スティーブン・キング「呪われた町」下巻を読んだ。
スティーブン・キング「呪われた町」下巻を読んだ。
ネタバレ
ネタバレがあります。気をつけて下さい。
ひとこと感想
上巻の感想はこちら。
最初期の長編のせいか、一般的な感覚からすると起承転結の構成がアンバランスだ。
具体的には、登場人物たちの日常生活を丹念に描きすぎて、物語が転がり始めるのが遅い。
ただし、売れない小説家である主人公に「ストーリーテリングとは息をするように物語ることであり、プロッティング(プロット作り)は人工呼吸器」のような意味のセリフを言わせているところから、キング自身はバランスの取れたプロットよりもアドリブ的に物語を紡いでいくタイプの作家なのかも知れない。だとすれば、ちょっと共感を覚える。
永遠に生き続ける吸血鬼が現代社会に「引っ越してくる」という物語設定は、元祖ブラム・ストーカーのドラキュラと同じだ。
ただし、元祖ドラキュラが引っ越した先は十九世紀のロンドン(当時世界一の都会)であり、本作の舞台は一九七〇年アメリカの片田舎という違いがある。
現代(この作品が描かれた一九七〇年代)アメリカの片田舎に住んでいる、主に中流階級から下層階級の暮らしぶりを一人一人丹念に描いておいて、その下流〜中流の市民生活を、古典ホラー映画的なモンスターが徐々に破壊していく様子を群像劇的に描くのがキングの持ち味か。
ただし、純粋に恐怖を味わうという意味でのホラー要素は少ない。
例えば鈴木光司の「リング」のような密度の濃いホラー感は無い。
その代わり、ハリウッド・エンターテイメント的なアクション・シーン、スペクタクル・シーンが多い。そういう意味では、純粋なホラー作家というよりはエンターテイメント作家という感じだ。
昔は、そういうキングの「ホラーを標榜しながらエンターテイメント過ぎる作風」だったり「登場人物の造形をあざといくらいにやり過ぎる」感じだったり「小道具の描写にいちいちアメリカ消費社会を象徴するような商標名を入れてリアル感を出す」感じが何となく純粋じゃないような気がして好きになれなかったが、最近の私は「エンターテイメントだと割り切って読めばいいじゃないか」という気分なのでそれでOKだ。
十字架やニンニクに関する理屈づけがちょっと苦しい。この辺は、ドラキュラの設定をそのまま使う必要はなかったのではないだろうか……いや、主人公たちが「ドラキュラあるある設定」を踏まえて対抗策を練るという構成だったので、仕方のないところか。