僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

エピローグ。

1、ヨネムスさんの家

 森の道を抜け、オッドヤクートの町を通って、ヨネムス家に着くまでのあいだ一度も警察の車とは会わなかった。
 ヨネムス家に到着してみると、住職のSUV、僕らの乗って来た壊れたヴァンの他に、軍払い下げの四駆トラックが家の前に停車していた。
 兄が乗って来たのだろう。
 山寺周辺の森に隠しておいたスカイハウンドに乗って空を飛べば、数分で僕の家に到着する。それから地下サイロの秘密基地で装備を外してトラックに乗り換えても、僕らよりずっと早くヨネムス家に到着できる。
 雪道にクルマを停め、玄関まで歩いて行って扉をノックした。
 すぐに夫妻が来て扉を開けてくれた。後ろには普段着すがたの兄が立っていた。
 奥さんがサエコをギュッと抱きしめた。
「さあ、中へ入りなさい」
 ご主人様が言った。
 僕らは二階の部屋……サエコが使っている部屋ではなくて、その反対側の、かつてユキナさんが使っていた部屋に通された。
 階段を上るとき、レーザーガンで滅茶苦茶めちゃくちゃに破壊された居間がチラリと見えた。
 それほど広くもない二階の部屋に、ヨネムスさん夫婦、兄、僕、サエコの五人に犬のジーディーが入ると、座る場所を見つけるのにも苦労するくらいになってしまった。
「ちょっと待っていて頂戴。今、お茶を持ってくるわ」
 そう言って、奥さんは一階へ降りて行った。
 ご主人も「警察に電話をしてくる」と言って部屋を出た。
 ユキナさんが亡くなって以降、兄がこの部屋へ入るのは久しぶりのはずだ。僕はチラリと兄を見た。いつものサワノダ・リューイチだった。少なくとも、表面上は。
「あの、お兄さん」
 サエコが兄に声を掛けた。
「警察には、何と説明すれば良いんでしょうか?」
「最後に残された問題は、それだな。いちおう、俺が考えたストーリーがある。ヨネムスさんたちが来たら皆に話すから良く聞いておいてくれ」 
 しばらくしてヨネムスさん夫婦がお茶を持って部屋に戻って来た。警察に電話をしたから十五分後には来るだろう、という事だった。
 兄が僕らに、警察へは何と説明するかを話し始めた。
 話が終わるころ、遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。

2、春

 当然の事だけど、あっという間に事件はオッドヤクートの町じゅうに知れ渡った。
「あの夜とつぜん精神に変調をきたした住職は、戦時中どこかから手に入れたアサルト・レーザーガンを持ってサワノダ家を襲撃、レーザーを乱射後、今度はヨネムス家に行って、ここでも銃を乱射。追いかけて来たサワノダ・コウジらの乗ったヴァンにクルマを体当たりさせた後、なぜか自分のクルマの前輪を銃で撃って、サワノダ・コウジに拳銃を向けた所を、玄関からヨネムス氏にレーザー猟銃で撃たれた。
 動機は不明だが、深い森の奥で寺男と二人きりで生活しているうちに、何らかのストレスが住職の心の中に蓄積されていき、それがあの夜とつぜん暴発して凶行に至ったという説が有力。サワノダ家およびヨネムス家に特別の怨恨えんこんがあったという事実は無く、相手は誰でも良いという『無差別殺人』の可能性が大。
 同じころ、山寺で留守番をしていた寺男タロウは、研究所の自動ロックの正しい暗証番号を『偶然』押してしまい、開いた扉から中に侵入、開発中の秘密兵器を出鱈目でたらめに操作しているうちに機械が暴走し、燃料電池用の液体水素タンクに引火、研究所はみじんに吹き飛んだ」
 これが警察から公式に発表された事件のだ。
 僕とサエコも警察の事情聴取を数回受けたけど、成人である兄やヨネムスさん夫婦ほどではなかった。ローカル新聞社から来た記者の方がしつこい位だった。
 事情聴取、現場検証、新聞記者の取材、町の野次馬連中への対応、銃撃を受けた居間やダイニング室の窓ガラスの張り替え、壊れた家具の処分と、必要最小限の家具の買い替え。
 事件から一ヶ月の間は落ち着いて食事をするひまも無いくらいに日々が過ぎて行った。たぶん、ヨネムス夫妻とサエコも似たような感じだったと思う。
 事件にまつわるゴタゴタがやっと落ち着いて来た三月中旬のある日、僕はサエコをドライブに誘った。
 兄が買い替えた中古のヴァンに乗って、ヨネムス家へ迎えに行った。
 玄関から出て来た彼女はセーターを着ていた。事件の夜に着ていた緑色のコートには血がべったり付いていたから、もう着られないだろう。
 この地方に本当の春が来るのはもう少し先だけど、その日は良く晴れて気温も高かったから、セーターで出歩いても寒くはないと判断したのかもしれない。
 僕らはジーディーの運転するヴァンに乗って町はずれの湖に向かった。
 湖に到着したところでジーディーに指示を出し、湖畔にポツンと一軒だけ建つカフェの駐車場にクルマを入れさせた。ロボット犬はクルマの中で待たせておいて、僕らだけで店の中に入る。
 ウェイトレスが水面みなもの見える窓際の席に僕らを案内した。
 注文を聞いてカウンターに戻る途中、ウェイトレスが振り返って僕らを見た。事件以後、僕とサエコはすっかり町の有名人になっていた。事件の関係者というだけでなく、十四歳どうしでM・O・E・M・O・Eシステムの紹介で婚約したという事でも注目された。
 カフェに数人いた客たちもチラチラと僕らを盗み見ているのが分かった。
ながめの良い所ね」
 サエコが窓の外を見ながら言った。
「もう少しすると、周りの木々に葉がつくから、そうしたらもっと良くなるよ」
 色々話をしたかったけど、何しろ客もウェイトレスも皆、僕らに興味を持っているのが分かったから、あまり立ち入った話をする訳にもいかなかった。
 せっかく彼女を連れ出して来たというのに思い切り話が出来なかったというモヤモヤを感じながら店を出たところで、サエコの方から僕に言ってきた。
「少し歩かない?」
「え? でもセーターだけで寒くないかい?」
「今日はとても暖かいし風もきつくないから大丈夫よ。気持ち良いくらい」
「そうだな。それじゃ、湖の周回道でも歩こうか」
「うん」
 その日は特別暖かくて、確かにサエコの言う通り、湖の岸に沿って歩くと気持ちが良かった。
「その後、お兄さんの様子は、どう?」
 周遊道を歩きながらサエコが聞いて来た。
にユキナさんも居た……」
 あの中、というのは多分、研究所の地下実験室の事だ。
 地下で苦しんでいた少女たちの姿を思い出す。確かにその中には、顔と頭の半分を失ったユキナさんの魂もあった。
 当然、兄も気づいていたはずだ。
「表面上は、いつもと変わらないよ。冷静で無口な兄貴のままだ」
 僕はサエコに答えた。
「……でも……心の中までは分からない。あのユキナさんの魂を見てショックを受けなかったはずもないし」
「そうね」
「なあ、サエコ……教えてくれよ。人間の魂って、死んだらどうなるんだ? よく『天国へ行く』とかって言う人は居るけど……」
「分からない。いくら巫女でも、そんな事は分からないよ」
「そうだよな。ごめん」
「ううん」
 僕は話題を変えることにした。
「それにしても、ヨネムスさん夫婦が怪我けがひとつしなかったって言うのは、奇跡だよな」
 サエコがうなづいて言った。
「住職が襲撃した時、ちょうど二人そろって家の裏側にある風呂に入っていたんだって」
「なるほど……居間の明りを点けっ放しにして二人で風呂に入っていたのか。住職はてっきり夫妻が居間にいると思って銃撃した……って、ちょっと待てよ? サエコ、いまって言わなかったか?」
「言ったよ」
「あの二人、一緒いっしょに風呂に入っているのか? あの年齢としで?」
「うん。実は毎晩……」
「毎晩! 毎晩二人で風呂に入ってるのか? そりゃ、また……」
「良いんじゃないかな。夫婦なんだし」
「そ、そうか……そうだよな……夫婦なんだから風呂ぐらい一緒に入ったって良いよな……」
 本能的に、僕はサエコをチラリと見てしまった。
「コウジ、いま変なこと考えたでしょ?」
 サエコは前を向いたまま、僕と視線を合わさずに言った。頬が少しピンク色になっていた。
「ば、馬鹿、なに言ってるんだよ! あくまで一般論として、夫婦が一緒に風呂に入るのは当然だと言ったまでで、サエコと一緒に風呂に入りたいとか、そんなこと考えてねぇよ」
「何でそんなにになってるの? しかも顔まっだし」
じゃないって。それにサエコだって顔赤いぞ」
「え? そ、そうかな? 気のせいじゃないかな。気のせいじゃなかったら天気のせい?」
「あ、今うまいこと言った気になっただろ?」
「違うって……えっと、今日は暖かいから、ちょっと厚着しすぎたかなぁー、なんて。……ふう、暑い暑い……」
 サエコがセーターの胸の辺りを手で引っ張った。
 その仕草しぐさに僕は何故なぜかドキッとした。
「あの、ひとつ、お願いがあるんだ」
 僕は我慢できずサエコに言った。
「え? なに?」
「て、手をつないでも良いかな?」
「ええ?」
 サエコは驚いたようにしばらく僕を見つめてから、「いいよ」と、言った。
 僕はサエコの手をにぎった。細くて柔らかい手だった。
 それから僕らは湖畔の道を歩きながら色々な話をした。歩きながら話しているうちに、僕とサエコの距離がどんどん縮まっていくような気がした。
 湖を半周したところで僕は急に立ち止まった。戸惑とまどったような感じでサエコも立ち止まって、僕を見た。
「どうしたの?」
 その場所はカフェのちょうど反対側で、しかも岬のように突き出た地形の陰になっていた。
「あの、もうひとつ、お願いがあるんだ」
 僕はサエコに言った。
「え? なに?」
「キ、キスしても良い?」
「ええ?」
 サエコが「いいよ」と、言った……か、どうか……それは次の機会に書こう思う。
 僕とサエコが出会った最初の事件の話はこのあたりで終わりにして、ひとまずは筆を置く事にしよう。

――― モエモエで来た少女 終わり ―――