風田さん……〈嚙みつき魔〉……いや〈嚙みつきウイルス〉感染者たちは、なんで他人に危害を加えるんでしょうか? なんで他人に噛みつくんでしょうね? 見ていると、ただ噛みつくのが目的で、食べているって感じでもなさそうだけど」
「隼人くんの父親も、〈噛みつきウイルス〉患者は血液からの栄養補給はしない、と言っていたらしいな。……だとすれば胃や腸などの消化器官なども機能していないだろう。それらも血液による栄養伝達をベースにしたシステムだからだ。……俺は医者でも生物学者でもないから確かなことは言えないが……『ウイルスの本能』という説は、どうだ?」
「ウイルスの本能? 電子顕微鏡じゃなきゃ見られないような存在に、本能なんてあるんですか?」
「俺は医者でも生物学者でもない、って言っているだろう? 学術的に何と言うのかは知らんが……『本能』という言葉が不適切なら『生存戦略』とでも呼ぶか……たとえば、カタツムリやカマキリに寄生するある種の寄生虫は、宿主であるカタツムリやカマキリの神経を操って、わざわざ鳥に食われるように葉っぱの先端に移動させたり、水の中へ飛び込ませるというじゃないか。そうやって鳥の体内に寄生して遠くまで飛んで行ったり、水の中にいだして、次の宿主を探すらしい」
「そうか……仮に〈噛みつきウイルス〉の伝染力がそれほど強くないとすれば……つまり、傷口からの血液感染以外のルートを持っていないとすれば、ウイルスが次の宿主に移動して繁殖するためには、今の宿主に『噛みつかせる』のが一番手っ取り早い、という訳ですね」
「だとすれば、〈噛みつきウイルス〉患者がアルテミスに興味を示さなかったり、猫がアルテミスを見て逃げた事にも納得がいく。〈噛みつきウイルス〉は犬には感染しないから、宿主を操ってアルテミスに噛みついてもウイルスとしては何の得にもならないという事だろう。それどころか、逆に返り討ちにあって宿主に死なれでもしたら、元も子もない」
「でも、アルテミスも追いかけて吠えたりはしますが、本気で攻撃しようとはしませんでしたね」
「犬は鼻が利くからな。相手が病気だという事を察知しているのかもしれない。このんで病気の生き物に近づきたがる奴は居ない。犬も一緒だろう。自分の生活圏から追い出せれば、それで良い……という事なんじゃないか?」