青葉台旭のノートブック

ハリウッド映画の「鼻血ツゥー」は、もう見飽きた。

ギャグ漫画やギャグ映画で、わざと「お約束演出」を大げさにやって笑いを誘うという手法については、必ずしも否定しない。うまくハマれば効果的だろう。

しかし、シリアスな物語の中で「お約束演出」をされると、白けてしまう。
それまで没入していた物語世界から我に返って、冷めてしまう。

「なんだ、またこの手か……他に気の利いた演出方法は思い浮かばなかったのか?」と。

日本の漫画で「鼻血ブゥー」と言えば、男の主人公がヒロインの裸を見たときなどに興奮して頭に血が上ったことを表す、ラブコメの「お約束演出」だ。
これはこれで安易な乱発は芸が無いと思うが、それでも「お約束」であることを逆手に取ったギャグとしてなら、使いどころによっては効果的な場合もあるだろう。

一方、ハリウッドにおける「鼻血ツゥー」だ。

アメリカのSF超能力アクション系の映画は、超能力者が自分の内なる力に目覚めたことを表す時や、まだ超能力を制御しきれていない時の表現として、安易に「鼻血ツゥー」を使い過ぎる。

(コメディ・パロディ映画の中での)お約束表現を逆手に取ったギャグ演出ならまだしも、終始シリアスに話が進む超能力アクションやSFホラー映画で、観客に「またか」と思われるような使い古された演出を安易に採用すべきではない。

超能力ものにおける「力の目覚め」は、本来なら前半部のキーポイントになる重要なシーンのはずで、各々の演出家・脚本家の「腕の見せ所」であるべきだろう。
安易に「鼻血ツゥー」に頼るべきではない。

2018-10-17 07:09