ネタバレ! 初代「ゴジラ」を再視聴して。
数か月前、1954年の初代ゴジラを再視聴した。
ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】 [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2014/06/18
- メディア: Blu-ray
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*ネタバレ。
最初に初代ゴジラを観たのは1990年代前半、もう二十年以上前の事だったと記憶している。
いわゆる平成ガメラ第1作「ガメラ 大怪獣空中決戦」より前だったのは憶えている。
私が当時の特撮映画の状況をどう思っていたかというと、海の向こうのハリウッドが1977年のスターウォーズ以降、80年代を通して日進月歩を続けていたのに対して、どうしてもオールド・スクール然と見える日本の怪獣映画に歯がゆい思いを感じていたように記憶している。
90年代に入り、ハリウッドの特撮は急速にコンピューター・グラフィックスにシフトし出していて、日本の特撮はますます水をあけられる一方に感じて、日本の特撮映画界、ひいては日本映画界はこれからどうなっちゃうんだろうと、私は、いち映画ファンとして外野席から心配していたように思う。
その後、平成ガメラ第1作を観て、ミニチュアと着ぐるみを使った伝統的な日本の特撮技術でも、カメラの角度やタイミングの取り方次第で、こんなにもわくわくできるのかと思い、また、回転ジェットや火焔などに部分的に使われたCGを観て「ひょっとしたら、コンピューターの発達は、むしろ日本の映画界にとっては福音になるかもしれない」と思った。
それは、それとして、初代ゴジラの話だ。
とにかく、当時(80年代~90年代前半)の日本の特撮が、同時代のハリウッドSF映画に対して水をあけられる一方の状況にもやもやしていた時、初代ゴジラをビデオにて視聴した。
凄い映画だと思った。
フィルム全体にみなぎる緊張感。暗いトーン。シリアスなストーリー。
確かに地上を走る自動車などはミニチュア然としてたが、それ以外の部分では、ゴジラの放射能火焔を浴びて燃えさかる東京の町や暗闇の中をゆっくりと歩くゴジラの姿に、着ぐるみであることやミニチュア特撮であることを忘れさせて観る者をぐいぐい引き込んでいく凄みがあり、また、ストーリー的にも、オキシジェン・デストロイヤーと芹沢博士、そしてヒロイン山根恵美子を巡るストーリーに心を奪われた。
私が初代ゴジラを観たのは1990年代前半だ。CGで自由自在に動くターミネーター T-1000 が既にスクリーンで暴れ回っていた時代だ。CGのターミネーターから見れば、昭和29年の特撮技術はオールド・スクールも良い所だ。それなのに、この凄みは何だ?
映画の質は、かならずしも技術の進歩だけで決まるものではないな、と、そのとき初めて思い知らされた。
その数年後、有楽町マリオンで再上映された「七人の侍」を観て、「最新こそが最良である」という、どこかのスポーツカーのキャッチフレーズは、映画に関しては当てはまらないな、と確信した。
ちなみに、ゴジラと七人の侍は同じ昭和29年、東京物語と雨月物語は昭和28年公開だ。
初代ゴジラの凄みの理由は、何だ?
良く言われるのは、初代ゴジラが封切られた昭和29年は、終戦からまだ9年、広島と長崎に原爆が投下されてまだ9年しか経過してなくて、作り手にも観客にも戦争の生々しい記憶が残っている時代に、戦争の象徴、核兵器の象徴たるゴジラが日本を襲うという話が、リアルで切実な記憶を日本人の中に蘇らせたという説だ。
当時、この解釈に対して、私は「たぶん、その解釈は正しいのだろうな」と思っていた。
理性的な理解として。
当然だ。私にとって第二次世界大戦とは、歴史の教科書で習う知識でしかない。
そして、最近、20年ぶりに初代ゴジラを観た。
ゴジラの有名な1シーンに、ゴジラが東京を破壊した翌日、避難所で医者が被災した少女(小学校低学年くらい)にガイガーカウンターを突きつけるという場面がある。
ガイガーカウンターの針が反応し、医者とヒロインの恵美子が顔を見合わせて「駄目だ……」みたいな表情を浮かべる。
つまり、この少女は、見た目は健康そのものだが既にゴジラによって放射能を浴びせられ、今は健康に見えても将来は絶望的だ、という描写だ。
20年前、初めて見た時にも、その意味は良く分かった。また、このシーンが原爆投下からまだ9年しか経っていない時代においては日本人の心には深く刺さる描写だったろうな、というのも予想できた。
理性的な理解として。
そして先日20年ぶりに初代ゴジラを再視聴してこのシーンを観たとき、こんなにも自分の胸に刺さるとは思っていなかった。
つまり20年前の私と、2016年の私では、ゴジラに対する切実さが変わってしまったということだ。
終戦後まだ9年しか経っていなかった昭和29年の日本人と同じように、現代の2016年に生きる私にとっても、日本人が同じ日本人の少女にガイガーカウンターを突き付けるというシーンが、深く心に刺さるものになってしまった。