SNSに我が子の写真を載せる時「田舎のお爺ちゃんお婆ちゃん見てる?」なのか「世界よ、可愛い我が子を見てっ!」なのか
SNSというものの意味を考えたとき、まあ、それはフェイスブック流に言えば「つながる」という事なのだろうが、つながるべき相手は一体誰なのだろうか、という事が気になって仕方がない。
世界中の不特定多数の事なのか、あるいは極く限られた家族、知人、友人を指しているのだろうか。
つまり、SNSに我が子の写真を載せたという事は、いったい投稿者にとってどんな意味があるのだろうか。
- 「田舎のお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、叔父ちゃん、叔母ちゃん、見てる? 花子ちゃんは、こんなに大きくなりました。今度帰省した時には、お年玉よろしくっ」というメッセージ
- 「世界中の70億人の人類よ、私の、この可愛い我が子を見てっ! PVよろしくっ、いいねボタンよろしくっ」というメッセージ
初期のSNSの多くが「招待制」だったり、フェイスブックが友達として認められないと「つながる」事が出来なかったりする事を考えれば、SNSの本来の機能は、1.の「比較的少人数の家族、知人、同じ趣味の人」と繋がる事が主目的だったはずだ。
そもそも、2.の「世界中の不特定多数に対する、『私を見て』という発信機能」が主目的なら、インターネットの基本インフラである「HTMLサーバーおよびHTMLブラウザ」それ自体が、「個人が低コストで全世界に向けて情報発信する」機能そのものだ。
そういう「HTMLで文書を書いて全世界に公開する」という機能の「再定義」としては既に「ブログ」があり、わざわざ煩雑な「つながる」手続きを踏まなくても、ブログなら投稿した瞬間から全世界の人間が認証なしに閲覧できる。
それでも「不特定多数の人々に対して公開」するSNSユーザーの方が多いように思われる。
(ただし、最大手のフェイスブックは、さすが最大手だけあって、その辺を割と原理主義的に守っている)
なぜ、人々は「全世界に公開」するためのプラットフォームとしてSNSを使うのだろうか。
一つには、運営者側の都合があるように思える。
おそらく「限られた知人・友人に公開」と「全世界に公開」を「ソフトウェア」としてみた場合、両者には大した違いが無いのではないか。
せいぜい「公開フラグ」の違いくらいで。
ならば「どうせ似たようなプログラムで機能を実装できるなら、最初から両方出来るようにしちゃえ」という事だろう。
もう一つは「立ち上げ初期の段階での宣伝・拡散効果」という事もある。
限られた知人・友人に対してのみ「つながる」事が出来て、それ以外の不特定多数に対して情報発信できなければ、例えば「女優の○○も使っている」という宣伝文句をユーザーは検証しようが無い。
誰でも、その女優のプライベート写真を見られる設定になっていて初めて「女優も使っている」という文句を宣伝に使える。
ユーザー目線で見ると、どうだろうか。
知人・友人とつながるSNSを使って、全世界公開設定で、様々な写真や文書を投稿する意味というのは。
おそらく「あくまで親しい知人・友人に宛てたメッセージだけど、あわよくば全世界に拡散してくれたら嬉しいな」という、ちょっと複雑な気持ちがあるのではないだろうか。
流行りの言葉で言えば「ストレートに全世界に向けた承認欲求」ではなく「ちょっと屈折した承認欲求」なのかもしれない。
私は、個人的には、「全世界に発信する」という機能と「親しい知人・友人とコミュニケーションをとる」という機能は、別々のアプリケーション、別々のサービスで実現した方が良いと思う。
そういう意味でもメインの機能と「フェイスブック・ページ」を切り分けて考えているフェイスブックは、さすがにSNS原理主義を貫いている。
それが全世界でのSNSシェア第一位というのは、色々考えさせられる。
*以下、宣伝。
青葉台旭・作
ハーレム禁止の最強剣士!
自作の小説です。よかったら読んでみてください。