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禄坊家(その4)

「禄坊くん」
 黒板塀くろいたべいに寄りかかり、うつむいて両手で顔を覆う禄坊ろくぼう太史ふとしに、風田かぜた孝一こういちが声をかけた。
「この裏木戸の『鍵』なんだが……」
 風田の言葉に禄坊が顔を上げる。
「鍵、ですか?」
「ご両親があんな事になってしまって動揺しているだろうに、変な事を聞いて申し訳ない。しかし重要な問題だから教えてくれないか」
「何を、ですか?」
「この裏木戸の鍵、?」
「向こう側?」
「つまり木戸の反対側、塀の内側という意味だ」
「どう、って……普通ですよ。普通に、ツマミを回せば簡単に開け閉めできるようになってます」
「やはり、そうか……禄坊くん、よく聞くんだ。〈噛みつき魔〉になってしまった人間は、『ドアノブをガチャガチャ動かす習性』がある、という話を前にしただろう?」
 風田は、そう言いながら、内側から『何者か』がガチャガチャと出鱈目でたらめに動かしている木戸のノブを見た。
「しかし鍵を鍵穴に差して解除するほどの知能は無い……済まない。君のご両親に対して、こんな風な言い方をしてしまって……」
「もう親父とお袋には知能は残っていないって事ですか? だから何だって言うんですか?」
「怒らないで聞いて欲しい。重要な話なんだ……とにかく、君のご両親はドアノブをこうして出鱈目でたらめに動かし続けるだろう。そして
 そこで、やっと禄坊も気づいた。
「つ、つまり、親父かお袋のどちらかが、何かの間違いでツマミを回してしまう可能性もある、という事ですか」
「そうだ。それが出鱈目でたらめな行動の結果、偶然だとしても、な。十分に有りうる話だ……立ち上がって裏木戸から距離を取った方がいいぞ」
 言われて、禄坊はサッと立ち上がり、一歩、二歩、木戸から離れてそのドアノブを見つめた。
「念のため、外側から木戸を固定したいのだが……何か、使えそうな物は無いかな? 例えばロープとか」
 禄坊が首を横に振ったのを見て、「そうか……」とつぶやき、風田はハイブリッド・カーとSUVの方へ歩いて行った。

 * * *

 小学生二人と女子大生三人は、何かあったら何時いつでも車内に乗り込めるよう、それぞれの座席の扉の外で、木戸の前で何事かを話している二人の男をジッと見つめていた。
 ハイブリッド・カーの中では、高校の制服を着た少女が一人、リクライニングさせた助手席のシートにグッタリと体を横たえ、目を閉じていた。
「あーあ……」
 SUVの後部ドアの外で、棘乃森とげのもりれいが大げさに嘆いて見せた。
「今夜は畳の上で寝られると思ったんだけどなぁ……結局、また車中泊かぁ……風田さんには、しっかりして欲しいなぁ……一応、年長者って事で、私たちのリーダーなんだからさぁ……」
 風田が、SUVの方へ歩いて来る。
「やべぇ、今の聞かれちゃったかしら?」
 しかし自分の口を押えた玲には目もくれず、風田は運転席の前に立つ大剛原おおごはら結衣ゆいに向かって言った。
「大剛原さん、このSUVに、何かロープのような物は積んでいないかな?」
「ロープ、ですか?」
 首をかしげながら、結衣が風田を見返した。
「ああ……安全のため、あの木戸を」
 風田が裏木戸を指さす。
「あの木戸を固定して、開かないようにしたいんだ」
「なるほど……でも、いいえ、ありません。持っていません」
「そうか……まあ、そんなに都合良くは行かないか。どうしたものか」
 風田が指さす方へ結衣が視線を向けると、こちらへ歩いて来る禄坊太史の姿があった。白黒っそりとした大型犬が禄坊に従っている。
「風田さん」
 SUVの所まで来た禄坊が、風田に呼びかけた。
「木戸を開けるときに預けたキーホルダーを返してください。ロープなら、あのガレージの中にあったような気がする」

 * * *

 禄坊と風田は、車三台……いや、四台は優に格納できそうなガレージ横の通用口のへ向かった。
 禄坊が、風田に返してもらったキーホルダーから鍵を選び出し、アルミドアの鍵穴に差し込む。
「用心しろよ」
 風田が禄坊に言った。
「万が一、中に『誰か』が居ないとも限らない……猟銃は、もう無いからな」
 いつでも逃げ出せる姿勢で、禄坊がゆっくりとドアノブを回した。
 勢いをつけて扉を開ける。
 暗いガレージの中に、人の気配は無かった。
 おそおそる、禄坊がガレージの内側に手を伸ばし、手さぐりでスイッチを見つけ、電灯をける。
 天井の照明が点灯し、ガレージの中が一気に明るくなった。
 思い切って禄坊が中に入り、素早く左右を見回す。
 誰も居なかった。
「大丈夫みたいです」
 先に入った禄坊が言い、続いて、猟犬アルテミスが中に入る。続いて、風田。
 アルテミスは、用心深そうにガレージ内を歩き回っていたが、吠えることも無くすぐに入り口の禄坊の元へ帰って来た。
 犬の様子を見て、風田はホッと胸をなでおろした。
 念のため、腹ばいになって車の下をのぞいてみたが、誰も、何も、無かった。
「……それにしても、すごいな……」
 立ち上がりながら、風田が禄坊に言った。
「これ、Eクラス・ワゴンっていうんだろ?」
 一番手前に置かれたシルバーのドイツ製ステーションワゴンを指さす。
「うちの社長が毎日通勤に使っているのと同じ奴だ」
 セダンの向こうには日本製の小型車。車高が高く、後部がスライドドアになっている。幼い子供の居るママさんに人気のタイプだ。
 その向こうにクラシック・カー風のオープン・スポーツカー。
 さらにその向こうに白の軽トラック。
 そして一番奥にはアメリカ製の大型バイク。
「すげぇ……あれ、ウルトラ・リミテッドだろ? よ、四百万円ちかくするん奴じゃないか?」
「詳しいんですね」
 通用口入ってすぐ左側のスチール棚を探りながら、振り返りもせず禄坊が言った。
「ああ。二輪車に関しては少しは、ね。四輪クルマはそうでもないけど……俺、東京に居た頃はバイクが趣味だったからさ。まあ、それもN市こっちに帰ってくるときに売っちゃったけど」
「親父の道楽ですよ。バイクに、スポーツカーに、ハンティング……」
 スチール棚の一番下に収まっていた荷造り用のナイロン・ロープの束を持って、禄坊が立ち上がった。
「ありましたよ……これで良いですか?」
 その声に風田が振り向く。禄坊が手に持っているロープを見て、風田は「上等だよ」と返した。ふと、禄坊の立っているスチール棚から視線を移すと、壁に並んだキーハンガーに車のイグニッション・キーが幾つも下がっていた。
「不用心だな……ガレージ内に車のキーを下げておくなんて」
 風田のつぶやきに、禄坊が「親父も、お袋も面倒臭めんどうくさがりなんですよ」と答える。
「こうして車の鍵を一か所にまとめてガレージに置いておけば、家の中でいちいち鍵を探す手間も省ける、って」
 禄坊は、手前から二番目の車体……後席スライドドアの国産小型ファミリー・カーを見つめた。
 禄坊の母親が、孫の送り迎えに良いだろうと言って買った車だった。
「アキちゃん……」
 玄関から飛び出し、助けを求めるように自分に向かって叫んだ少女の姿がよみがる。
「アキちゃん? そう言えば女の子の叫ぶ声が聞こえたが……『太史お兄ちゃん』とか、何とか……屋敷の中に妹さんが居たのか?」
 風田の問いかけに、禄坊は首を振った。
「妹じゃ、ありません。兄貴の一人娘……めい禄坊ろくぼう亜希子あきこちゃんです」
「ああ、なるほど。若い叔父や叔母を、子供が『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』と呼ぶのは、よくある事だし、な」
「助けなきゃ……」
「え?」
「アキちゃんを助けなきゃ……アキちゃんを助けられるのは、僕しか居ないんだ」
「助けるって……無理だろう。猟銃だって無いんだぞ? 仮に銃があったとしても、君は?」
「いいえ。親父も、お袋も、殺しませんよ……銃もらない」
「塀の中に居る〈噛みつき魔〉を殺さずに、少女を助ける? 一体いったいどうやって……」
「ぼくに考えがあります」
 その視線の先に、小さな国産ファミリーカーの車体があった。