青葉台旭のノートブック

アメコミ映画は、一種のセレブ映画かも知れない

アメコミ映画は、一種のセレブ映画かも知れない

ふと、そんな風に思った。

『アメリカ人は、アメコミ・ヒーローを架空のセレブリティーだと思っている』
という仮説を立ててみる。
変身前はともかく、変身後の姿に関しては、誰もが知っている有名人という属性のヒーローが多いように思うからだ。

ハリウッド・スター、プロ・スポーツ選手、ロック・スター、大物政治家、巨大企業の経営者、有名ブランドのデザイナーや経営者などの暗喩として、アメコミ・ヒーローは描かれている。

アメコミ映画には、架空の『セレブ業界内幕もの』としての側面がある。

だとすると、アメコミ・ヒーロー特有の派手なコスチュームは、グッチのバッグや、プラダのドレスや、アルマーニのスーツ、あるいはプロ・スポーツのユニフォームに相当すると解釈できる。

日本においても大衆娯楽時代劇の主人公たち、水戸黄門・遠山の金さん・暴れん坊将軍などは、皆セレブだ。

戦後最初期の変身ヒーロー月光仮面の主題歌でも、彼のことを『誰もが知っている』有名人だと歌っている。

スーパーヒーローが、神話伝説における「名もなき貧しい若者だと思ったら実は王子だった」というキャラの現代版だとしたら、それも当然か。

私個人は、有名人じゃないスーパーヒーロー、無名のスーパーヒーローの可能性を考えたい。

変身前の姿が「無名の人」であるのは当然として、変身後の姿でさえも極少数の人々にしか認知されていない無名のヒーロー設定は有りえないものだろうか? と日々考えている。

「初代仮面ライダーがそれに近い」と書こうと思ったのだが、よくよく思い出してみると、どうやら劇中に出てくるチビッ子たちは仮面ライダーの存在を認知しているようだった。

2022-04-03 18:52