青葉台旭のノートブック

映画「レリック 遺物」を観た

映画「レリック 遺物」を観た

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脚本 ナタリー・エリカ・ジェームズ、クリスチャン・ホワイト
監督 ナタリー・エリカ・ジェームズ
出演 エミリー・モーティマー 他

田舎町が舞台のホラーを探していて、これを見つけた。

ただし田舎は田舎でも、アメリカじゃなくてオーストラリア。
英語の発音がイギリスとアメリカの中間くらいの感じで、自動車が右ハンドルだ。

オーストラリアというと、砂漠、エアーズロック、グレート・バリアリーフなど、とかく熱帯のイメージがあるが、これは南部ビクトリア州のお話。
南半球では、南へ行くほど寒くなる。

終始ジメジメと湿っぽい森の中の家が舞台。
劇中に「クレスウィック」という地名が出てきた。調べてみたら、メルボルンから直線距離で西に100キロの場所にある小さな町だった。

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ひとこと感想

面白かった!

とくにラストが良い。

本気で「良い映画に巡り会えた」と思えたのは、今年「ドント・ルック・アップ」に次いで2本目だ。
そう思えるくらいに良い映画だった。

ただし、王道エンターテイメントではないから、人を選ぶかも知れない。

文芸ホラー

1時間30分のうち、始まりから1時間くらいまでは、祖母・母・娘の女三代の日々が淡々と描がかれる。

「このまま、マッタリとした文芸系のテンポでいくのか」と思っていたら、残り30分を切って、娘がクローゼットの奥に謎の通路を見つけてから一気に畳みかけてきた。

ラストが素晴らしい

怪物と化した祖母から、命からがら逃げおおせた母と娘。

このまま逃げ切って、大団円かな? と思っていた。
これが典型的なアメリカのエンターテイメントだったら、主人公が「ガッチャ!」とか言いながらニヤリと笑ってショットガンをぶっ放し、めでたし、めでたしになる筈だ。

ところが本作品では、母ちゃんが突然「やっぱ婆っちゃを一人だけ置いて行く訳にはいかない」とか言い出して、化け物の所へ引き返す。

そして母は、老いた自分の母親(=娘にとっての祖母)を抱きしめ、老いた人間の皮膚を一枚一枚剥がしていく。

中から現れたのは、真っ黒なエイリアンのような生物。老いさらばえた祖母が行き着いた最終形態、成れの果てだ。

その小さく縮んだミイラのような姿の祖母の背中を抱きしめる母。その母を抱きしめる娘。

グロテスクで、それでいて、美しい最後だった。

迷路と、祖母の正体

娘と母が迷い込んだ迷路は何だったのか?

そして祖母の正体は何だったのか?

これに関して理屈が通るような説明は出来ないだろう。

あの迷路が実際に家の中に張り巡らされていたとは思えない。

迷路にしても、ラストの怪物化した祖母の姿にしても、あれは象徴だ。

例えば以下のような解釈は、どうだろうか?

  • 迷路は『祖母が辿(たど)って来た人生の記憶』の象徴
  • 怪物化した祖母の姿は『人間は、老いれば誰でも人外に成り果てる』という事の象徴

メメント・モリの寓話

つまり、これは『メメント・モリ』の寓話だ。

いずれ誰の所にも老いは来る。いずれ人は死ぬ。
それを忘れるな。

認知症ホラー

認知症をモチーフにしたホラー映画は、本作以外にも幾つかあるだろう。
『認知症ホラー』というジャンルが確立されつつあるのかも知れない。

田舎町と家族のホラー、都会と孤独のホラー

田舎町を舞台にしたホラーでは『家族』が重要な役割を果たしていると気づいた。
もちろんホラーである以上、『家族』が物語に及ぼす作用は良いものばかりではなく、邪悪な物も含まれる。

だとすると逆に、都会が舞台のホラーでは『孤独』が重要な役割を果たすようになって行くと思う。

2022-02-09 05:31