ハーレム禁止の最強剣士!

スュンとオリーヴィア、巨大陥没の中心に立つ。

1、オリーヴィア

「人間の街に行けば、スュンもぐ気付くだろうけれど……」
 銅貨をつまんで腫れあがった右手の親指と人差し指の治療を終えて、スュンが「訓練小屋」と呼ばれる建物に行くと、待っていたオリーヴィアがいきなり話し出した。
「魔法が使えるとは言っても、我々エルフが人間社会で暮らすのは、それほど楽な話では無い……いや、『クラスィーヴァヤのエルフ代表』として『通商活動おもてのしごと』をしている限りは問題ない。堂々とエルフとして人間を相手にすれば良いのだから」
 緑のエルフグリーン・エルフは、小屋のドアノブを指さしながら話を続けた。
「問題は『スパイ活動うらのしごと』をする時よ。から。……単に姿形すがたかたちを真似れば良いという物ではない。人間らしく振舞わなければいけない。理想としては、人間がさわるものをさわり、人間が着るものを着て、人間が食べるものを食べて、初めて、完璧に化けたと言えるのだけれど……我々エルフとて万能ではない。種族としての限界を超えることはできない。そこで、さっきのような技術テクニックが必要になって来るわけ。分かる?」
「……はい。分かります」
「よろしい。……では……」
 オリーヴィアは、言いながら「訓練小屋」の扉を開けた。
 
 ……いや、おそらく、手を使って回したのではない。
 手で回したりをして、そのじつ、金属のドアノブにはぎりぎりさわらずに、魔法を使って動かしたのだ。
 それにしても見事なものだ。
 言われなければ魔法を使ったとは、とても思えない。
 よほど精密に手の動きと魔法を連動させなければ、こうは行かない。
「さあ、中に入りなさい」
 言われるまま、スュンはオリーヴィアと共に小屋の中へ入った。
「そこで今日から七日間、スュンには、この小屋で寝起きしてもらいます」
 上司の言葉に、スュンが部屋の中を見回す。
 ベッドが一つ、衣装戸棚が一つ。机が一つ。燭台しょくだいが一つ。窓には無地のカーテン。部屋のすみに古ぼけた水時計。もちろん水は入っていない。
 壁から生えた物掛けに、鍋がぶら下がっている。
 小さな食器棚の中に食器が数点。
 それ以外には何もない。
 殺風景といえば殺風景だが、物がほとんど無いことを除けば、スュンが今まで住んでいた家と広さや間取りなどはそれほど変わらない。
 ……ただし……
「ここにある金属類は全て、鉄製か銅製、あるいは真鍮製よ」
 オリーヴィアの言葉にスュンがうなづく。
「この小屋も、クラスィーヴァヤの森にある他の建物と同じく、我々エルフが依頼して人間の職人が建てたものだけれど……他の建物がくぎ一本一本に至るまで全て金製・銀製の『エルフのための特注品』なのに対し、この小屋だけは『ごく普通の人間の住む家』をして建てられている。……この意味が分かる?」
「ここは一種の訓練施設という事ですね? 人間社会に慣れるための」
「そう言う事。あなたには、これから七日の間、鉄や銅をさわる『り』をする、その訓練を自主的にやってもらうわ……いいえ……鉄や銅に関してだけではない……朝起きてから夜寝るまで、できる限り人間の生活を真似てちょうだい。……例えば」
 オリーヴィアが、机の上の燭台を指さす。
「今日から、夜中に『明かりの魔法』を使うことを禁止します。人間と同じように、蝋燭ろうそくを使うのよ」
「わかりました」
「ペーターは、敷地の反対側にある馬小屋で寝泊まりしているわ。人間に関することで分からないことがあったら、彼に聞くと良い」
「……はい」
「それから今日の予定だけれど、私自身の書類仕事が一段落ついたら呼ぶから、そしたら母屋おもやに来てちょうだい。人間の街に帰る前に、もう一度、例の『潜冥蠍せんめいかつ事件』の現場を見ておきたい。スュンにも付き合ってもらうわ」
「わかりました」
「じゃあ」
 そう言ってオリーヴィアは小屋から出て行こうとした。
 出て行こうとして、その直前で立ち止まって振り返る。
「ああ、そうそう、言い忘れた。あのすみっこにある水時計に水を入れて、時間をはかれるようして置いて。調整の仕方は、ペーターが教えてくれるから。それから食事だけれど、母屋おもやの食糧庫に木の実やらドライフルーツやら蜂蜜漬はちみつづけの備蓄があるから、何でも好きなものを勝手に食べて良いわ……最終的には人間式の食事にも慣れてもらうつもりだけれど、今は、そこまでは言わない。……じゃあ、またね」
 言いたい事だけ言い終わると、スュンの返事も待たずに上司は母屋の方へ歩いて行った。
「ふう……」
 オリーヴィアの姿が見えなくなると、スュンはベッドに腰を掛けて、天井を見上げた。
 分かっていたつもりだったが、あの上司、なかなか一筋縄では行かない人物のようだ。
 改めて覚悟を決めなければいけない……上司にだまされ銅貨に触れ、今は包帯でぐるぐる巻きになっている自分の指を見て、スュンは思った。

2、スュン

 これから七日間、自分が寝泊まりする事になる「訓練小屋」の窓を開け、軽く部屋の掃除をしてから、上司に言われた通り、水時計に井戸からんできた水を入れ、動くようにした。
 細かい調整の仕方しかたはペーターに教えてもらった。ついでに、蝋燭ろうそくのある場所と、火を着ける方法、それに食糧庫と、便所の場所も。
 人間の下僕ペーターは、聞けば何でも教えてくれた。
 だからと言って、顔にも声にも表情というものが全く無いこの男に対して、スュンが感じた嫌悪の気持ちが払拭ふっしょくされる事はなかった。
 昼過ぎにドライフルーツと水で軽く腹を満たし、午後は与えられた「訓練小屋」で鉄製のフライパンや銅製のなべ、真鍮製の燭台しょくだいを動かす訓練をした。
 単に、浮遊魔法で道具類を空中に浮かせるだけなら造作ぞうさもない。
 問題は、いかにも人間が手で持ち上げたかのように浮遊魔法を使い、その動きに合わせて自分の手をえる事だった。
 オリーヴィアの言う通り、両手と道具のあいだき過ぎていたり、浮遊魔法と手の動きが完全に同期していなければ不自然に見えてしまう。そうかと言って、手と金属製の道具を近づけすぎれば、ちょっとした不注意でれてしまい、先ほど銅貨コインれた時のように、手が赤くれあがってしまうだろう。
 スュンは、膏薬を塗って包帯を巻いた自分の右手人差し指と親指を見た。
 これでは今日一日、剣を握ることもできない。
 無数のこまかい針で指のはら全体を刺されたような、鋭くしびれるようなあの痛みを再び味わう事は、出来る限りけたかった。
 思わずいきれる。
 自分は、あの瞬間、なぜ人間の街に行きたいなどと思ったのか。
 そもそも人間の街に行ったところで「かれ」に会える保証など何処どこにも無いではないか。
 広い森の中を当てもなく彷徨さまよったところで、お目当てのエルフに会う確率など無いに等しい。
 同じように、広い人間の街を当てもなく彷徨さまよったところで、お目当ての人間に会うことなど出来るわけがない。
 第一、運良くあの少年に会ったとして、それで、どうする?
(理由はどうあれ、ったのは私の方だぞ)
 いくらっていたとしても、エルフと人間では、違うことが多すぎる。種族、寿命、体質、育った文化や価値道徳の基準……
 だから、無理だと判断した……判断したのは、他でもない自分自身だ。
 あれから何が変わったという訳でもないのに、人間の街へ行っても、どうしようも無いだろうに。
「とにかく、私は一歩み出してしまった……み出してしまった以上、今さら後戻あともどりは出来ない」
 事態はすでに転がり始めている。
 前に進むしかない。

3、エリク

 結局、ペーターがオリーヴィアの伝言を持って呼びに来たのは、午後四時近くだった。
「急ぎましょう。ここから現場まで空中浮遊魔法で飛んで、およそ一時間。今から行って、日が沈むまでに帰れるかどうか……」
 言うなり、オリーヴィアのブーツが地面を離れた。体がフワリと上昇していく。
 あわててスュンも浮遊魔法を発動させ、空中に浮かび上がった。
 森の上空を一直線に目的地へ向う。
 それから一時間後。
 二人が「潜冥蠍せんめいかつ事件」の現場に到着した時には、日もかなり傾き、空間のゆがみがえぐった半径百五十レテムもある巨大な椀状わんじょうの穴の大部分が、自ら作り出した長い影に覆われて良く見えない状態になっていた。
 それでも、その異様な光景は、上空に定位したスュンの目を奪った。
「す……すごい……」
 あの事件以降、スュンはこの現場を訪れていない。
 異常現象が発生した時には気を失っていたから、事件の傷跡きずあとをこうしてまざまざと見せつけられるのは、今日が初めてだ。
「底へ降りる」
 オリーヴィアが、高度を下げはじめた。
 スュンもそれにならう。
 二人は、穴の中心に降り立った。
 今度は穴の底から、森の木々を見上げる格好かっこうになった。
 半径百五十レテムの半球状の穴の中心から周辺部を見上げれば、その高低差は百五十レテム。
 これだけの地形が一瞬にして形成されたというのは、尋常じんじょうの事ではない。
「どう? 何か思い出した?」
 上司の質問にスュンは首を振る。
「いいえ……何も……」
「……そうか……何も思い出せないか……」
「申し訳ありません」
「別に謝ることは無いでしょう。事実は事実でしかないのだから」
 言いながら、オリーヴィアは「分かってはいたけれど、残念だ」という感じに小さくいきいた。
「スュン、こんな巨大な穴が何故なぜ、突然、森の真ん中に現れたか、分かる?」
「いいえ」
「我々の仕事……つまり、今日からはスュンの仕事でもある訳だけれど……その我々の仕事にも関係がある事だから簡単に説明しておくわ。は、ね……三千年のあいだ安定していた『世界と世界の壁』が、再び不安定になり始めているという、最初の証拠よ。その不安定になった『壁』を破って、もうすぐ『やつら』が、やって来る……」
「やつら……?」
禍々まがまがしき異界の神々……おぞましき物ども……呼び名は色々だけれど……私たちの住むこの世界とは、全く別の原理ことわりを持つ別の世界……そこから侵略してくる、この世界の生態系とは生き物……凄まじく、強力で、異様な、生き物ども……『やつら』の侵攻が本格化する前に、我々は先手を打たなければいけない。万物の霊長、魔法の種族、この世界の頂点に立つエルフ族の一員として」
「……」
「話が突飛とっぴすぎてにわかには信じられない、って顔ね?」
 オリーヴィアの言葉に、スュンは曖昧あいまいな表情を浮かべる。
「まあ、良いわ。についた以上、これから嫌でも何度も何度も聞くことになる話だから。今日は、この辺にしておくわ。日も暮れそうだし、帰りましょうか……」
 夕暮れが森の木々を赤く染め、深い穴の底は暗い影に覆われている。その中心に二人。エルフの女が向かい合って立っている。
 突然、スュンの顔を見たオリーヴィアの目が驚きのために大きく開いた。
 スュンは、一瞬戸惑とまどう。
 この上司は、私の顔を見て何故なぜこれほど驚く?
 ……いや、違う……
 彼女は私の肩越かたごしに、私の後ろを見つめているのだ……
「……スュン……」
 突然、真後ろから聞こえた、自分の名を呼ぶ声に、ぞっとした。
「……痛いよ……スュン……」
 聞きおぼえのある、少年の、声。
「……痛いんだ……スュン……ぶよぶよした嫌らしい肉のくだが、僕の頭蓋骨あたまの中をい回るんだ……肉のくだが動くたびに、僕のは少しずつ、少しずつ、吸い取られて……ああ、痛い、痛い……スュン……何とかしてよ……」
 スュンは、ゆっくり、ゆっくり後ろを向く。
 エリクが立っていた。
 閉じた目蓋まぶたの間から、真っ赤な血液がダラダラと流れ落ちている。
 その閉じた目蓋まぶたには『中身』が無い。
 皮膚が眼窩がんかの内側へ向かって不自然にいる。
 あの潜冥蠍せんめいかつとの戦いの直前、スュンが最後に見た死に様そのままだった。
「……エリク……」
「痛いんだ、スュン……助けてよ……何とかしてよ……スュン……」
 血の涙を流し、エリクがスュンに呼びかけてくる。
 訳も分からず、スュンは死んだはずの少年の呼びかけに答えるように、一歩前へみ出した。
めなさい、スュン!」
 後ろからオリーヴィアに左肩をつかまれる。
 その上司の手に、ぎゅっ、と力が入った。
「あれは、殺された少年ではない! エリクではない! スュン! 惑わされるな」
 はっ、として、上司の方を振り向く。
 オリーヴィアの瞳が、黄金色に輝いていた。
「あれは『残留魔力ざんりゅうまりょく』だ。死の瞬間、少年の体内から放射された魔力が一つに凝り固まった物だ」
「ざ……残留……魔力?」
「死の瞬間、少年の体内から一気に放射された魔力が凝り固まり、すでに死んでいる本体……エリクの姿形すがたかたち……と……その精神を……真似ているだけだ。魔力によって形成された、元のあるじの、単なる劣化した複製物コピーでしかない」
「で……でも……」
「不慮の事故で変死してしまったエルフに、ごくまれに起きる自然現象だ……近づかない方が良い。死んでしまった本体の……エリクの精神を複製コピーしているとは言っても、劣化して狂ってしまっている可能性が高い。しかも、その実体じったいは純粋な魔力の塊。暴走して周囲にどんな害を及ぼすかもしれない。とにかく、離れましょう」
 オリーヴィアが後ろからスュンを羽交はがいめにして浮遊魔法を発動させ、むりやり空中に浮かび上がる。
「ある程度距離を取ってしまえば、危険は無いと思う」
 羽交い絞めにしたスュンの耳元で、オリーヴィアがささやく。
「意味もなく穴の周辺を彷徨さまよっているだけのようだから……今日は、このまま帰る事にする。長老会には、私から報告しておきます。あとは偉い方々が何とかしてくれるでしょう。さあ、落ち着いて、自分の浮遊魔力を使いなさい」
 何度か深呼吸をしたあと、スュンは精神を集中させて、空中でオリーヴィアから離れた。
「……可哀かわいそうに……」
 オリーヴィアがつぶやいた。
 眉をひそめながら、死んだエリクの『亡霊』……残留魔力が形づくる少年の姿を見下ろしている。
 スュンも空中から『亡霊』を見下ろした。
 あれは、エリクではない。本物のエリクは、もう死んでしまった。
 あれは、劣化した複製物。たぶん、その通りなのだろう。
 ……でも……
「……行きましょう」
 オリーヴィアがスュンに声を掛けた。
 スュンの返事も待たずに、上司は自分の家へ向けて加速を始めた。
 あわてて、それを追いかける。
「……スュン……」
 空中を移動しながら、オリーヴィアが振り返った。
「あなた、結構、重いのね?」
 いたずらっぽく笑う。
「ちょっと、お尻に、お肉が付きすぎね」