ハーレム禁止の最強剣士!

アラツグ、穀物倉庫に不法侵入す。

1、財団の男

 都市国家サミアの城壁外都下(じょうへきがいとか)クリューシス町(まち)。その新興住宅地を縦横に走る赤土の路地を、一人の男が早足で歩いていた。
 背は低く、小太り。年齢は三十代後半といったところか。目つきが鋭い。
 一見、行商人風の服装に、春物のマントを羽織(はお)っている。
 男は路地を足早(あしばや)に歩きながら、自分の太鼓腹を擦(さす)った。
「やれやれ、最近、この辺がきついな。訓練を怠っているつもりは無いのだがな。これも年齢(とし)のせいか」
 やがて四つ角に着くと、塀に身を寄せ、いつのまに出したのか小さな手鏡を右手に持ち、それを、角を曲がった通りに差し出す。
 自分の体を晒(さら)さず、手鏡で向こうの様子をうかがう。
 小さな鏡に写るのは、少年と少女。
 少年は、かなりの長身だ。黒い短髪。腰に長剣を下げている。
 少女は、見るからにラテン系と分かる長い黒髪と小麦色の肌。細身だ。
「あのガキ、エルフの美少女に振られて、ついさっきまでわんわん泣いてたと思ったら、こんどはラテン美少女と御手々(おてて)つないで御(お)デートかよ。良い気なものだ」
 二人の歩みが止まった。
 何事かを話し出す。内容は聞き取れないが言い争っているようにも見える。
「いいから、さっさと、家に帰れっ!」
 突然、少年が怒鳴った。
「馬鹿ぁーっ!」
 少女が叫んで、走り出した。こちらに向かってくるかと思ったが、ちょうど少年と小太りの男の中間点にある脇道に入って直(すぐ)に見えなくなった。
 一瞬、迷ったが、少女の方は捨て置くことにした。
 本来なら尾行は最低でも二人、できれば三人以上で行うべきだが、成り行き上、今は自分ひとりだ。
 二人以上いれば、ここで二手に分かれて少年と少女を別々に尾行できるが、ここは優先順位を決めて選択せなばなるまい。
 少年と少女は、どうやら知り合いのようだが、まず、あの少女と怪物の死骸は関係ないだろう。
 少年が、再び歩き出す。
 男は少年の視界に入らないよう細心の注意を払いながら彼を追った。
 角を曲がり、角を曲がり、角を曲がる。
「ガキめ、どこへ行くつもりだ」
 思わず呟(つぶや)く。
 やがて、少年はレンガ塀に囲まれた大きな建物の前で足を止めた。
 建物自体の壁も、剥(む)き出しのレンガ積だ。この町の他の建物のように白漆喰(しろしっくい)は塗られていない。
 少年は、高さ二レテムはあろうかという鉄格子の門扉(もんぴ)の上端に手をかけて、一気に飛び越え、あっという間に見えなくなった。
「ほう?」
 あのガキ、なかなかやるではないか。
 太鼓腹の商人風の男は、注意をしながら門に近づく。門扉(もんぴ)の隙間から中を覗(のぞ)く。
 少年剣士は、居ない。
「チッ」
 舌打ちして、男も直(すぐ)に鉄格子を飛び越えた。
 その身のこなし、とても商人とは思えない。
 塀の内側に柔らかく着地。すぐさま建物の玄関脇に走り寄る。
 大きなレンガ造りの建物、その出入り口の扉は、錆止(さびど)め処理されたごつい鎖と錠(じょう)でしっかりと縛られている。
 ……いや……縛られていた。
 今はその鎖(くさり)を解かれ、扉がわずかに開いている。
 鎖(くさり)を手に持って調べてみる。
 見事に断ち切られていた。
 その切り口の鮮やかさを目にして、男は何故(なぜ)か、あの怪物の傷痕(きずあと)を思い出す。
 ぞっ、としたものが男の背筋を走った。
「こ、これを、あのガキがやったのか? 剣で? いや、まさか……まさか、な」
 男にもうすこし思慮があれば、鎖(くさり)を薄(う)っすらと覆う錆(さび)とは対照的なその切り口の真新しさを見て、それが「たった今切り落とされたもの」だと気づいたはずだ。
 しかし、まだ二十歳にも達していないような少年、エルフを口説いて当然のように振られ、泣きじゃくっていた少年……まさか、その少年が……という先入観が、男の判断力を鈍らせた。
 右手を背中に回し、マントの中に隠していた大型のナイフを持つ。
 ばね式投(なげ)ナイフだ……柄(つか)の中に仕込まれたばねの力でその刃を射出する特殊なナイフ。
 もちろん、ばねを抑えている金具を押さなければ、通常のナイフとしても使える。
 左手でゆっくりと扉を開け、素早く建物の中に入る。
 投(なげ)ナイフの切っ先を左右に振りながら、辺りをうかがう。
 自分が緊張しているのが分かった。
 汗が一滴、頬を伝って顎(あご)から落ちる。
(あの少年剣士(ガキ)に緊張させられている? この俺が?)
 建物の中は、がらんとした広い空間だった。
 ほとんど何も無い。
 わずかに、奥のほうにガラクタが積み上げられているだけだ。
 この建物は長い間使われていない。
 床(ゆか)に積もった埃(ほこり)を見れば分かる。
 ヤツは何処(どこ)だ?
「ここに居るよ」
 突然、建物内に響いた声に、思わずビクッ、となる。
 奥のガラクタ、その裏で影が動いた。
 黒髪の少年剣士……アラツグが姿を現す。
 既に長剣を抜いて右手に持っていた。
 左手に棒手裏剣(ぼうしゅりけん)を三本持って、それを器用に回している。
「ここは一年前まで、クリューシス町(まち)の町営穀物倉庫(こくもつそうこ)だったんだ」
 聞かれもしないのに建物の説明を始める。
「見ての通り老朽化が激しくてさ。ネズミやら虫の被害が酷いんで、一年前に新しい穀物倉庫が完成すると同時に使われなくなった。町としては直(すぐ)にでも払い下げたいんだろうけど、今のところ、ここを買いたいっていう商人は居ないようだ。……つまり……」
 そこで、小太りの男が話を引き継ぐ。
「ここなら、滅多(めった)に人がこない……何があっても人に見られる可能性は低い……と」
 アラツグが頷(うなづ)く。
「へへ……ここで決着を付けようって訳かい? 大した自信だな」
 言いながら、前へ、アラツグのほうへ進んでいく。
 アラツグも、男の方へと歩いていった。
 何も無いがらんとした建物の中央、七レテムの間合いを取って、二人同時に止まる。
「お前(め)ぇ、いつから気づいていた? 俺のことをよ」
「結構、早い頃に……あれ? って思ったよ。おじさん、隠密(おんみつ)か何かだろ? その割りに、尾行は下手だね」
「言ってくれる。だが……まあな。俺ぁ、お前(め)ぇをちょっと見損(みそこ)なってたようだな。エルフの女を口説くなんざ、正気の沙汰(さた)じゃねぇ。何処(どこ)の色惚(いろぼ)けしたアホガキかと思っていたが」
「うぐっ……おじさん、そこには触れないでくれよ。今の俺には痛すぎる」
「案外、出来(でき)る奴だった……て、訳だ。あの化け物の死骸、お前(め)ぇが殺(や)ったのか?」
「違うよ」
 しばらくの間、黙って睨(にら)み合うアラツグと男。
「……て、言っても納得しないか……」
 と、ため息混じりに言うアラツグを見て、商人風の男がニヤリと笑った。
「こういう状況になってしまうと、ああそうですか、と引き下がる訳にもいかねぇな」
「おじさんこそ、何者なんだよ。どこかの隠密(おんみつ)みたいだけど……何の目的があって、俺の後(あと)なんか追(つ)けていたんだよ」
「そりゃ、こっちも言えねぇな」
 男が左の握りこぶしを顎(あご)に当て、親指でぼりぼり顎(あご)を掻(か)き始めた。
 その動作に、アラツグの目がスッと細まる。
 棒手裏剣(ぼうしゅりけん)を弄(もてあそ)んでいた左手をグッと握り締め、直(すぐ)に緩(ゆる)める。いつでも投げられるように。
「まあ良いさ」
 太鼓腹の男が、アラツグに言った。
「こっちも商売だからな。強引に白状させる方法は幾(いく)らでも知ってるよ。こうなっちまうと、そっちの方が手っ取り早いくらいだ。安心しろ、聞きたいことは山ほどある。即死させることはない」
「そりゃ、こっちのセリフだよ。おっさん」
 いきなり、太鼓腹の男が顎(あご)に当てていた左の拳を口元に持っていくと、親指と人差し指の間に息を吹き込んだ。
 アラツグの並外れた動体視力が、その握った左手の小指の側から、針のようなものが数本、自分に向かって飛び出すのを捉(とら)える。
 常人なら、絶対に見えない細さ、絶対に見えない速度だった。
(吹き矢!)
 左手の握(にぎ)り拳(こぶし)の中に小型の吹き矢筒を隠し持っていたのだろう。
 針の先には毒……おそらく痺(しび)れ毒が塗ってある。
 アラツグ、体を右に流して毒針を避(よ)けつつ、左手に持った棒手裏剣(ぼうしゅりけん)を三本一度に投げる。
 狙ったのは心臓……ではなく、でっぷりした男の腹だ。急所は狙わない。即死にはさせない。
 カンッ、カンッ、カンッ!
 金属同士がぶつかる音がして、棒手裏剣が三本とも弾かれる。
(ちっ、服の下は鎧か。しかも分厚(ぶあつ)い!)
 七レテムの距離からの軽量な棒手裏剣。相手は分厚(ぶあつ)い金属の鎧。
 鋼(はがね)の剣で鋼(はがね)の鎖を断ち切るアラツグでも、さすがに、これでは貫(つらぬ)けない。
 互いに踏み込み、一気に間合いを詰める。
 男が右手を突き出し、親指でナイフの留め金を押した。敵もアラツグの腹を狙って来る。
 射出される刃。
 アラツグは剣を持った右手を後ろに下げ、左肩を前へ出すことで、体の前面投影面積(ぜんめんとうえいめんせき)を減らし、ぎりぎりでナイフを避(よ)ける。
 しかし、投げナイフは囮(おとり)。
 太鼓腹の男が左手を下から突き上げてきた。
 いつの間に仕込んだのか、握った指の間から、鉄製の鉤爪(かぎづめ)が三本生えている。
 アラツグ、右へ流れながら体を回し、一瞬相手に背中を向け、その回転力を利用して下から上へ掬(すく)いあげるように剣を走らせる。
 伸びきった男の左腕、その手首と肘の中間点を、骨ごと叩(たた)っ斬(き)った。
「がぁーっ!」
 鉤爪を持った男の左手が血を撒(ま)き散(ち)らしながら宙を舞い、男が悲鳴を上げた。
 アラツグ、男に向かって踏み込みつつ、さらに体を一回転させ右手に持った剣の柄頭(つかがしら)を男の左目に突き立てる。
 剣の重心を調節する錘(おもり)の役目を持たせるため、柄頭(つかがしら)は握り部分より太くなっている。
 それを強引に男の左目にめり込ませた。
 ぐしゃっ、という眼球の潰れる音。
 しかしアラツグ、そこで手加減をする。剣を引く。今は殺さない。
 右手で左目を押さえ、埃(ほこり)まみれの床(ゆか)の上でのた打ち回る男。
 押さえている指の間からどくどくと流れ出す血。
 切り落とされた左腕からも多量の血が流れ出て、床(ゆか)を濡らしていく。
 その左腕をアラツグが戦闘長靴で踏みつけた。
「ぐふぅっ」
 男が意味の無いうめき声を上げる。
 アラツグは床(ゆか)に仰向けになった男の喉元(のどもと)へ長剣の切っ先を当てた。
 男を見下ろす少年剣士(アラツグ)。
「勝負あったよ。おっさん。……さあ、答えてくれ。あんた、何者だ? 俺の後(あと)を追(つ)けた理由は何だ?」
 太鼓腹の男は、答えない。
 歯を食(く)い縛(しば)り、アラツグを睨(にら)みつける。
「これでも、剣士の端(はし)くれだからさ。いざとなれば、俺だって人を殺すのに躊躇(ちゅうちょ)はしないぜ? それに、そのまま黙り続けていても、いずれ出血多量で死ぬよ。それでも良いのかよ」
「き……きさま、こそ……何者だ……こ……この、剣さばき……じ、尋常(じんじょう)じゃねぇ」
 男がアラツグを見上げ、食(く)い縛(しば)った歯の間から唸(うな)るようにして、問う。
「俺か? 俺は……ひきこもり剣士? かな……」
 その瞬間、失った左目を押さえていた男の右手が、そのまま首の後ろへ伸びて、項(うなじ)と襟(えり)の間へ潜(もぐり)り込んだ。
 男の指先が、背中に仕込んだ極細の針金(ワイヤ)を引く。
 同時に男の太鼓腹……いや、太鼓腹に偽装した鎧の内側から、黄色味がかった高圧の気体がアラツグの顔めがけて噴射された。
「ぐあ!」
 思わず呻(うめ)いて目を閉じるアラツグ。
 危険を察知して後ろに飛び、男との間合いを取る。
 激痛が喉を焼き、閉じた目から涙が止まらない。
「さ……催涙瘴気(ガス)?」
 太鼓腹の……いや、太鼓腹に偽装した男も、一帯に漂う瘴気(ガス)を避(さ)けるため、床(ゆか)に寝たまま、もの凄い速さで移動して、充分な距離をおいて立ち上がった。
 アラツグと男……黄色い瘴気(ガス)の塊(かたまり)を間に挟(はさ)んで対峙する。
「この瘴気(ガス)……」
 血まみれ男がアラツグに言う。
「この瘴気(ガス)の高濃度直撃を受けると、最低でも半日は涙が止まらず、目がみえねぇ」
 右手を背中に回し、二本目のナイフを取り出す。
 講釈(こうしゃく)を垂(た)れる余裕など無いはずなのに、男は、しゃべるのを止めない……何かを待っているのか?
「安心しな。瘴気(ガス)吸ったぐれぇで死にゃあしねぇし、後遺症も残らねぇさ。俺に殺されなければの話だがな。そんな代物(シロモノ)だったら、噴射したこっちの命まで危ねぇからよ。そして、俺は、訓練で多少の耐性は身につけている。……今、何を待っていると思う? 瘴気(ガス)が薄まるのをさ。瘴気(ガス)が拡散して薄まった今なら、俺なら耐えられる!」
 言うなり、濃度の低くなった瘴気(ガス)を突き抜けてアラツグに走り迫った。
 男の片方だけ残った目……その白目が真っ赤に充血する。
 しかし、アラツグと違い、目を閉じることはない。
(勝ったな。これで逆転だ)
 右手に持ったナイフを突き出す。
 ……しかし……
 突き出されたナイフを、目の見えないはずのアラツグが避けた。
 体を左に流しながら、右手の長剣を一瞬で逆手に持ち換える。
 そのまま、驚愕の表情を顔に張り付かせている男の右腋(わき)の下(した)、商人服の下に着込んだ鎧(よろい)の隙間(すきま)から肋骨の間を突いて剣を潜り込ませた。
 腋(わき)の下(した)から入った剣が、右の肺、心臓、左の肺を一気に貫(つらぬ)く。
 反対側の腋(わき)から切っ先が姿を現した直後、アラツグが剣を抜いた。
 その場にくず折(お)れる男。
「ば……馬鹿な……なぜ……分かったのだ」
 言った直後、片方だけ残った目から光が失(う)せた。
 口から多量の血を吐き、男は死んだ。
「音さ……音と、肌の感触。肌で空気の流れを感知したんだ」
 既に死んでいる男に向かって、少年剣士は言う。
 言っている間も、しっかりと閉じたアラツグの目からは涙が流れ続けている。
 呼吸は正常に戻っていた。
「おっさん、古代ニホンに居た『座頭(ざとう)なんとか』って居合いの達人を……知らねぇだろう……なあ」
 血まみれの剣を鞘(さや)に収める。
「死体は、このまま捨て置くぜ。やっかい事に巻き込まれるのも嫌だからな。運が良けりゃ、一ヶ月以内には発見されるだろうさ。あんたも切った張ったの世界で生きて来たなら、どんな死(し)に様(ざま)も覚悟してるよな? ……じゃあな、おっさん」
 腰から鞘(さや)ごと剣を外し、それを杖(つえ)がわりに盲人(もうじん)のようにトントン床(ゆか)を叩きながら、アラツグは死闘を繰り広げたその場所……誰も来ない穀物倉庫を後にした。