エルフ、怪物の死骸に驚き、アラツグ、空に向かって叫ぶ。
1、スュン
ヴェルクゴンとスュンは、白漆喰 壁と赤屋根の続く住宅街の上空を、潜冥蠍 の探査音が聞こえてきた方向へ一直線に飛んだ。
素焼きの赤瓦 すれすれの高度だ。
既に人間の姿に似せた偽装を解いて、もとの姿に戻っている。
町を歩き回るとき目立つのを嫌っての偽装だったが、空を飛ぶのにわざわざ人間の姿でいる意味は無い。
その時、魔法で拡張されたスュンの聴覚が聞き覚えのある叫び声を捕らえた。
叫び声は、潜冥蠍 が居ると思われる方向から聞こえてきた。
「痛てぇえええー!」
(あの声は……!)
あの、黒髪の少年剣士の声では、なかったか?
「見えたぞ!」
ヴェルクゴンが叫ぶ。
潜冥蠍 が居た。廃墟と化した大きな煉瓦の窯元と緑地の間を走る狭い路地に横たわっていた。
視界の中に、追い続けた怪物よりもスュンの注意を引いたものがあった。
あの、黒髪の少年剣士だ。
潜冥蠍 から四十レテムほど離れた所に、左手を押さえて立っている。
胸騒ぎがした。
向きを僅 かに変え、少年のもとへ飛ぶ。
「おい、スュン! 待て!」
背後から聞こえるヴェルクゴンの声を無視して、少年の立つ場所から二レテム程のところに着地する。
潜冥蠍 の方を振り返る。
ひと目見て、怪物が死んでいると分かった。
「おお……エルフだ!」
「エルフが空からやってきたぞ……」
人間たちが集まりだしていた。このあたりの住民だろうか。遠巻きに怪物と少年剣士とエルフたちを見つめている。
スュンは野次馬 たちのささやき声を無視して少年に近づいた。
少年は、右手で、左の手首を押さえていた。
苦痛に歪 んだ顔。その表面を脂汗 が滝のように流れ落ちている。
左手を見ると、赤く腫れて表面が少し爛 れていた。
ヴェルクゴンの耳と同じだ。
少年が顔を上げた。目が合った。
「スュン……さん」
不意に名前を呼ばれて、スュンが怯 む。
なぜ私の名を知っている?
しかし、とにかく治療が先だ。
「手を、見せて」
少年の左手に、手を伸ばす。
サッ、と彼は怪我をした自分の左手を背中に隠した。
眉をひそめ、非難の目でその顔を見上げるスュン。
「だ、駄目だ」
少年が言った。
「俺の手には毒液が掛かっている。触ったらスュンさんの手まで毒に汚染されてしまう」
「私は、潜冥蠍 の溶解液による怪我を治療したことがある。いいから、手を見せて」
「せん……めい……かつ? あの怪物の事か?」
問いかけを無視し、なかば強引に少年の左手首を掴 んで手前に引き寄せた。
スュンの言っている意味を理解したのか、今度は抵抗せずに左手を差し出す。
怪我をした少年の左手を、自分の両手で優しく包み込むように握る。
「……痛みが……引いていく……」
驚いたように呟 く少年。その顔から、苦痛の色が徐々に薄れていく。
「これが、治癒魔法……というやつか? あ、ありがとうございます。スュンさん」
「なぜ、私の名を知っている?」
「え?」
「なぜ、私の名を知っているのかと、聞いているのだ」
「それは……その……」
「あの友人に聞いたのか? ブルーシールドとか言う?」
「そ、そう……です。あいつ、凄 えおしゃべりなんです。男のくせに」
言いながら、少年は何故か目を逸 す。
「不公平だ」
「は?」
「私は名前を知られているというのに、私のほうは、名前を知らない。こんな不公平な事は無い」
「あ、ああ、そうですよね。あの、俺……アラツグ……アラツグ・ブラッドファングって言います。よ、よろしくお願いします」
「アラツグ・ブラッドファング……アラツグ……ブラッド……ファング」
スュンが、かみ締めるように二回、アラツグの名を呟 く。
アラツグの手から、完全に痛みが消えた。
「これで、終わりだ」
スュンがアラツグの目を見て言う。
「これ以上の治療は私にも無理だ。しばらく清潔にしていれば自然治癒するとは思うが……念のため、人間の医者に見てもらったほうが良い」
「ありがとうございます……あの、ずうずうしいお願いですが、あそこに横たわっている老人の様子も見てやってもらえませんか。彼も、その潜冥蠍 ……ですか、あの怪物にやられたんです」
アラツグの指さす方向を見ると、確かに神経をやられて地面の上で痙攣 している老いた人間の男がいた。
「わかった」
スュンが老人の方へ歩く。アラツグもその後について行った。
「ナイフを持っていないか?」
老人の脇 に跪 いて、スュンが言った。
アラツグが、ベルトの後ろの部分に差していたナイフをスュンに渡す。
ナイフを受け取って、痙攣 する老人の体に傷を付けないよう慎重にシャツを切り裂き、胸をはだけさせた。
胸から腹にかけて、みぞおちに沿って三ヶ所、潜冥蠍 の爪が入り込んだ跡がある。
「かなり、深いな……」
スュンが呟 いた。
「私が出来るのは、せいぜい止血と痛み止めの魔法くらいだ」
言いながら、老人の胸に開いた傷口に手をかざす。
「現時点で既に、かなりの量の血が流れ出てしまっている。それはもう、どうにもならない。それに、この位置と深さから推測して、内臓に重大な損傷を負っている可能性が高い。それも、私には、どうする事も出来ない」
「そうですか……」
「できる限りの事は、する」
「あ、ありがとうございます」
老人の傷から流れていた血が止まった。
しかし、痙攣 は続いている。
その時、男のエルフ……ヴェルクゴンが近づいてきた。
「スュン……凄いことだぞ。あの潜冥蠍 は、何者かの手によって殺されている」
興奮気味に言う。
「しかも、その攻撃跡 の鮮やかなことと言ったら……おそらくは『斬撃の魔法』を使ったのだろうが……余程その手の魔法に精通していなければ、あれ程きれいな切り口には、ならんぞ。……ん? どうした?」
「ヴェルクゴン、この老人の体にまわった毒を中和してあげて」
「何だ。人間ごときに。捨て置けば良いだろう。たかが人間の生き死になど、どうでも良いではないか。それより、こっちへきて潜冥蠍 の死体を見てみろ」
「ヴェルクゴン!」
真剣な眼差 しでヴェルクゴンを見るスュン。
「ああ、分かった、分かったよ。人間のような下等動物に慈悲 をやるのもエルフの勤めか? まったく、物好きなものだ」
スュンに気押 される形で、ヴェルクゴンは老人の横に片膝 を突いて、その胸に手を当てた。
徐々に老人の痙攣 が小さくなっていく。
「ずいぶん多量の毒を流し込まれているな……」
解毒の魔法を使いながらヴェルクゴンが言った。
「潜冥蠍 の毒は、わざと殺さず相手の自由を奪うように出来ているから、何とか命は取り留めているが……この私でも完全に毒を中和するのは無理だな」
痙攣 が完全に収まったのを確認して、ヴェルクゴンが立ち上がった。
老人は完全に脱力して赤土の上に横たわっている。
「今の私が一度に中和できる量は、これで目一杯だ。ちょうど今朝スュンが受けた程度の微量の毒が、まだ体内に残っている。全身麻痺状態はしばらく続くだろうが、何日か経 って代謝が進めば、残った毒も尿といっしょに体外に出て行くだろうさ。まあ、それまで、この老いた人間の体力が持てばの話だが……見たところ出血も酷いようだし、スュン、こいつ直 に死ぬぞ」
2、アラツグ
「まったく、死に損 ないの人間一匹にわざわざ二人がかりで治癒魔法を使うなど……スュンも物好きと言うか、何と言うか。……とにかく、私はスュンの願いを聞いてやったのだ。今度は私の願いも聞いてもらうからな。さあ、こっちへ来て潜冥蠍 の死体を見てみろ」
ヴェルクゴンは「もう人間になど興味は無い」とでも言うように、怪物の死骸に向かって歩き出した。
「あ、あの」
アラツグがヴェルクゴンに呼びかける。
ヴェルクゴンが振り返って、何だ、お前は、とでも言いたげにアラツグを見た。
「あ、あの、ありがとうございました」
「フンッ」
鼻で笑って、直 にアラツグから興味を失い、また潜冥蠍 の方へ歩いていく。
「ありがとうございました」
アラツグは、今度は、スュンに向かって小さな声で言った。
スュンが何か言いたそうに、でも、何を言ったら良いか分からないといった感じで、アラツグを見つめる。
「スュン、何をしている? 早く!」
ヴェルクゴンに呼ばれて、結局何も言わずにスュンも怪物の死骸へ歩いていった。
アラツグは、地面に横たわる老人を見た。
意外にも、目を閉じてはいなかった。
うつろな目が、アラツグを見ているように感じられる。
片膝 を突く。
その動きに合わせて、老人の視線がアラツグを追う。
(やはり、意識があるのか……)
「俺がしてやれるのはここまで……つっても、俺は何もしてないけど。あとは医者に何とかしてもらうんだな。じいさん」
聞こえているのかどうか分からなかったが、さよならを言うつもりでアラツグが老人に言った。
……その時。
「おい、そこの人間」
ヴェルクゴンが大声で誰かを呼んだ。
顔を上げると、再びこちらに向かって歩いて来るヴェルクゴンとスュンの姿が視界に入った。
どうやら「そこの人間」というのはアラツグの事のようだ。
「おまえ、あの潜冥蠍 を殺した者の姿を見ていないか?」
ヴェルクゴンがアラツグに聞く。
「い、いや、見ませんでしたよ……俺が来たときには、もう死んでいるようだったし」
アラツグは、とっさに嘘を吐 いた。
老人の治療をしてもらった恩人に嘘を吐 くのは胸が痛んだが、スュンはともかく、このヴェルクゴンとかいう男のエルフに事実を言ったら厄介 な事になるぞ、とアラツグは直感的に思った。
その言葉を聞いて、スュンがハッ、とアラツグを見る。
(スュンさんにはばれちゃったな。……まあ、そりゃ、そうか)
アラツグがここに来たとき既に潜冥蠍 が死んでいたのなら、どうしてアラツグの左手には溶解液を掛けられた痕 があるのか。
スュンが化け物の死骸を振りかえり、もう一度、アラツグの顔を見た。
その顔に、みるみる驚きの色が広がっていく。
(あちゃあ、俺があの潜冥蠍 とかいう怪物を殺 ったって事まで、気づかれたかな?)
何故、アラツグは嘘を吐 いたのか? 潜冥蠍 を殺したのがアラツグ自身だったからではないか? そんな連想をスュンがしても不思議ではない。確信は出来ないだろうが。
アラツグ、中途半端な笑顔をスュンに返す。
「そうか。と、なれば唯一の目撃者は、この死に損 ないだけか。こいつが墓場へ行く前に目撃情報を聞き出すのは無理、だろうな……」
ヴェルクゴンが老人を見下 ろす。
どうやら潜冥蠍 の死骸に夢中だったせいで、アラツグがスュンに溶解液の掛かった左手を治療してもらったという事実には、気づいていないようだった。
とっさに左手を背中に回してヴェルクゴンから隠した。
「さて、どうしたものか……出来れば潜冥蠍 の死骸をもっと良く調べたい所だが。まあ、それは諦 めるのが賢明だな。……おい、人間」
(また、おい人間、かよ)
アラツグ、さすがに辟易 しながらヴェルクゴンを見た。
「なんですか」
「最後に、良いことを教えてやろう。あの潜冥蠍 の死骸は、早く処分したほうが良いぞ。潜冥蠍 は死んで半日もしないうちに体組織が腐りだす。腐った潜冥蠍 が放つ悪臭は、それは酷いものらしいぞ」
「……」
ヴェルクゴンがスュンに向き直る。
「スュン、いったんエルフの森に帰ろう」
ヴェルクゴンが言った。
「え?」
「とにかく、今日はいろいろな事があった。早く帰って、その全てを長老たちに報告するべきだ。そうは思わんか? エリクの死体を回収する必要もあるしな」
「そ、そうね……」
ヴェルクゴンとスュンが三歩ほど後ろに下がる。
スュンが、何か言いたそうにアラツグを見つめている。
ふわり……
エルフたちの体が、ゆっくりと浮き上がった。
(スュンさんが……スュンさんが帰ってしまう! も、もう会えないかもしれない……ど、どうしよう……どうしたら……どうしたら良いんだよ!)
アラツグ焦 る。
焦 っている間にも、スュンたちの体はみるみる高度を増していく。
もう少しで煉瓦 倉庫の屋根を超える高さに到達する、という、その時……
「す、すゅんさ~ん! お、おれと、つきあってくださ~い!」
半ばパニック状態で、アラツグは叫んだ。
上昇していたスュンの体が、ピタリと空中で止まった。
遠巻きにアラツグたちと潜冥蠍 を囲んでいた野次馬が、一斉 におしゃべりを止 めてアラツグを凝視する。
時が止まったような静寂が辺 りを包んだ。
ヴェルクゴンとスュンは、白
素焼きの
既に人間の姿に似せた偽装を解いて、もとの姿に戻っている。
町を歩き回るとき目立つのを嫌っての偽装だったが、空を飛ぶのにわざわざ人間の姿でいる意味は無い。
その時、魔法で拡張されたスュンの聴覚が聞き覚えのある叫び声を捕らえた。
叫び声は、
「痛てぇえええー!」
(あの声は……!)
あの、黒髪の少年剣士の声では、なかったか?
「見えたぞ!」
ヴェルクゴンが叫ぶ。
視界の中に、追い続けた怪物よりもスュンの注意を引いたものがあった。
あの、黒髪の少年剣士だ。
胸騒ぎがした。
向きを
「おい、スュン! 待て!」
背後から聞こえるヴェルクゴンの声を無視して、少年の立つ場所から二レテム程のところに着地する。
ひと目見て、怪物が死んでいると分かった。
「おお……エルフだ!」
「エルフが空からやってきたぞ……」
人間たちが集まりだしていた。このあたりの住民だろうか。遠巻きに怪物と少年剣士とエルフたちを見つめている。
スュンは
少年は、右手で、左の手首を押さえていた。
苦痛に
左手を見ると、赤く腫れて表面が少し
ヴェルクゴンの耳と同じだ。
少年が顔を上げた。目が合った。
「スュン……さん」
不意に名前を呼ばれて、スュンが
なぜ私の名を知っている?
しかし、とにかく治療が先だ。
「手を、見せて」
少年の左手に、手を伸ばす。
サッ、と彼は怪我をした自分の左手を背中に隠した。
眉をひそめ、非難の目でその顔を見上げるスュン。
「だ、駄目だ」
少年が言った。
「俺の手には毒液が掛かっている。触ったらスュンさんの手まで毒に汚染されてしまう」
「私は、
「せん……めい……かつ? あの怪物の事か?」
問いかけを無視し、なかば強引に少年の左手首を
スュンの言っている意味を理解したのか、今度は抵抗せずに左手を差し出す。
怪我をした少年の左手を、自分の両手で優しく包み込むように握る。
「……痛みが……引いていく……」
驚いたように
「これが、治癒魔法……というやつか? あ、ありがとうございます。スュンさん」
「なぜ、私の名を知っている?」
「え?」
「なぜ、私の名を知っているのかと、聞いているのだ」
「それは……その……」
「あの友人に聞いたのか? ブルーシールドとか言う?」
「そ、そう……です。あいつ、
言いながら、少年は何故か目を
「不公平だ」
「は?」
「私は名前を知られているというのに、私のほうは、名前を知らない。こんな不公平な事は無い」
「あ、ああ、そうですよね。あの、俺……アラツグ……アラツグ・ブラッドファングって言います。よ、よろしくお願いします」
「アラツグ・ブラッドファング……アラツグ……ブラッド……ファング」
スュンが、かみ締めるように二回、アラツグの名を
アラツグの手から、完全に痛みが消えた。
「これで、終わりだ」
スュンがアラツグの目を見て言う。
「これ以上の治療は私にも無理だ。しばらく清潔にしていれば自然治癒するとは思うが……念のため、人間の医者に見てもらったほうが良い」
「ありがとうございます……あの、ずうずうしいお願いですが、あそこに横たわっている老人の様子も見てやってもらえませんか。彼も、その
アラツグの指さす方向を見ると、確かに神経をやられて地面の上で
「わかった」
スュンが老人の方へ歩く。アラツグもその後について行った。
「ナイフを持っていないか?」
老人の
アラツグが、ベルトの後ろの部分に差していたナイフをスュンに渡す。
ナイフを受け取って、
胸から腹にかけて、みぞおちに沿って三ヶ所、
「かなり、深いな……」
スュンが
「私が出来るのは、せいぜい止血と痛み止めの魔法くらいだ」
言いながら、老人の胸に開いた傷口に手をかざす。
「現時点で既に、かなりの量の血が流れ出てしまっている。それはもう、どうにもならない。それに、この位置と深さから推測して、内臓に重大な損傷を負っている可能性が高い。それも、私には、どうする事も出来ない」
「そうですか……」
「できる限りの事は、する」
「あ、ありがとうございます」
老人の傷から流れていた血が止まった。
しかし、
その時、男のエルフ……ヴェルクゴンが近づいてきた。
「スュン……凄いことだぞ。あの
興奮気味に言う。
「しかも、その攻撃
「ヴェルクゴン、この老人の体にまわった毒を中和してあげて」
「何だ。人間ごときに。捨て置けば良いだろう。たかが人間の生き死になど、どうでも良いではないか。それより、こっちへきて
「ヴェルクゴン!」
真剣な
「ああ、分かった、分かったよ。人間のような下等動物に
スュンに
徐々に老人の
「ずいぶん多量の毒を流し込まれているな……」
解毒の魔法を使いながらヴェルクゴンが言った。
「
老人は完全に脱力して赤土の上に横たわっている。
「今の私が一度に中和できる量は、これで目一杯だ。ちょうど今朝スュンが受けた程度の微量の毒が、まだ体内に残っている。全身麻痺状態はしばらく続くだろうが、何日か
2、アラツグ
「まったく、死に
ヴェルクゴンは「もう人間になど興味は無い」とでも言うように、怪物の死骸に向かって歩き出した。
「あ、あの」
アラツグがヴェルクゴンに呼びかける。
ヴェルクゴンが振り返って、何だ、お前は、とでも言いたげにアラツグを見た。
「あ、あの、ありがとうございました」
「フンッ」
鼻で笑って、
「ありがとうございました」
アラツグは、今度は、スュンに向かって小さな声で言った。
スュンが何か言いたそうに、でも、何を言ったら良いか分からないといった感じで、アラツグを見つめる。
「スュン、何をしている? 早く!」
ヴェルクゴンに呼ばれて、結局何も言わずにスュンも怪物の死骸へ歩いていった。
アラツグは、地面に横たわる老人を見た。
意外にも、目を閉じてはいなかった。
うつろな目が、アラツグを見ているように感じられる。
その動きに合わせて、老人の視線がアラツグを追う。
(やはり、意識があるのか……)
「俺がしてやれるのはここまで……つっても、俺は何もしてないけど。あとは医者に何とかしてもらうんだな。じいさん」
聞こえているのかどうか分からなかったが、さよならを言うつもりでアラツグが老人に言った。
……その時。
「おい、そこの人間」
ヴェルクゴンが大声で誰かを呼んだ。
顔を上げると、再びこちらに向かって歩いて来るヴェルクゴンとスュンの姿が視界に入った。
どうやら「そこの人間」というのはアラツグの事のようだ。
「おまえ、あの
ヴェルクゴンがアラツグに聞く。
「い、いや、見ませんでしたよ……俺が来たときには、もう死んでいるようだったし」
アラツグは、とっさに嘘を
老人の治療をしてもらった恩人に嘘を
その言葉を聞いて、スュンがハッ、とアラツグを見る。
(スュンさんにはばれちゃったな。……まあ、そりゃ、そうか)
アラツグがここに来たとき既に
スュンが化け物の死骸を振りかえり、もう一度、アラツグの顔を見た。
その顔に、みるみる驚きの色が広がっていく。
(あちゃあ、俺があの
何故、アラツグは嘘を
アラツグ、中途半端な笑顔をスュンに返す。
「そうか。と、なれば唯一の目撃者は、この死に
ヴェルクゴンが老人を
どうやら
とっさに左手を背中に回してヴェルクゴンから隠した。
「さて、どうしたものか……出来れば
(また、おい人間、かよ)
アラツグ、さすがに
「なんですか」
「最後に、良いことを教えてやろう。あの
「……」
ヴェルクゴンがスュンに向き直る。
「スュン、いったんエルフの森に帰ろう」
ヴェルクゴンが言った。
「え?」
「とにかく、今日はいろいろな事があった。早く帰って、その全てを長老たちに報告するべきだ。そうは思わんか? エリクの死体を回収する必要もあるしな」
「そ、そうね……」
ヴェルクゴンとスュンが三歩ほど後ろに下がる。
スュンが、何か言いたそうにアラツグを見つめている。
ふわり……
エルフたちの体が、ゆっくりと浮き上がった。
(スュンさんが……スュンさんが帰ってしまう! も、もう会えないかもしれない……ど、どうしよう……どうしたら……どうしたら良いんだよ!)
アラツグ
もう少しで
「す、すゅんさ~ん! お、おれと、つきあってくださ~い!」
半ばパニック状態で、アラツグは叫んだ。
上昇していたスュンの体が、ピタリと空中で止まった。
遠巻きにアラツグたちと
時が止まったような静寂が