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禄坊家(その11)

「隼人くん……今の話をみんなに知らせて置きたいんだ。この集団の生存確率を高めるという意味でも、重要な情報は共有して置きたい」
 禄坊家の居間で、丸椅子に座った風田が相向かいのソファに座っているおいに言った。
「み、皆って言うと……」
「文字通り、今この屋敷に居る全員に、だ。夕食の後に言おうと思う。もちろん、毒入りオレンジジュースの件は黙って置くつもりだ。しかし、君のお父さんたちが自衛隊の研究所で非人道的な実験の末、特殊なウィルスを作りだし、その結果……大げさに言えば……一夜にして文明社会が滅んでしまったという事実は取りつくろうことが出来ない。お父さんがその『一級戦犯』だ、ということは、ね」
「そうですか……」
 隼人はしばらく考え込んでいたが、最後に決心したように風田の顔を見た。
「わかりました。叔父さんの判断に任せます」
「ありがとう」
 風田は立ち上がり、丸椅子を元の場所に戻すと、おいに「昨日から色々大変だったし、夜は車中泊だったから疲れただろう?」とたずねた。
「順番が来たらシャワーを浴びで、夕食までゆっくり休みたまえ」
「わかりました」
「俺は、まだ禄坊くんに用があるから」
 そう言って、風田は、ソファに座る少年を一人残し、居間から出て行った。

 * * *

 十数分後、風田と禄坊は納屋の中に居た。
 それぞれ一丁ずつクロスボウを持っていた。
「たしか、この辺に……ああ、あった、あった」
 禄坊が大きなサイコロようのクッション椅子みたいなものを納屋の奥から引きずり出した。
「それが、さっき言っていた『ターゲット・バッグ』かい?」
「そうです。ほら、ここの側面に、同心円が書いてあるでしょう? これがまとというわけです」
 禄坊が指さす所を見ると、確かに赤と黄色に塗り分けられた円があった。無数の穴は、禄坊の父親がクロスボウの矢を放った跡か。
「中は衝撃吸収材です。刺さった矢にダメージが無いよう配慮されています」
 二人は、ターゲット・バッグを持って芝生を敷き詰めた庭に出た。
 庭の端にターゲットを置き、クロスボウを手に反対側の端に行く。
 万が一にも事故が起きないよう、母屋を背にしてまとに向かう。
 まずは、射撃姿勢のレクチャーから始まった。
「基本的な射撃姿勢は、銃もクロスボウも同じです。標的に向かって左肩が前になるよう斜めに構え、銃床を右肩に当てて、左手を銃身の下にえて支える……そうです……そして銃床に右頬を付けて、照準サイトのぞく……試しにターゲットを狙って見てください……そう。そんな感じです」
 矢をつがえずに、風田に何度かターゲットを狙わせた後、禄坊は「まあ、そんな所でしょう……じゃあ、次はいよいよ弦のコッキングと実射です」と言った。
「この部分を見てください……この先端に付いているのがスティラップ……つまりあぶみです」
 禄坊が、クロスボウの先端に付いている輪っかを指さして言った。
「こうして、先端を地面につけてあぶみを片足で踏み、腕だけでなく脚や背筋の力を使って弦を引き上げる訳です」
「なるほど」
 風田が見様見真似みようみまねでクロスボウのあぶみを踏み、弦を引き上げようとする。
「痛ててて……」
 指に食い込むげんの痛さに顔をしかめ、諦めて手を放す。
「素手で弦を引くのは難しいですよ……そこで、この……」
 禄坊がポケットから紐を二本取り出し、一本を風田に渡した。
「滑車付きコッキング紐を使うんです。こうやって、小型滑車のついたフックを弦に引っ掛けて、両端のグリップを握って一気に引き上げれば……」
 弦が鉤爪かぎづめに掛かる「カチンッ」という音がした。
「半分の力でコッキングできますし、指も傷まない。やってみてください」
 言われた通りコッキング紐を掛けて引くと、確かに、さっきとは比べものにならないほど簡単に風田にもコッキング出来た。
「コッキングが完了したら、地面から持ち上げ、ボルト・ホルダーから矢を外してレールにセットすれば、発射準備完了です……おっと、周囲に気を付けてください。誤って人を撃たないように……さっき教えたように構えて……狙いをつけて……引き金を……引く」
 解放された弦が矢を押し出し、矢は、もの凄い勢いで飛んでクッション材入りのターゲットに「バスンッ」という音と共に突き刺さった。
「初めてにしては、まあまあですね……あとは反復練習あるのみ、ってところでしょうか」
「案外、矢を一本撃つのにも手数が掛かるんだな……」
 風田が、少々不満げに言った。
 禄坊が「まあ、そうですね」と相槌あいづちを打つ。
「それがクロスボウの最大の弱点です。いったん地面に置いて、あぶみを踏んで、ポケットからコッキング紐を出して引っ掛け、弦を引き、コッキング紐を外してポケットにしまい、矢をセットして構える……これでやっと射撃ですからね」
「迫り来る多数の敵に対しては、とても有効とは思えん」
「敵って、いったい誰の事ですか?」
「……」
「やっぱり〈嚙みつき魔〉……ですか?」
「……ああ。それと……」
「それと?」
「いや。何でもない……とにかく、こんな世の中になっちまったんだ。何であれ護身用武器の使い方をマスターしておくのは悪い事じゃない。練習するよ」
 黒板塀くろいたべいで囲まれた庭で、風田は夕暮れまでクロスボウの練習に励んだ。
 禄坊も風田の練習に付き合い、自分自身、出来るだけ速くコッキングしてクロスボウを撃てるように何度も何度も同じ動作を反復した。

 * * *

 辺りが暗くなり練習が出来なくなって、禄坊たちはターゲットを納屋に戻して屋敷の中に入った。
 クロスボウを銃保管室に仕舞い、鍵を掛ける。
「禄坊くん、先にシャワー浴びなよ。俺は最後でいい」
「そうですか? それじゃあ、お言葉に甘えて風呂に入らせてもらいます」
 そう言って、禄坊は、いったん二階の自室に戻り、着替えとタオルを持って風呂場へ向かった。
 シャワーを浴び終わり、風呂場から出て台所に行ってみると、食事当番の志津倉美遥は当然として……意外なことに玲も一緒に料理を作っていた。
 小学生の速芝隼人と沖船奈津美、それにめいの亜希子が二人を手伝っていた。食器を出したり芋の皮をむいたりしている。
「へ、へええ……玲さんって料理できたんですか?」
 禄坊の言葉に玲が振り返り、ムッとした顔で言った。
「ちょっと、禄坊くん、それ、どういう意味よ? あんた、私を馬鹿にしてるの? 今どき大学生にもなって料理の一つも出来なくてどうするのよ」
「ば、馬鹿になんかしてませんよ。そ、尊敬して言ってるんじゃないですか」
「どうだか……どうせ実家通いの禄坊くんの事だから、料理洗濯ぜんぶ親まかせだったんでしょ? 玉ねぎの皮の一つでも、むいたことあるの?」
「ま、まあ……それは……」
「ふん……いつだったか誰かが『実家通いの男は料理が出来ないから駄目、一人暮らしの男は料理が得意な代わりに、こだわりが強すぎて面倒めんどうくさいから駄目』って言ってたけど……ありゃ、真実ほんとうみたいね」
 個人の家にしては、やけに広々とした台所を見回しながら、玲が続ける。
「それにしても……禄坊くんの家が豪邸ってのは分かったけど、お台所まで広々してるのね……すでに独立してるっていうお兄さんを含めても、家族四人でしょう? それなのに食器類もに多いし」
「僕の家は、江戸時代から続く地主の家系なんですよ。いわゆる『庄屋』だったんです。第二次世界大戦後の農地解放で田畑の相当部分は失いましたけど、ね……それでも広大な山林を所有しています。県の森林組合の中じゃ、今でも顔役ですよ……で、祭りの日なんかは集落の人を呼んで座敷で料理を振舞ふるまうのが暗黙の義務になっていまして」
「それで、この無駄に数の多い食器類、って訳か……なるほどねぇ……県下一の建設会社社長にして先祖代々続く庄屋様……由緒正しき『地方のセレブ様』って訳だ……こりゃ、御見おみそれしました。東京のサラリーマンの娘が太刀打ちできる相手じゃないわ」
「そんな、よしてくださいよ。しょせん、いずれは全部兄貴の物ですよ。会社も、この屋敷も、田畑でんぱたも山林も。僕は僕で、自分のかてを得なきゃならない。まあ、僕としても、その方が気楽で良いですけど……でも……」
 禄坊が急に真顔になった。
「でも、もう、そんな家柄も無意味になっちゃったかもしれませんね……家柄も、学歴も、経済力も……価値の無い時代になったかも」
 一瞬、玲と美遥が禄坊を見つめた。
 二人の女を交互に見返して、禄坊がめ息まじり言う。
「こんな時代の男の価値って、何でしょうね? いったい僕らは何を目指せば良いのか……」
 玲が「うーん」と考えるふりをした後、ニヤリッと笑った。
「性欲の強さ、とか?」
「えっ?」
 玲の『めた』冗談に、台所に居た全員が凍りつく。
「日本中が〈噛みつき魔〉になったのなら、急激な人口減は必至だからね。『若者よ! 田畑に種をけ! 少子高齢化に歯止めをかけよ!』なんてね」
「ねえねえ、玲おねえちゃん『せいよく』ってあに?」
「ちょ、ちょっと玲、いきなり何を言い出すの!」
 あたふたとする美遥に、禄坊が「そ、そうですよ! 僕の姪っ子の前で変なこと言わないでください」と同意する。
 その横で、小学校六年生の隼人と奈津美が二人並んで顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「おお? 六年生の諸君は、お姉さんの言っている意味が分かったようだな? ちゃんと保健体育の授業は受けてるみたいだな。感心かんしん感心かんしん
 玲が二人を冷やかす。
 奈津美が、たまらなくなってタタターッと走って台所から出て行った。
 出て行く奈津美の後姿うしろすがたを見送り、隼人を振り返って、玲がさらに冷やかした。
「少年よ、喜べ! ありゃあ、ですぜ。早速さっそく、将来、種を植える畑の候補が見つかったじゃないの」
「ちょっと、玲! いい加減にして!」
 同級生の顰蹙ひんしゅくを無視して、玲が、まるで親父ギャグを言い放った直後の中年管理職ように、満足げに「がっはっは」と笑った。
「そ、そうですよ! 僕ら男は、種を植える機械なんかじゃありません!」
 禄坊が、どこかで聞いたようなセリフを叫んだ。