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ボトムズのキャラクターデザインは端正だ。

 

装甲騎兵ボトムズ DVD-BOXI

装甲騎兵ボトムズ DVD-BOXI

 

 (リンクはアマゾンのDVD販売だが、私が見たのはバンダイ・チャンネルだ)

暇を見てはバンダイチャンネルで「装甲騎兵ボトムズ」を見ているのだが。

暇があると「装甲騎兵ボトムズ」を見ている。そうかこれはフィルム・ノワールだったんだな。

主人公のキリコ・キュービィと、ヒロインのフィアナの容姿が非常に端正な事に驚かされる。

アニメの主人公が美男美女なのは当たり前といえば当たり前だが、そういう話ではなく、簡単に言うと「アニメ特有のディフォルメや抽象化が『きつく』ない」という事だ。

昔のテレビアニメなので、シーン毎の、担当アニメーターの個性による絵の『ばらつき』は当然のごとくあるのだが、ここでは基準のキャラクターを作った塩山紀生の絵に注目している。

1980年代のある時期、「機動戦士ガンダム」以後、「大人の鑑賞に堪えうるハードなストーリー」のアニメを目指す動きがあったと思う。

リアルでハードな物語は、恐らく、それに見合う「リアル志向の」あるいは「劇画タッチ」とでも言うべきキャラクター描写を要求したのではないだろうか。

「新世紀エヴァンゲリオン」の監督、庵野秀明が、何かのインタビューで「しょせん、アニメのキャラクターは、どこまで行っても記号でしかない。少女の体を肌色に塗れば、それは裸で、水着の輪郭線を描いてその内側を青色に塗れば水着だ、という事でしかない」と、言っていたように記憶している。

確かに「新世紀エヴァンゲリオン」を見たとき「生々しさ」が極端に削ぎ落され抽象化されたキャラクターに驚かされたものだし、今にして思えば、そのどこまでもクリーンな感じが万人に受け入れられたという事も分かる。

「エヴァンゲリオン」が世に出た1990年代というのは「萌え」という言葉が生まれて広まるのと同期するように「キャラクターの記号化・抽象化」が一気に進んだ時代だった。

しかし、そうは言っても描くドラマによっては、「実体感」が必要な事もあると思う。

「装甲騎兵ボトムズ」に話を戻すと、特にヒロインのフィアナの美しさは際立っている。

ちなみに、ウィキペディアによると「フィアナ」というのは炎を意味する「ファイア」の女性形という事らしい。主題歌の「炎のさだめ」にも、そういう意味が込められている。

なるほど。フィアナとは「炎の女」という意味か。

つまり、心の内に、身を焦がすほどの情熱を秘めた女という事か。

しかしフィアナは「感情を持たない、感情に左右されない『はずの』女」だ。

その「感情を持ってはいけない女」の外見として、ギリシャ彫刻のような美しさで描かれる塩山紀生のヒロイン像は、本当に良く合っていると思う。

「人工的と言える程の美しい外見(しかし過度に記号的ではない)を持ち、どんな時も感情に左右されないように見える女。しかし、その心の底には情熱の炎が燃え盛っている」

う~ん。素晴らしい。

何が言いたかったかというと、ひとことで言えば「フィアナ萌え」

*以下、宣伝。

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青葉台旭・作
ハーレム禁止の最強剣士!

自作の小説です。よかったら読んでみてください。

2015-12-04 18:00