青葉台旭のノートブック

映画「女の秘めごと」を観た

映画「女の秘めごと」を観た

U-NEXT にて。

脚本 ルチオ・フルチ
監督 ルチオ・フルチ
出演 ジャン・ソレル 他

ひとこと感想

ここで一句。

現代劇
50年経てば
時代劇

以前の記事にも書いた事だが、1960年代に作られた「現代劇」は、2021年を生きる我々にとっては、もはや「時代劇」になってしまったのだなぁと、あらためて思った。

2021年現在、この「女の秘めごと」という映画の価値、つまり2021年に生きる我々が敢(あ)えてこの映画を観る意味の相当部分は「それが1960年代の作品であること」に依存していると思う。

1960年代のサンフランシスコの風景、1960年代の自動車、1960年代のファッション、1960年代の女たちのメイク、1960年代の建物(外観およびインテリア)、1960年代の家具……

それらは、当時の作り手たちにとっては、ありふれた同時代の品々に過ぎない。
一方で、2021年の私たちにとっては『失われた時代』の遺物だ。

1960年代に作られたこの現代劇は、50年の時を経た結果、『ここではない何処(どこ)か』、『今ではない何時(いつ)か」を物語った、一種のファンタジーに昇華している。

日本初の時代小説と言われる中里介山の『大菩薩峠』の新聞連載開始が1913年。その舞台となったのは幕末・安政5年(1857年)
わずか56年前の物語を、当時の人たちは『時代劇』と認識していた。

昔話の冒頭の決まり文句「むかし、むかし、ある所に……」は、英語では「ワンス・アポン・ア・タイム……」という。

「むかし、むかし、アメリカで……」というタイトルの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の公開年は1984年。物語の舞台は1930年代初頭の禁酒法時代。その差50年。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も同じだ。
公開が2019年。物語の題材となった「シャロン・テート事件」が1969年。その差50年。

ならば、実際に50年以上前に撮影された『現代劇』も、今となってはもう立派な『時代劇』と言って良いだろう。

かつて映画は、賞味期限のある『なまもの』だった。

一番館で封切られ、二番館に掛けられ、三番館に掛けられて終わり。
公開が終われば、一般人が目にする機会は殆(ほとん)ど無くなる。
あとはポツリポツリと思い出したように名画座に掛かるか、テレビの洋画劇場番組で放映されるか。

やがて家庭用ビデオ・カセットが発明され、DVDが発明され、とうとう動画配信サービスで過去の作品をいつでも観られるようになった。

「時空を超え、かつての現代劇をまるで時代劇のように鑑賞する」能力を我々は手に入れてしまった。

2021-10-09 12:05