森の中を歩いていたら、突然、何本もの柿の木のある場所に行き当たった。
少し肌寒くなってきた十一月の終わり。
雨上がりの森の中、濡れた小道を一人歩いていたら、突然、視界が開けた。
一面、たわわに実った柿の木々が無数に生えていた。
桃源郷ならぬ、柿源郷に迷い込んだとでも言うのだろうか。
私は夢を見ているのか……
桃源郷あらすじ。
四世紀の中国に生まれた作家、陶淵明が記した話です。
ある漁師(海ではなくて川で魚を取る漁師)が、川を遡っているうちに迷ってしまい、自分がどこに居るのか分からなくなってしまった。
と思ったら、突然、いちめん桃の木ばかりの場所に行き当たった。
洞窟を見つけて、中に入ってみると、洞窟の向こう側には外の世界と切り離された、平和で豊かな村があった。
村人たちに歓迎され、楽しいひと時を過ごしたあと自分の家に帰った。
その後もう一度その村に行ってみたいと思って探したが、とうとう見つけることが出来なかった。
迷い家。
日本の伝説でいう「迷い家(まよいが)」なんかにも通じる話ですな。
森の中をさ迷っていたら、突然、豊かで平和なファンタスティックな場所に行き当たって、そこで夢のようなひと時を過ごしたあと、人間社会の自分の家に帰って、後日もう一度あの場所へ行きたいと思っても絶対に行けないという。
古代人も現代人と同じ悩みを持っていたのか。
若い頃、古代中国の詩集を日本語訳で読んだことがあります。
そのほとんどが、一言でいえば「都会の暮らしを捨てて田舎でマッタリと生活するのって最高」っていう内容なんですな。
多くが田舎にある自然の風景を愛でた詩なのですが、単に風景を描写するだけじゃなくて「美しい大自然に囲まれてのんびりと暮らす」事の素晴らしさを詠っているのです。
ところが、その現代日本語訳の本に載っている解説を読みますと、古代中国の詩人というのは、ほとんどが厳しい受験戦争を勝ち抜いて国家公務員試験に合格したエリート官僚なのです。
今から千年以上前の世界有数の大都会である「長安」の、超エリート国家官僚たちの間に、
「厳しい国家公務員試験に見事合格してエリート官僚になったけど、巨大組織で仕事するのが嫌になって全部捨てて脱サラして、まったりと田舎暮らし始めたら、もう最高です」
という価値観が共有されていたのには驚かされます。
その詩集は、複数の詩人の詩を集めたアンソロジー形式だったのですが、ほとんどは前述したように「まったり田舎暮らし最高」という内容です。
ところがその中に少数ですが、ぽつり、ぽつりと、
「厳しい受験戦争に打ち勝って都会でバリバリのエリートになるはずの俺が、ちょっとしたミスから地方に左遷されて、今じゃ田舎で悶々と暮らす日々。ああ、都会に帰りてぇ」
という詩が混じっています。
何だかリアルな感じです。
タネあかし。
森の中をさ迷っていて突然目の前に現れた一面たわわに実る柿の木の光景ですが、タネをあかせば、なんて事はない、森の近くに住む農家さんの柿畑に迷い込んだというだけの話でした。
しかし気になるのは柿の収穫時期が、とうに過ぎているという事です。
柿の栽培については素人ですが、葉っぱが全て落ちてしまっているのに、熟した無数の柿の実だけが収穫もされずに残されているのは何故でしょうか。不思議です。
*写真はK-S1+タムロン18-200マクロで撮りました。