戯曲「ゴドーを待ちながら」を読んだ
戯曲「ゴドーを待ちながら」を読んだ
作 サミュエル・ベケット
訳 安堂信也、高橋康也
ひとこと感想
外国の戯曲を読むとき、読者は二重のハンディキャップを負っている。
- 本来、劇場で俳優たちの演技として楽しむべきものを、本で読んでいる。
- 外国語の原作を日本語に翻訳したものを読んでいる。
芸術は『内容』と『表現』で出来ている。
例えば音楽は『曲』と『演奏』で出来ている。
戯曲などの文学も同じだ。
役者の演技やセリフの妙味が『表現』で、物語が『内容』だ。
先に述べた二重のハンディキャップによって、『表現』の相当部分を制限されている以上、外国の戯曲の読者はその『内容』つまり、そこに書かれている物語を楽しむしかない。
しかし、この『ゴドーを待ちながら』は、いわゆる不条理劇の代表作品で、つまり『物語らしい物語が無い』
であれば、読書という形式では、どうやっても楽しめない。
こればかりは、どうしようもない。
2021-06-18
09:22