短編集「和解・小僧の神様 ほか十三編」を読んだ
短編集「和解・小僧の神様 ほか十三編」を読んだ
作 志賀直哉
収録作品
- 網走まで
- 荒絹
- 剃刀
- イヅク川
- 濁った頭
- クローディアスの日記
- 正義
- 派清兵衛と瓢簞
- 范の犯罪
- 児を盗む
- 話城の崎にて
- 赤西蠣太
- 和解
- 小僧の神様
- 焚火
- 菜の花と小娘
- 佐々木の場合
- 矢島柳堂
- リズム
- 衣食住
- 白い線
- 私の空想美術館
- ナイルの水の一滴
ひとこと感想
今回あらためて読んで、気づいた事。
小説を語っている作者(=志賀直哉)自身の存在を隠そうとしていない。
近代小説では珍しい事だと感じる。
多くの場合、近代小説の作家は、語り部である自分自身の存在を可能な限り透明にしようとする(=3人称)
あるいは登場人物の1人が語り部であるという架空の設定を使う(=1人称)
ところが志賀直哉は、「志賀直哉が語っています、書いています」という事を隠そうとしない。
これが、あの文章の秘訣なのかもしれない。
志賀の文章は、1人称と3人称、小説(フィクション)と随筆(ノン・フィクション)で違いが無い。
この短編集の終わりの方の数編は、小説ではなく随筆だ。
志賀という人物は相当に「嫌な奴」だと、それらを読んで感じた。
戦前の日本社会の中で、志賀の実家はそこそこのお金持ちという印象を受けた。
志賀自身もそこそこのお金持ちだろう。
彼の文章は、短編でこそ生きる。
長編だと、ちょっと飽きる。
「和解」は中ぐらいの長さだが、それでも少し飽きた。
2022-10-15
20:08