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禄坊家(その9)

(やっぱり駄目か)
 居間のソファの横に立って、禄坊はテレビのリモコンをいじってみる。しかし、どのチャンネルも真っ黒な画面の隅に「受信不能」の文字が出るだけだった。
 試しに固定電話の受話器を取ってみるが、発信音さえ聞こえなかった。
「禄坊くん」
 部屋に入って来た風田に声をかけられた。
「テレビはどうだった?」
「映りません。電話も……」
「まあ、そうだろうな」
 とくべつ驚いた風でもなく、風田がうなづいた。
 本当は禄坊にも分かっていた。風田が言うように、この日本は……ひょっとしたら世界中が……もう昨日までの平和で文化的な場所ではない。
 しかし、それを認めるのは簡単ではなかった。まさか、そんな事が本当にあるのか、という常識的判断と、そんな事があってたまるものかという、現実を受け入れたくない気持ちが邪魔をしていた。
「それより、禄坊くん、もう少し詳しく屋敷の中を案内してくれないか。例えば、二階とか、納屋とか、土蔵とか……それから『銃保管室』か? ぜひその中を見ておきたいんだ」
「二階は、主に僕ら家族の寝室です。一階以上にプライベートな空間ですよ」
「ずうずうしくて済まない。ただ、いま置かれている状況を出来るだけ把握して置きたいんだ。差しさわりの無い範囲で良い」
「わかりましたよ。で、どこからにします? 銃保管庫からにしますか?」
「よろしくたのむ」
 二人が居間を出ると、志津倉美遥がちょうど廊下を歩いて来るところだった。
「あの、風田さん、ちょっと良いですか?」
「ああ。どうした?」
「私、一番手でお風呂に入ることになったんだけど……バスタブに湯を張っているときに気づいたんです。これ、使えるんじゃないか、って」
「バスタブが使えるって、どういう意味?」
「あの……つまり……いずれ水道も止まってしまうと思うんです」
「まあ、そうだろうな」
「今のうちにバスタブに水を張って置いたらどうか、って。水は色んな所で使うし、最悪、かせば飲料用にも出来ると思います」
「ほう。なるほど」
「どうでしょうか?」
「良いアイディアだ。それで行こう……志津倉くん、皆に周知しておいてくれないか? シャワーだけを浴びることにして、風呂桶の水には手を付けるな、って」
「分かりました」
 女子部屋の方へ帰っていく後姿を見ながら、禄坊が「一番手ということは、今夜は志津倉さんの手料理かぁ」と独りごちた。
「なんか、楽しみだなぁ」

 * * *

 禄坊が蛍光灯のスイッチを入れた。
「どこかの更衣室みたいだな」
 急に明るくなった室内をながめ回しながら風田が言った。
 窓の無いその部屋には、更衣室にあるようなロッカーが壁沿いにズラリと並んでいた。
 しかし、そのロッカーを一つ一つよく見ると、扉も鍵も更衣室など比較にならないほど頑丈に作られていると分かる。
銃保管庫ガン・ロッカーです。正統な手続きで手に入れた銃が悪意ある者に盗まれないよう、法律で定められています」
 銃保管室の奥の壁には、キーハンガーにずらりと鍵がぶら下がっていた。
「いくら、頑丈な保管庫だって、こんな目の前に鍵をぶら下げて置いたら意味無いじゃないか」
 そういう風田に、禄坊は「まあ、何事にも『形だけ』というのはありますよ」と答えた。
「車のガレージでも言った通り、親父は面倒めんどうくさがりだったんですよ」
 自分が父親のことを『過去形』で話していることに気づき、今でもファミリー・カーに閉じ込められているであろう両親の事を思い出し、禄坊は動揺した。
 風田が、部屋の棚に置いてある弓のような物を見て感心したように言った。
「へええ……これはクロスボウじゃないか? これも、やっぱりお父さんのものか?」
「ほんの遊びですよ……いや、狩猟ハンティング趣味あそびには違いないんですけどね……どのみち日本では弓による狩りは禁止されています。所持自体は合法なので、時々庭にターゲット・バッグを置いて遊んでいるだけです」
「ターゲット・バッグって?」
「弓矢の的にするためのクッション材の事です」
 風田は、棚にズラリと並んだクロスボウの中の一つを適当に指さした。 
「取って見て良いかい?」
「どうそ。クロスボウには所持許可は要りませんから」
「しかし……なんか複雑な構造をしているな……この弓の両端に付いているのは滑車か」
「金属の弾性力を利用して矢を飛ばすクロスボウの欠点は、引けば引くほどげんが重くなるという事です。この両端についている滑車は、逆に引けば引くほど力が弱まり引きしろが長くなるよう調整されていて、弦の重みを中和するようになっているんです」
「ふうん……なるほどねぇ」
「よく考えたものですよ。風田さんが今持っているのは初心者用の低威力の物ですが、それなら僕みたいな運動不足でも楽々と弓を引けます」
「女子大生たちは、どうだ? 彼女たちでも使いこなせるかな?」
「問題ないと思います。専用の滑車付きロープを使えば誰だって引けます」
「そうか……実は、な……禄坊くん」
「何ですか?」
「俺に、銃の扱いを教えて欲しいんだ」
「や、やっぱり、そう来ましたか……予想はしていましたが」
「俺だけじゃない。君の同級生たちにも……場合によっては隼人くんや沖船の妹にも」
「小学生にまで銃を持たせる気ですか? そりゃ親父はマニアで自由になる金も多かったから全員に三丁ずつ渡してもお釣りが来るくらいの数は保管してありますけどね。弾薬のストックも多いし……でも、それは違法ですよ。僕自身も含めて全員、刑務所行きになります」
「君は、まだ裁判所だの刑務所だのが、この世界で機能していると思っているのか? テレビもラジオも電話も通じない、一日経っても政府のヘリも自衛隊の戦車も助けに来ないじゃないか」
「分かっています……分かっていますが……」
「踏ん切りがつかない、か?」
「ええ。日本という法治国家が一夜にして消滅したなんて話、今はまだ信じたくないんです。少なくとも、自分から法律を否定するような言動は取りたくない」
「ふう……そうか。分かったよ」
 この場は取りあえず引き下がるのが得策と思ったのか、風田が妥協案を言ってきた。
「じゃあ、さ……このクロスボウの使い方を教えてくれよ。それなら良いだろう? 所持に許可は必要ないって、さっき言ってたし」
「ま、まあ……そうですけど……」
「じゃあ、頼むよ。俺が使えるようになったら女子大生たちにも頼む」
「……か、考えさせてください」

 * * *

 それから二人は、階段を上がって二階にへ向かった。禄坊太史の部屋、両親の寝室、納戸、クローゼットを、入り口からサラッと見て回った。
 さすがの風田も、他人の寝室をジロジロ眺めることははばかられた。
 最後に、禄坊の兄が使っていたという部屋を見る。
 ベッド、勉強机、本棚など、いわゆる子供部屋にありがちな家具が置いてあった。
 しかし、ベッドの上の布団は仕舞われ、机や本棚を埋めていたであろう本や小物類も無く、使わなくなって大分だいぶ経つのか薄っすらとホコリが乗っていた。
「兄貴は結婚してすぐに家を出ましたからね。アキちゃんが七歳だから、もうかれこれ八年以上になるか……」
机の向こうに窓があり、外の景色が見えた。
「禄坊くん、ちょっと中に入っていいか?」
「ええ? まあ、良いんじゃないですか……プライベートの品々は、みんな市街地の兄貴の家に持って行ったか、処分してあるし……見ての通り空き部屋同然ですからね」
「ありがとう」
 言いながら、風田は窓へ寄る。
 二階の窓からは、田んぼと、その向こうの集落、禄坊の屋敷に通じるなだらかな坂道が一望できた。
「ここは見晴らしが良いな」
「まあ、緩い傾斜の中腹に建っていますから眺めだけは良いですよ。どんな絶景でも毎日見てりゃ、きちゃうけど」
「前は段々になった田んぼ、後ろは杉林……小高い所にあるから、一階部分は黒板塀くろいたべいが邪魔して坂の下からは見えない。それでいて、二階からは集落が一望できる……まるで城……というのが言いすぎなら、ちょっとしたとりでみたいだな」
「そうですか? 坂の上にあるっていうのも良し悪しですよ。とくに高校生までは、ね。登校も下校も面倒めんどうだ」
「もう学校も会社も無くなったさ。登校する必要も、出勤する必要も、勉強する必要も、仕事をする必要も無くなった。我々がしなければいけない事は、ただひとつ。。それだけだ」