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禄坊家(その10)

 風田と禄坊が一階の居間に戻ると、昼食の後片づけを終えた速芝隼人が待っていた。
 風田の「どうした?」という問いかけに、隼人が「叔父さんに話したいことがあるんです」と答えた。
 重ねて風田が「何の話だい?」と問うと、隼人はチラリと禄坊を見た。……二人きりで話したい、禄坊が居ると話が出来ない……そういう意味だ。
「あの、僕、納屋にある品の点検に行ってきます……それから土蔵の中も見ておきたいし……」
 気を利かせて、禄坊が自分から言った。
 風田がうなづいた。
「ああ。済まないな、禄坊くん。……塀の外に出なければ安全だと思うが、万が一という事もある。気を付けるようにな。必ず犬を近くにはべらせるんだ。それから、土蔵の中に『何か』が居ないとも限らない。用心をおこたるなよ」
「まさか……土蔵は、最低でも半年間は鍵を開けていませんよ」
「用心に越したことはない」
「分かりましたよ」
 禄坊が居間から出て行った。
 風田がソファを指さして「まあ、座りなさい」と隼人に言い、自分は、部屋の端に置いてあった木の丸椅子をテーブルの相向かいに置き、そこに座った。
「父さんのせいなんです……」
 隼人が、ぼそりっ、と言い、風田が首をかしげる。
義兄にいさんが、どうしたって?」
「世の中が、こんな風になってしまったのは……全部、父さんのせいなんです」
 隼人は、叔父に、金曜日の夕方何があったかを話し出した。
 自衛隊の研究施設から、突然、帰って来た父。
 その父の話す、研究施設の異様な物語。
 毒入りのオレンジジュースを勧められたこと。
 母親と姉は既にそのジュースを飲んでしまっていたこと。
「し……信じられん」
 全ての話を聞き終え、さすがの風田も呆然として頭を抱えた。
「どんなに出血しても死なない兵士を作る……そんな研究が極秘裏に進められていたなんて……それに……浮浪者を使った人体実験だと? 本当なのか?」
「分かりません。でも、冗談でそんな事は言わないと思います。それに、実際に町じゅうの人が〈噛みつき魔〉になったのを見ているし……か、母さんの手も……冷たくなっていて……」
 隼人の顔がくしゃっと歪み、その目から涙が溢れた。
 十何年も前、姉に初めて婚約者を紹介された日のことが、風田の脳裏によみがえった。
「……大手製薬会社のエリート研究員を捕まえちゃったぜ! いえ~い!」
 活発だった姉とは対照的な、いかにもガリ勉タイプといったひょろひょろとした眼鏡男のひじを両腕で抱えながら、彼女は言ったものだった。
「孝一、あんたも一生懸命勉強して良い大学行って良い会社に入りなさいよ。私みたいな良い奥さんをもらえるわよ」
 苦笑する婚約者の顔を見つめながら弟に冗談めかす姉は、心底しんそこ幸せそうだった。
 その姉が、事もあろうに、その時の婚約者……夫……風田にとっては義兄……に毒殺された……
「姉さん……」
 泣き崩れるおいを前に、風田は必死で奥歯を噛みしめた。

 * * *

 ごつい南京錠を外し、懐中電灯で土蔵の中を照らす。
 かびくさい土蔵内を嫌っているのか、アルテミスは中に入って来なかった。
 先祖代々受け継いだ土蔵の中には、先祖代々受け継いだ家具と、先祖代々受け継いだ食器類を入れた木箱が整然と並んでいるだけだった。
(特に問題は無いようだな)
「太史おにいちゃん……」
 その声にハッとして振りかえると、めいが土蔵の入り口に立って禄坊を見ていた。
「ああ、アキちゃんか……どうしたの?」
「あのね……お祖父じいちゃんとお祖母ばあちゃんは、どうなったのかな、って……太史おにいちゃんに聞こうと思ったの」
(……そうだった)禄坊は思い出す。
(元気に振舞ふるまっているから忘れていたけど、アキちゃんは親父とお袋の、あの浅ましい姿を見ながら昨日一晩この家に閉じ込められていたんだった……しかも、つい、さっき、叔父であるこの僕が親父の膝を撃ち抜いた瞬間をの当たりにしている)
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、大丈夫? どこへ行ったの?」
 重ねてたずねる姪に、禄坊はで答える。
「お、親父とお袋は……お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは……その、く、車のなかに」
「車で病院に行ったの?」
「え? あ、ああ。そ、そうだよ……今、病院でお医者さんにてもらっているんだ」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、治る? 悪魔に取り憑かれたの、治る?」
「あ、悪魔?」
「お祖父ちゃんが、そう言っていたの」
「ああ……そうだね……治るよ。きっと、治るよ……でも入院しちゃったからな。すこし時間がかるかなぁ」
「ふうん……」
 禄坊の口から出まかせに、納得したのかしないのか、亜希子は低い声でうなった。
「ところでアキちゃんは、なんで昨日、お祖父ちゃんの家に来たの?」
「本当は、今日の朝からお祖父ちゃんとお祖母ちゃんとピクニックに行く予定だったんだ……」
「へええ……そりゃ楽しそうだな。今ごろは天気も良いし、どこへ行っても気持ちが良いだろうな」
「でも中止になっちゃった」
「そうだね……」
「本当は今日の夕方、ピクニックが終わったら、そのままお祖父ちゃんが車でおうちに送ってくれることになってたの」
 その姪の言葉に、禄坊はドキリとする。
 ……そうだ……本来なら亜希子は市街地にある自分の家へ帰らなくてはいけない。
「お祖父ちゃんは入院しちゃったから、今日お家に帰るのは無理だね」
「でも、パパかママが迎えに来てくれると思う……太史おにいちゃん、パパとママに電話かけてくれる? 亜希子を迎えにきて、って」
「う、うん……分かった。後でね」
 禄坊は、とりあえずその場をしのぎ、土蔵を出て南京錠を掛け、亜希子とアルテミスと一緒に広い庭を横切って母屋の玄関へ向かった。
(……そうだ……兄貴と理佐りさ義姉ねえさんは、どうなった? 何とかして確かめないと……)

 * * *

 玄関の戸を開ける前、禄坊はアルテミスに「お前は庭に居るんだ」と言った。
 今までは家族同様に屋敷の中で暮らしていたせいか、アルテミスは不満げに主人を見上げて「くぅーん」と鳴いた。
「今日から、お前には番犬としての役目が与えられたんだ。不審者や、特にに気を付けろ。塀を越えて現れたら大声で鳴くんだぞ」
 そう言って屋敷の中に入る。
 靴を脱いで上がったところで、棘乃森玲に会った。
「ああ、居た居た……亜希子ちゃん、探したぞぉ」
 玲が言った。
「お風呂の順番が来たからねぇ。お姉ちゃんと一緒にシャワー浴びようか」
「うんっ!」
 土蔵では『悪魔に取り憑かれた』祖父母を想って元気の無かった亜希子が、玲の言葉を聞いて、元気よく返事をした。
「よ、余計な仕事を増やしちゃって……ご、ごめん」
 ペコリと頭を下げる禄坊に、玲が「良いって、良いって」と手を振った。
「私、一人っ子だったからさ。兄弟姉妹と一緒に遊んだりお風呂に入ったりした経験が無いのよ……何となく年齢としの離れた妹が出来たみたいで新鮮だわ」
「そう言ってくれると助かるな……アキちゃん、下着の替えは?」
「持ってきたけど、朝、着替えたから、もう無い」
「……そうか……確か、お祖母ちゃんが少しだけアキちゃんの服をこの家に置いといたはずだ。いつ泊まりに来てもいいように、ってさ……たぶん、二階のクローゼットかな……アキちゃん、クローゼットの場所、分かる?」
「うん」
「じゃあ、お風呂に入る前に自分で行って探してごらん」
「わかった」
 亜希子の返事を聞きながら、禄坊はハッと『別の事』に気づいた。
「れ、れ、玲さん……あ、あの……」
「んん? 何よ? 禄坊くん……急に変な目で私の腰のあたりを見ないで欲しいんだけど」
 玲に言われて、禄坊は無意識に玲の股間の辺りに降りていた視線をすぐに持ち上げた。
「ほ、他の二人も、ですが……そ、その……パ、パ、パ、パ」
「パ……何よ?」
「パ、パンティ……は、どうしているんですか? 玲さんも、結衣さんも、美遥さんも……昨日から……パ、パンティ」
「はあ? 何、その突然のセクハラ」
「お、お袋の、で良かったら、た、たぶん寝室かクローゼットに……」
 玲は、に人差し指を当てて「うーん」と唸った。
「あのさあ、禄坊くん……」
「は、はい……何でしょう」
「これが、イケメンに言われたんだったら『いやーん、そんなところまで私のこと心配してくれて、ありがとー……でも、だいじょうぶー』とかって答えてる所なんだけど、さぁ……禄坊くんに言われても、何かイラッとするだけなんだよねぇ」
「そ、そうなんですか? す、すいません……」
「まあ、でも……下着はともかく、せめて自分の服を洗濯している間だけでも着るものが欲しいし、女にはいろいろと必要な物もあるし……禄坊くんのお母さんと服のサイズが同じかどうか分からないけど、こんなご時世になっちゃった以上、お言葉に甘えて見るだけ見させてもらおうかな……その……クローゼット? ……美遥と結衣も連れて行って良い?」
「どうぞどうぞ……使えるものがあったら遠慮なく何でも使ってください」
「ありがとう……じゃあ、亜希子ちゃん、そのクローゼットにお姉ちゃんたちを案内してくれる?」
「うん。分かった」
 言いながら、いったん女子部屋に向かった玲の後姿うしろすがたを見つめる禄坊の視線は徐々に下がって、いつの間にか玲のショートパンツに包まれたプリッとしたお尻に貼り付いていた。
「まあ、いきなり俺のお袋のパンティ使って良いって言われても、困惑するだけ、か……って事は、玲さんも結衣さんも……スカートを履いてる美遥さんも……明日からは、ノ、ノーパン、って事か?」