青葉台旭のノートブック

映画「へレディタリー/継承」を観た。

映画「へレディタリー/継承」を観た。

公式ページ

劇場 TOHOシネマズ新宿

監督 アリ・アスター
出演 トニ・コレット 他

ネタバレ注意

この記事にはネタバレが含まれます。ご注意ください。

ネタバレ防止の雑談

この映画、ひとことで言うなら「文芸系ホラー映画」だろうか。

「文芸的な心理描写」とホラーの融合という意味で言えば「ウィッチ」に近い感触か。

(参考までに、映画「ウィッチ」のamazon紹介ページ

ちなみに「ウィッチ」は割と好きな映画だ。同じ「思春期の少女」を描いたホラー「RAW〜少女のめざめ〜」よりも好みだ。

「ウィッチ」の主演女優は、目が大きくギョロっとしていて、それが神経質な感じを強調していて、その神経質な感じが可憐さを呼んでいて、私の好みだ。

しかも、天然のアヒル口。

ある種アニメ風の可愛らしさを持った顔と言えるかもしれない。

この主演女優は、のちにシャマランの「スプリット」でヒロイン役に抜擢されたらしい。

また、Xメン・シリーズの次回作「ニュー・ミュータンツ」でイリアナ・ラスプーチンという役名で、Xメンの一員として出演するらしい。ひょっとしたら主役格かもしれない。

以上、ネタバレ防止の雑談でした。

ここから本題。ネタバレ感想。

さて、本作「へレディタリー」について。

まずは、良い映画だった。

「怖いか、怖くないか」という意味でいうなら、実際には、それほど怖くはない。
即物的な「ぎゃーっ」という怖さは無い。
ただ、終始「嫌な感じ」が続く。

これは「観客を怖がらせること」を目指したホラーではなく、延々と観客に『嫌な感じ』を与え続けることを目指したホラーだ。

主役のお母さんの演技が素晴らしい。

これに異を唱える人は居ないだろう。満場一致。

とにかく、このお母さんすごい。

来年のアカデミー賞取っちゃうかも知れない。(アカデミー賞は、純粋に作品や演技の良し悪しで決まるのではなく、その年の社会情勢を踏まえた会員の『忖度』で決まるらしいから、素人の私には何とも言えないが)

この映画の見所の99パーセントは、このお母さんの演技だと思う。
お母さんの演技を観るために劇場に行く映画と言っても過言ではない。

物語の序盤、母親が「映画を観に行く」と夫に嘘をついて、〈肉親と死別した人々が互いに悲しみを語り合う〉互助サークルに参加するシーンがある。
その時の彼女の所作を見て、私は「これは凄いぞ」と身を乗り出してしまった。

学校の体育館らしき所に車座にパイプ椅子を並べ、心に傷を負った人々が互いに心情を吐露し慰め合うのだが、彼女だけが『足を組んで』座っている。

「自分をさらけ出す」のが目的の互助サークルに来ているくせに「私は、そう簡単には落ちないよ」と言わんばかりに、必死で自分をガードしているわけだ。

ところが自分の番が回ってきて、しぶしぶ心情を吐露しだす段になって、彼女は溢れ出る感情をコントロール出来なくなってしまう。 いくら外に対して自分をガードしていても、彼女は内面から崩壊しそうになっている。そういう危うさを内に秘めている。

彼女は「自分の一族には精神病患者が多い」と言う。
これがタイトルでもある「へレディタリー/継承」の意味(の一つ)だろう。
このお母さんは、自分の血統から精神病患者が何人も出ていることを気にしていて、自分にもその性質が遺伝しているのではないかと不安になっているわけだ。
『精神病患者の血統』などというものが有るのか、無いのか……それは重要ではない。
問題は、彼女がそれを半ば信じてしまっているという点だ。
彼女は『ひょっとして私も母や兄弟のように、いずれは精神を病んで自分自身や身の回りの人々を破滅させてしまうのでは……』と不安になっている。
そんな思いに取り憑かれている時点で、既に(血統とは関係なく)彼女の精神バランスは危うい所に来ているという事だ。

この『自分の内側から溢(あふ)れ出る感情を制御しきれず自壊しそうになっている』演技というのが、とにかく素晴らしい。
彼女は自分の内なる感情の暴走によってどんどん自滅の道を歩んでいくのだが、その凄まじさを観るのが、この映画の醍醐味と言ってもいい。

そして一家は、ちょっとした負の連鎖の果てに、息子(兄)の不注意で娘(妹)の首が切断されるという悲劇に見舞われる。

車の中に放置された娘の首無し死体を発見した瞬間、家じゅうに響く母親の叫び声。
魂の底から絞り出すような、あの母親の叫び声には、度肝を抜かれた。
あんな叫び声を上げた映画女優は、長い映画史の中でも彼女が初めてではないだろうか。
ベッドルームの床(ゆか)に這いつくばって「死にたい、死にたい」と繰り返す、その姿の何と凄まじいことか。

それから夕食のシーン。
「一家団欒の場であるべき夕食のテーブルが、逆に冷え切った家族の現実をあぶり出す」というシーンそれ自体は、ハリウッドの『家庭崩壊もの』映画の伝統とも言えるのだが、この時のお母さんの演技が本当に凄い。
『怒りの爆発』の仕方が、今まで見たこともない演技だった。
ただ暴力的に怒鳴るだけじゃなく、自らの怒りの感情によって自らの精神が破壊されてしまうという描写・演技に、私は釘づけになってしまった。

この「自らの怒りによって自らの精神を壊してしまう」シーンは、後半、息子が机に顔をぶつけて鼻を潰し、学校から呼び出しを食らった父親(夫)に、電話で詰(なじ)られるシーンでもう一度繰り返される。

一方的に電話口で夫に詰(なじ)られ、当然のように妻は怒りを爆発させるわけだが、その怒りの塊があまりに大き過ぎて、うまく言葉が出てこない。
自分の内なる負の感情があまりに大き過ぎて、もはやそれを発散することさえ彼女自身の手に余るという描写・演技は芸術的とさえ言えた。

男目線で言うと……

母親や妻や恋人など、自分にとって近しい女が激昂したとして、男にとって最も恐ろしい事態というのは何だろうか?

  • 彼女が怒りにまかせて怒鳴ったり、暴力を振るったり、物を投げつけてくる。
  • 彼女の内なる怒りの感情があまりに大き過ぎて、彼女自身の精神がそれに耐えきれず内側から崩壊してしまう。

当然、後者の方が何倍も恐ろしい事態に決まっている。
なぜなら、取り返しがつかないから。

多くの『家族崩壊もの』映画と同じく、この映画のお父さんも「良い人」なんだけど、でも救いがたいほど「鈍感」で、「家族を愛している」けれど、ギリギリの所では「妻に寄り添っていない」し、本当の意味で「彼女の味方ではない」キャラとして描かれる。
そんな中で、母親だけがどんどん孤立していってストレスを溜め込んでいくと言う構図だ。

前述の夕食での怒り爆発シーンも、子を亡くした妻を気づかった(つもりの)夫が、自ら夕食を作って、妻が「今日は食べたくない」みたいな素振りを見せると「せっかく作ってやったのに、何だよ」みたいに半ギレする、という前振りを経て、
息子「オヤジ、この料理うまいよ」
父「だろ?」
みたいな茶番を見せつけられて、思わず男どもを「ケッ」と嘲笑してしまう妻(母親)……というのが発端だ。

「重荷だけど愛してる。愛してるけど重荷」の息子。
「頼りないけど頼りにしてる。頼りにしてるけど頼りない」夫。
つまり愛していながら同時にイライラさせられる家族の男どもが、妻(母親)のストレスを加速させ、どんどん妻(母親)の精神を蝕んでいくという構図だ。

あげくに、男どもは真夜中に妻(母親)に叩き起こされ、母ちゃん満面の笑みで何を言うかと思えば、
「これから皆んなでコックリさんをやろう。死んだあの子の魂を呼び戻そう」
……って……

「やべぇよ、母ちゃん(嫁さん)、とうとうスピリチュアルに目覚めちゃったよ。宗教にハマっちゃったよ。もう完全に向こう側にイッちゃったよ」
……自分の家庭には絶対に起きて欲しくない最悪の事態だ。

そして母は鬼婆になってしまった……

悪魔の策略に引っ掛かったとは言え、自分のせいで夫が焼死するに及んで、ついに精神が崩壊し、生きながらにして鬼婆になった母親が息子を追い詰めるという、安達ヶ原みたいなラストだった。

息子の隠れている屋根裏部屋の引上げ戸に鬼と化した母親が逆さまに取り付いて頭でガンガン叩く描写の凄まじさ浅ましさは、なかなか心にグッと来るものがあった。

息子の演技について。

とにかくお母ちゃんの演技が飛び抜けて凄まじいこの映画だが、息子もなかなか良い演技をしている。

特に、アレルギーの発作を起こした妹を病院へ連れていくために猛スピードで車を飛ばしたあげく、事故で妹を死なせてしまった時の表情が素晴らしい。

パニックのあまり頭が真っ白になって全ての感情が遮断され、能面のような無表情に涙だけが流れるという描写が良い。

真相の衝撃度は、(日本人にとっては)それほどでもない。

当然、ラストには真相が明かされる。

全てはカルト悪魔崇拝者たちが仕組んだ策略だった。

彼らの願いは魔王の顕現であり、そのための依り代として息子の肉体を魔王に献上するのが目的だった。

正直、日本人の私には「ああ、そっち系ね」という程度の感想でしかなかった。

キリスト教徒でも何でもない私にとっては、やれ悪魔崇拝だ魔王の復活だという話が怖いか怖くないかと聞かれれば「いや、別に」というのが正直なところだ。
まあ、いわゆる『中二病』的な面白さはあるけどね。

前述の、母親が屋根裏部屋の引上げ戸に頭をガンガン打ち付けるシーンにしても、なぜ日本人の私が感情をかき立てられたかと言えば、「俺の母親はストレスに苛(さいな)まれ続けたあげく、とうとう鬼婆になってしまった」という、日本の鬼女伝説にも通じる「人の哀しい性(さが)」を見たからだ。

正直、悪魔崇拝どうのこうのの話は、まあ不要とまでは言わないが「そういう設定での幕引きか。うん。分かった」程度のものでしかない。

敵の目的が「息子の体に悪魔の魂を憑依させる事」だと分かった時点で、ホラー映画の定石からして、悪魔に魂を支配された息子が最後に「ニヤッ」と笑って終わり、というバッドエンドまで察しが付く。

ただ、ビジュアルの美しさという点で言えば、最後の最後、カルト教団の『教会』に仕立てられたツリーハウスの中で、全裸で平伏(ひれふ)す男女の前に立つ息子(=魔王)の描写は、禍々しくも美しいラストだと思った。

A24

先日見た「イット・カムズ・アット・ナイト」もオープニングでA24のロゴが出ていた。 ……と、思ったら「ウィッチ」もA24か……wikipediaで制作した映画のリストを見ると、地味だけど存在感のある映画会社なんだな。

結論。

とにかく、お母さんの演技がド迫力です。

追い詰められていくお母さんの演技を堪能する映画です。

何か、人の業(ごう)みたいなものが感じられます。

ただし気力・体力のないときは見ないほうが良いかもしれません。

2018-12-05 12:20