青葉台旭のノートブック

映画「河畔の家」を観た

映画「河畔の家」を観た

U-NEXT にて。

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脚本 アレックス・マコーレー
監督 アレックス・マコーレー
出演 アンジェラ・サラフィアン 他

ネタバレ注意

この記事には、以下の作品のネタバレが含まれます。

  • 「河畔の家」
  • 「レフト -恐怖物件-」

ご注意ください。

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感想

まずは、ひとこと。
とても面白かった。

ホラー・ジャンルに分類されているが、どちらかというとダークな大人のメルヘンといった感じだ。

私は大いに楽しんだけれど、万人が面白いと感じるかは、分からない。

日本では大して話題になっていない。
ネットで感想を漁ってみても、ヒットする記事は少ない。

以下、思いついたことを順不同で書く。

主演

母親役のアンジェラ・サラフィアンの印象が、とにかく強い。

いかにも神経質そうな顔立ち。物語の冒頭から既に怖い。

ディナーのシーンで、彼女が「家長の席」に座っていた事に気づいた。
なるほど、この家族の家長は母親なのだな。

アクションにしろ、ホラーにしろ、家長である父親が妻や子を守る映画は数多くある。
シングル・マザーが子を守る映画も、ホラーには多い。

しかし本作品のように、父親が居るにも関わらず、母親がここまで家長の風格を出している映画は珍しい。

一般に、父親が主人公の映画の場合、彼は妻と子を愛するがゆえに身を挺して守る。

ところが本作の主人公の場合、命をかけて守る対象は専(もっぱ)ら我が子だ。
夫は愛情の対象ではなく、軽蔑・嫌悪・怒りの対象だ。

家族の中での父親と母親の役割が交代すると、物語の構造も微妙にシフトするのか。

父親(夫)が主人公なら、命をかけて守る対象は妻と子だ。それがエンターテイメントとしての『お約束』だ。

一方で、母親(妻)が主人公の場合、子を守るのは当然だが、夫を守る必要は無いんだな。
本作品のように、軽蔑や嫌悪の眼差しを向けつつ見殺しにする展開も「あり」なんだ。

物語の構造

先日「 レフト -恐怖物件- 」という映画を観た。

この「河畔の家」と「レフト〜」が、ほぼ同じ構造を持っている事に気づいた。

  1. 主要登場人物は、アメリカの都市郊外に住む現代的な核家族。
    夫、妻、娘の3人。
  2. 夫は、過去に道徳的な罪を犯していた。
  3. 一家は、長期休暇を楽しむつもりで人里離れた一軒家を借りる。
  4. その一軒家は、実は悪魔によって建てられた物だった。
  5. 夫は、悪魔によって裁かれ、過去の罪に対する罰として、その家に永遠に閉じ込められる。
  6. 妻と娘は、現代社会へ逃げ帰る。

構造だけを抽出してみると、もはや、双子と言っても良いくらいに似ている。

しかし私個人の好みからすると、圧倒的に本作「河畔の家」の方が面白かった。

似たような物語でありながら、どうしてここまで差がついてしまったのか、今はまだ理由が分からない。
これからジックリと研究してみようと思う。

両方の映画を観て、ひとつ気づいた事がある。
どちらも「近代的価値観を持つ主人公が、中世キリスト教的な悪魔によって裁かれる」恐怖を扱っている。
近代的な裁判制度ではなく、超自然的な存在(神あるいは悪魔)の圧倒的な力によって裁かれる。
近代的な法律ではなく、とうの昔に欧米人が捨てたはずの中世キリスト教的な価値観によって裁かれる。

つまり「自分たちの理屈が通らない何者か・圧倒的な超自然力を持つ何者かによって裁かれる恐怖」を扱っている。

バイユー

原題は「A House on the Bayou」
直訳すると「バイユーに建つ家」

調べてみると、バイユーとは、ミシシッピー川流域からメキシコ湾沿岸に広がる湿地帯の事らしい。

おそらく多くのアメリカ人にとって、南部的な価値観が根強く残るディープな地域という印象なのだろう。

本作品におけるバイユーの設定は、近代国家アメリカ内部に今も残る「異界」あるいは「魔境」といった所か。

2022-12-06 12:44