青葉台旭のノートブック

映画「神は見返りを求める」を観た

映画「神は見返りを求める」を観た

U-NEXT にて。

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脚本 吉田恵輔
監督 吉田恵輔
出演 ムロツヨシ 他

ネタバレ注意

この記事は以下のネタバレが含まれます。

  • 「神は見返りを求める」
  • 「サンセット大通り」

ひとこと感想

文句なしに、とても面白かった。

テンポ良く話が進み、与えられる情報も過不足なく整理されている。
腕のある監督だ。
他の作品も観てみよう。

この世に「フィルム・ノワール・コメディ」というジャンルがあるとしたら、本作品はその傑作だと思った。
画調はノワール(黒)どころか、キラキラと眩しいくらいに明るくカラフルだったが。

フィルム・ノワールを私なりに定義すると、
「高い地位・名誉・富を持ちながら平凡な才能しかない女、あるいは、平凡な才能にも関わらず高い地位・名誉・富を望んだ女(ファム・ファタール)が、周囲を巻き添えに自滅の道を歩む」物語であり、
「そんな女と出会ってしまった男が、女に引きずられるように破滅の道を歩む」物語の事だ。

本作品は、まさにそういう話だった。

ただし、物語の調子は終始コメディ・タッチだ。
観客は「そうそう、こういう奴って現実にも居るよなぁ、居そうだよなぁ」と半ば呆れながら、クスクスと笑う。

クスクスと笑いながらも、しかし同時に、心のどこかで奇妙な緊張をずーっと強いられる。
なぜか分からないが、いつか恐ろしい事が起きるような気持ちがずーっと続く。
この話運びと演出の手腕が素晴らしい。

ここまで書いて来て、ふと気づいた。
ああ、なるほど、フィルム・ノワールっていうのは「マクベス」の現代版なのか。
つまり民主化された『悲劇』だ。

身分制度が厳格だった古代〜近世までの時代、王侯貴族は様々な特権を独占していた。
同時に、彼らは「破滅する義務」を負っていた。
悲劇の主人公として破滅する事は、王の特権であり義務でもあった。

民主主義の広まりと大衆消費社会の到来によって、悲劇の主人公として破滅する権利(義務)までもが平民の手元に届いてしまった、という訳か。

それでも20世紀までの悲劇の担い手は、芸術家、映画スター、大富豪など、平民とは言え「選ばれし者」が殆(ほとん)どだった。
あるいは、探偵、スパイ、犯罪者、やくざ者、娼婦などか。(彼らアウトローは、裏返しの特権階級だ)

そして21世紀、インターネットの普及とともに、いよいよ「選ばれなかったその他大勢」……才能の無い凡人たち……までもが「世界に向けて発信する権利」を手にし、そのコインの裏面である「肥大化した自我に押しつぶされて破滅する義務」をも背負わされた。

「神は見返りを求める」が表しているのは、そういう世界の到来だな。

キャラクター造形について

話は逸(そ)れるが、先日、白石晃士「ノロイ」を観ながら「この怖さはどこから来るんだろう?」と考えた。
そして一つの仮説を立てた。

「幽霊や怪現象が怖いのではない。
 いかにも実在していそうな登場人物たちが怖いのだ。
 本人の主観(妄想)の中にだけ存在する呪いの力によって、社会のセイフティ・ネットから零(こぼ)れ落ちてしまった登場人物たちが怖いのだ」

われわれ観客は、社会のセイフティ・ネットから零れ落ちてしまった登場人物たちのリアルな姿に『自分もそうなる可能性』を感じて、怖がっているのかもしれない。

この「神は見返りを求める」に登場するのも、いかにも実在していそうなリアルさを感じるキャラクターばかりだ。
そして、その「いかにも実在していそうなリアルなキャラたち」は、みな危うい。
「大物ユーチューバー」の二人組も含めて、ちょっと油断したら社会のセイフティ・ネットから零れ落ちそうな危うさに満ちている。
これが、上映時間中ずっと続く緊張感の正体かもしれない。

悪魔(ユーチューブ)は見返りを求める

この映画のラスト・シーン、背中を刺され精神に異常を来たしたムロツヨシの後ろ姿を見ながら、私はノワール映画「サンセット大通り」の主人公が背中を撃たれプールに浮かんでいる姿をふと思い出していた。

「神は見返りを求める」の登場人物たちが危ういのは、これが一種の「ハリウッド内幕もの」だからかも知れない。

毒々しい虚飾に塗(まみ)れた悪徳の街ハリウッド。
ユーチューバー業界は、その再生産版という事か。

悪徳の街ハリウッドに住まんとする者は誰しも、悪魔に魂を売ってこの街の住民票を手に入れる。
いつの日か必ず、彼らは「魂の支払い期限」を迎える。

「サンセット大通り」の主人公の場合、「こんな街に居てはダメだ。田舎に帰って真面目に生きよう」と思った瞬間に、悪魔の支払い期限が訪れた。
その瞬間、それまで彼を甘やかしていた悪徳の街が、とつぜん牙を剥(む)いて彼に襲い掛かった。

本作品も同じだ。
ユーチューブという文字通り虚構(バーチャル)に彩られた世界に足を踏み入れ、その毒気に当てられ躁状態に陥(おちい)っていたムロツヨシが「ハッ」と我に帰って、もうあの女とは距離を置こう、これからは現実世界で真面目に生きようとアカウントを閉鎖した矢先、そのユーチューブが彼に牙を剥く。

ユーチューブ業界に残った岸井ゆきのや、二人組ユーチューバーは、どうか?
業界に残り続けたからと言って、悪魔が支払いをチャラにしてくれるという訳でもない。
こんな虚構にまみれた暮らしは、いずれ破綻と破滅を迎えるだろう。

そんな観客の無意識の予感が、終始この映画に漂う緊張感の原因かも知れない。

俳優について

主演の二人、ムロツヨシと岸井ゆきのは素晴らしかった。
最初にムロツヨシが登場した時には、ちょっと「良い人」を演じ過ぎてるな、演技が過剰だなと思ったが、途中からは目が離せなくなっていた。
ラスト・シーンも素晴らしかった。

ムロツヨシの後輩は、NHKドラマ「牡丹灯籠」の孝助。若葉竜也。

岸井ゆきのチームの映像ディレクターは「猿楽町で会いましょう」の元カレ。栁俊太郎。

この二人も存在感があった。

余談

上の章で私は、
「王侯貴族が独占していた『悲劇の主人公として破滅する権利(=義務)』が近代になって民主化され、平民の手元に届いた」
という主旨を書いた。

念のために書き加えておくと、日本では、厳格な身分制度のあった江戸時代すでに、平民を主人公に据(す)えた悲劇が幾つも作られていた。

さらに余談

俺もユーチューバー始めよっかなぁ。
ってか、Vチューバーやりたいんだよなぁ。
ダーク・エルフのバ美肉おじさんをやりたいんだ。
でも、芸名が思いつかないんだよ。
Vチューバーは芸名が8割だからな。

良い芸名を思いついたら、バ美肉おじさんになります。

2022-09-13 03:27