青葉台旭のノートブック

ヒーローのマスクについて

ヒーローのマスクは顔の何処(どこ)を覆うべきなのか? について考えてみる。

この記事の前提

本記事では、スーパーヒーローのマスクについて語っていくが、まずは前提となる条件を以下に述べたい。

「コメディ調のヒーロー作品、パロディー調のヒーロー作品については語らない」

コメディ色、パロディ色の強いヒーロー物では、スーパーヒーローを茶化している場合が多いので、今回は議論の対象にしない。

また「そも、ヒーローとは何ぞ」と問い、あるいは自己言及する「メタな」ヒーロー物も除外する。

これらのサブ・ジャンルは、ことさらに「ヒーローという存在の馬鹿馬鹿しさ」を強調する傾向にあり、シリアスなヒーロー物、正統派ヒーロー物とは事情が異なるからだ。

さらに、タツノコプロのガッチャマンなどアニメ作品も除外する。
アニメに於(お)いては、肌が露出した部分とマスクで覆われた部分が均一の質感(セル画調)になるため、生身の肌が露出する特撮に比べ、違和感が少ないからだ。

以上の前提を踏まえつつ、以下に本論を書く。

ロボコップの違和感

1987年、映画「ロボコップ」が公開された。

ティム・バートン版のバットマンが公開される2年前、日本ではアメコミ・ヒーローが今ほど認知されていなかった時代だ。

映画そのものは面白く当時の私も楽しんだと記憶しているが、同時に大きな違和感を覚えた。

「何で、口の部分が露出しているの?」

人間の警察官だった主人公が、瀕死の重傷を負って改造手術を受け、ロボット(サイボーグ)として生まれ変わる、という流れは、日本の特撮にも見られるパターンだ。
ありがちだな、とは思うが、まあ良い。

問題は、そのデザインだ。

全身銀色のメタル・ボディーで頭部も目の下までは金属で覆われているのに、何で口の部分を覆わなかったのか?

いや、設定上の理由を問題にしているのではない。
ひょっとしたら「口を露出させなければいけない何らかの理由」が、物語のバックグラウンドには有るのかも知れない。
しかし、そんなものは、後付けで如何(いか)ようにも出来る。

私が問題にしているのは、映画「ロボコップ」のクリエーター達が、「口だけ露出しているデザイン」をカッコ良いと思ったのは何故か? だ。

デザインの元ネタの1つは、日本の特撮番組「宇宙刑事ギャバン」だと言われている。
ギャバンは、ちゃんと口の部分もメタル調の仮面で覆われている。

そのギャバンのデザインを踏襲しながら、ロボコップのデザイナー達は、マスクの下部分をわざわざ削って、生身の口を露出させたという事か?

その方がカッコ良いと思ったデザイナーの感性が理解できない。

なぜアメコミ・ヒーローは口の部分だけを露出させるのか?

なぜ、アメコミのマスクは、口の部分が開いているのか?

これは私の想像に過ぎないが、最初期のアメコミ・ヒーローの人気作「バットマン」が口を露出させたデザインだったため、以後のヒーロー達もそれに追従し、やがて1つの伝統になって行ったのではないだろうか?

さらに元を辿(たど)ると、バットマンのネタの1つと言われている「怪傑ゾロ」が布で目を隠していたから、バットマンは「目だけを隠して口を露出させる」デザインになったんだと思う。

口を露出させたデザインは、日本人の好みではない

アメリカ人のセンスは良く分からないが、日本人の私からすると、口だけを露出させたデザインは、何だか間抜けに見える。

実際、日本の特撮ヒーローは、ライダーマンなどの一部を除けば、みなマスクで顔全体を覆っている。

そのライダーマンにしても、口を露出させたデザインは彼の「不完全さ」を強調するために採用されたのだと思う。

ちなみに、女性の特撮ヒーローや女怪人に関して言えば、口を露出させたデザインは割とポピュラーだ。(かつてはポピュラーだった)
太ももを露出させたデザインは、さらに多かったが。

バットマンが重厚な物語になりがちな理由

なぜバットマン映画は、重厚かつ暗い絵作り・話作りになりがちなのだろうか?

理由のひとつに、バットマンの「口を露出させたマスク・デザイン」があるという仮説を立ててみる。

日本の三大男児向けコンテンツ、すなわち巨大ロボット・怪獣(巨大ヒーロー)・等身大スーパーヒーローの物語作りは、言ってみれば「馬鹿馬鹿しさとの闘い」だと、私は思っている。

巨大ロボも、怪獣や巨大ヒーローも、等身大のヒーローも、そもそもが馬鹿馬鹿しい存在だ。

それらが本質的に持つ馬鹿馬鹿しさをいかに中和して、シリアスな物語に持ち込むか……ここが制作者たちの腕の見せ所だろう。

とくにバットマンに代表される「口開きマスク」デザインは、その馬鹿馬鹿しさが際立っている。
ちょっと油断しただけで「変な顔だなぁ」と、観客を我に帰らせ失笑を買ってしまう。

開きなおって自分ツッコミ的なコメディ演出、パロディ演出路線にするか、そうでなければ、逆に、思いっきりダークでシリアスな絵作り・話作りで突っ走って、観客を煙(けむ)に巻くしかない。

近年のアメリカの観客

我々日本人がアメコミ・ヒーローに対して覚える主な違和感といえば、

  • 口だけが開いているマスク
  • 体にピッタリフィットした全身タイツ
  • カラフル過ぎるデザイン

この3つだろう。

近年の有名なアメコミ映画に於いて、これらの特徴は減少傾向にあると思う。

例えば「カラフルなデザイン」に関して言えば、スーパーマンが黒っぽい単色のデザインに変更されている。

口だけ開いたデザインにしても、じつは案外と少ない。
顔全体をすっぽり覆っているマスク・デザインの方が多いと思う。
あるいは逆に、マスクを付けず素顔を堂々と晒(さら)している場合の方が多い。

最近のアメリカ人は、落ち着いたシックなカラーを好み、口出しマスクを敬遠する傾向にあるのか。

結論

  1. 日本人の私から見ると、口だけを露出させたマスクには違和感を覚える。
  2. 近年は、アメリカでも「口だけ露出」デザインは減少傾向にある。

といった所か。
結論2 は、アメコミに疎(うと)い私の薄っすらとした印象に過ぎないので、間違っているかも知れない。

話が全く発展しなかった。
申し訳ない。

私の好み

最後に、スーパーヒーローのマスクを分類し、私の好みで順位を付けたいと思う。

「変身しないヒーロー」は除外する。物語の最初から最後まで、ずっと人間の姿のまま活躍したり、逆に、ずっとヒーロー・コスチュームのままで人間の姿に戻らないキャラクターは対象外とする。

1位:目を露出させ口を覆う

バットマンとは逆のパターン。
忍者とか鞍馬天狗とか、時代劇ヒーローに良く見られる形態だ。

私は、このタイプのマスクがヒーロー物の中では1番好きだ。

2位:顔全体を覆う

やはり仮面ライダーのように顔全体を覆うタイプが定番だろう。

3位:顔の形そのものが変化する

狼男モチーフとか、バイオ・テクノロジーで肉体が変化するヒーローに多いタイプ。

4位:目だけ隠す

解決ゾロのように、アイマスクだけを付けたタイプ。
目の周辺だけをペイントするタイプも含む。

案外、このタイプも好きだ。

5位;変身後も素顔

スーパーマンの正体がクラーク・ケントであると、なぜ周囲の人間(会社の上司・同僚・恋人)は気づかないのだろうか?

6位:口だけ露出

バットマンやキャプテン・アメリカには申し訳ないが、やっぱりデザインとしては間抜けだ。

もちろんマスクのデザインだけで映画全体の面白さが決まる訳ではない。

口だけを隠さないヒーローの映画にも、良いものは沢山あると思う。

私の創作したオリジナル変身ヒーローのデザイン

いつか変身ヒーロー物に挑戦したい。

仮面のヒーロー(変身前)

仮面のヒーロー(変身後)

2022-04-23 03:18