僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

カレーライスとレーザーガン。

1、水晶

 冬至から一ヶ月ほどしか経っていない。まだまだ日は短い。午後四時をまわって急速に暗くなっていく雪原を走るヴァンの中で、僕は懐中時計を見た。
「約束の時間には少し早いな。そうかと言って町まで往復するほどの時間も無い。……何もない所だけど、僕の家で待っていてくれるかい?」
 サエコがうなづいた。
 十五分後、ジーディーが庭に停車させたヴァンから出て、僕らは母屋へ、ジーディーは庭の隅にある犬小屋へ向かった。
 母屋は暗かった。納屋を見ると、小さな窓から明かりが漏れていた。兄は納屋で機械修理の仕事をしているのだろう。
 玄関を開けて母屋に入り、電灯をける。
 サエコを居間に通して、ストーブに火を入れ、ソファに座って待つように言ってから母屋を出て納屋へ向かった。
 作業場に入ってみると、兄は電灯の下でコンプレッサーを組み上げている所だった。
「ただいま」
「早かったじゃないか。しかし、が終わるまでは手が離せないぞ」
「いいよ。サエコと母屋で待ってるから。それより、今日は手伝えなくてゴメン」
「仕方が無いさ。サエコさんとの話は終わったのか?」
「終わっていない。というか、兄貴にも話に加わってほしいんだ」
 兄は少し怪訝けげんな顔をしたあと「わかった」と言って修理に戻った。僕はそれ以上何も言わずに納屋を出た。
 母屋の居間に入ると、ストーブの熱で大分暖かくなっていた。
 サエコはコートを脱いでソファに座っていた。
 僕も中綿のハーブコートを脱いで、相向かいのソファに座る……つもりだったけど、直前で気が変わってサエコの隣に座った。
 彼女は少し驚いたようだったけど、すぐに僕を見てニッコリ微笑んだ。
 それから一時間、僕らは二人で居間のソファに並んで座っていろいろな事を話した。
 何を話したのか、それは秘密だ。とにかく二人きりで話した時間は、あっというまに過ぎて行った。
 五時十分か十五分過ぎくらいに兄が母屋に帰って来たとき、僕らは台所に居て、二人で協力して食事の準備をしていた。
 彼女がカレーの鍋をコンロにかけ、僕が皿とスプーンを三人分出そうと食器棚を開けた所で兄が台所へ入って来た。
「こんばんは」
 サエコが兄に挨拶をした。
「やあ、いらっしゃい。二人で仲良く夕飯の支度なんかして、二人暮らしの練習か? 気が早いんじゃないのか?」
「そんなんじゅないって。兄貴が帰って来たらすぐに食事が出来るように、って思っただけだ」
「なるほどね……まあ良いさ。俺はシャワーを浴びて着替えてくる」
 それから兄が着替えて来るのを待って、三人で食事を摂った。
 小さなダイニング室には四人がけのテーブルが置いてあるだけだったので、僕とサエコが並んで座るわけにはいかなかった。僕、サエコ、兄が、テーブルに四つある辺のうちの三つにそれぞれ座る形だ。
 食事が終わって食器を片付け、インスタント・コーヒーを飲みながらいよいよ本題に入った。
「兄貴、驚かないで聞いてくれよ」
「ああ……」
 僕とサエコの真剣な眼差まなざしに気圧けおされ気味になりながら兄が答えた。
 僕はゆっくりと兄に言った。
「昨日、本堂でお経を読んだあと皆でお墓参りをしたとき、僕ら……僕とサエコは見てしまったんだ」
「見たって、何を?」

「何だって?」
「死んだ、ユキナさんを、見た」
「おい、コウジ、お前何を言って……」
「……お兄さん」
 サエコが説明を引き継いだ。
「ユキナさんは……ユキナさんの魂は未だ安息を得ていません」
「サエコさんまで……」
「兄貴、サエコが今からいう事を黙って聞いてくれ」
 混乱した様子を見せながらも、兄は一旦いったん口を閉じた。
「私は……私、ハルノシマ・サエコは、
 兄は驚いた様子でサエコをまじまじと見つめた。
「まさか……そんな……本当なのか?」
「証拠をお見せしましょう」
 半信半疑の兄に言いながら、サエコはポケットからビー玉のような小さな透明の球体を三つ出した。
「これを、一人ひとつずつ手に握ってください」
 僕と兄はビー玉のような物を一つずつ受け取った。
 電灯にかざして見ると、ガラス玉のようにも見えるし、どこかガラス玉とは違うようにも見える。
「それは水晶です。ある種の精神波伝達装置として機能します。片手でギュッと握ってください」
 言われた通り、水晶玉を右手で握る。
 サエコが目を閉じた。
 その瞬間、僕の手のひらから水晶玉へ「何か」が流入し始めたように感じた。
「この農場には……」
 目を閉じたサエコが、低い声を発した。
「巧妙にカモフラージュされていますが、?」
 僕と兄は顔を見合わせた。
 地下のミサイル発射場……誰も知らない、僕と兄と死んだ祖父さんだけの秘密……の、はずだ。
 兄が僕を非難するような目でにらんだ。
(違うよ、兄貴。僕は何も話していない。サエコにも話していないよ)
「お兄さん、違います」
 僕の心を読み取ったように……あるいは、兄の心を読み取ったように、サエコが弁解した。
「コウジは何も言っていません。たった今、二人が握っている水晶を通じて私の中に情報が入ってきたのです」
 サエコは続けた。
「戦時中、軍は総動員令を使ってお祖父さんの農場の一部を接収し、地下に巨大な縦穴を造った。長距離ミサイルを収める地下サイロを。……発射施設完成直後なぜか軍はそれを放棄して、サイロにミサイルが収まることは無かった……そして戦争が終わり、お兄さんは軍の実験兵器を……盗んで……この町に来て、空っぽだった地下サイロに隠した。……そうか……お兄さんは、先端兵器実験部隊EX1の生き残りなのですね?」
「やめろ」
 兄が怒気を含んだ声でサエコに言った。そして、僕をにらみつけた。
「コウジ、説明しろ! なぜ彼女に話した?」
「ぼ、僕は、何も……」
「お兄さん、さっきも言った通りコウジは何も話していません。いま言った事は全て私の巫女としての能力を使って二人の心から直接取得した情報です」
「信じられんな」
「そこまで言うのなら、もう一度、水晶玉を強く握ってください」
 兄は、しばらく不審そうにサエコを見つめていたけど、結局、彼女の言うとおり水晶玉を握りなおした。
 再びサエコが目を閉じた。
「これからお兄さんの軍隊時代の話をします。これはコウジも知らない事のはずです」
 サエコが低い声で兄が軍隊にいた頃の出来事を話し始めた。確かに僕も知らない内容だった。話し終わって彼女が目を開けた時には、兄も信じざるを得なくなっていた。
「ほんとうなのか? いや……本当なのだろうな。サエコさん、君は、本当に巫女なのだな?」
 兄の顔を見て、サエコがしっかりと頷いた。
「信じられんが、信じるしか無いようだ。戦争終結時、生き残った巫女が何人か居たという噂は耳にしたことがあるが……」
 突然、兄が立ちあがった。
「ちょっと頭を冷やして考える時間が欲しいな。コーヒーを淹れて来るが、お前らは、どうだ?」
 僕とサエコも、兄の言葉に甘えてインスタント・コーヒーのお代わりを貰うことにした。
「話を最初に戻すよ」
 二杯目のコーヒーを飲みながら、僕は兄に言った。
「昨日、ユキナさんの一周忌に僕とサエコが何を見たのか」
 それから、一部始終を兄に聞かせた。ユキナさんの幽霊が墓地の通路をって僕らに近づいて来たこと。サエコに手を握られて僕にも一時的に霊視能力が備わった事。それから……言い難かったけど……サエコさんの悲惨な姿も。
 首に巻かれた紫色のロープ状の物体。そのロープに引きずられて放棄された軍の研究施設の方へ消えた事。
 話を進めるうちに、兄の眉間には深いしわが刻まれていった。苦悩と怒り……それが顔に現れているのだと僕は感じた。
 すべてを話し終えた時、兄はうつむいてテーブルに置いたコーヒーカップをじっと見つめていた。
 さいごに僕は、僕ら二人の決意を告げた。
「僕とサエコは、ユキナさんを助けることにしたんだ。ユキナさんの魂をあの悲惨な状況から救い出す」
「救い出すって、どうするつもりだ?」
 兄の問いかけに対して、僕は確かな答えを持っていなかった。
「わからない。ただ、ユキナさんと墓地の研究施設には何らかの関係があると思う。あの中に侵入する事さえ出来れば、何か分かるかもしれない」
「侵入するって、お前……放棄されたとはいえ軍事施設だぞ? 中に大容量蓄電装置が在あるかも知れない。セキュリティー・システムが今でも生きている可能性だってあるんだぞ」
「だから、兄貴に協力してほしいんだ。軍のエリート部隊EX1の隊員だった兄貴に協力して欲しいんだよ」
「うーん……」
「それに、ユキナさんの魂を救い出すこと、ユキナさんの魂に安息を与えることは、兄貴自身の望むところでもあるはずだろ」
 核心を突かれたように兄が僕を見た。
「もう一つ、言う事がある」
 僕は話を続けた。
「サエコは見ていないけど、昨日、墓地に残って話をしていた僕ら二人をのぞいていた人物が居るんだ。僕が振り返った瞬間にサッと姿を隠したから誰なのかは分からなかった。なんで僕らを監視していたのか……それも分からない」
 庭でジーディーの吠える声が聞こえた。
 軍用ロボット犬は、なかなか吠えるのを止めなかった。何度も、何度も、しつこく吠え続ける。
「うるさいな。ジーディーのやつ。一体どうしたっていうんだ?」
 ぼくが
 同時に、兄がサッと立ち上がって窓の脇に背中を付けた。そっとカーテンの隙間から外を覗いた。
 僕ら三人が夕食を摂って話をしていたのは小さなダイニング室だ。
 僕とサエコが夕食の準備をしようと台所へ移動したとき、リビングの電灯を消し忘れた。
 ……それが僕らの命を救った。
 突然、何かが庭先でパパパパパッと鋭い光を発した。その光がダイニングのカーテン越しに見えた。
 同時に、リビングの窓ガラスの割れる音が家じゅうに響いた。
 僕とサエコは驚いて息を呑んだ。兄が「伏せろ」と叫んだ。僕ら二人は反射的にテーブルの下に身を隠した。戦時下に生まれ育った僕らの体に染みついた動作だ。
 兄もゆかに這いつくばった。
 リビングの窓ガラスを割った光線がダイニングに向けられた。ダイニングの窓ガラスが割れ、テーブルの上のカップが砕け、壁板が飛び散る。
 アサルト・レーザーガンだ。射線の色から判断して、恐らく戦時中陸軍兵に支給された制式小銃だろう。
 レーザーの光が止んで、ジーディーの吠える声に自動車が急発進する音が重なった。ここまで、ほんの数秒間の出来事だったと思う。
「くそっ、よく見えん」
 兄が窓の外をのぞいてつぶやいた。
「誰だか知らんが、クルマのライトを消してやがる」
 その言葉が、僕の頭に引っかかった。