アラツグ、車内で居眠をする。
1、アラツグ
「えー……
「お前、さっきから後部座席で何ブツブツ言ってんだ?」
「聞いてりゃ、分かんだろ。採用面接のシミュレーションだよ。俺、明日から
「だからって、これからみんなで博物館見学に行こうって時に
「うるさいな。良いんだよ。出まかせで。入団しちゃえばこっちの物だ。就活マニュアルにも書いてあったもんね。『基本、
「なんか、その就活本うさん臭いな。ちゃんとしたの買ったんだろうな?」
「たしか『丸暗記で内定確実! 業種別面接試験問答集(剣士団編)』って題だった。……『あの勇者ガリッドも実践していた! たった四百の習慣で人生を切り開く!』って本と……『妖精淫獄・ダークエルフ少女が落ちた罠』と三冊合わせて銀貨一枚だった。近所の古本屋で」
「高っ! しかも、変なのが一冊混ざってるじゃねぇか。いちおうブルーシールド家の血を
「ああ、もう、うるさい、うるさい」
アラツグが後部座席で駄々を
「だいたい明日から就活だっていう、その前日に突然やって来て博物館に行こうって無理やり俺を馬車に乗せたローランドが悪い! なんで今日なんだよ? なんで博物館なんだよ?」
「明日から本格的な調査が始まるからな。そうすりゃグリフォン像は山ほどの計測器具に埋もれちまう。その前にアラツグに像を見せて置きたいと思ったんだ」
「グリフォン像ねぇ……そんなに凄いのか?」
「凄い。世界の至宝と言って良い。一生に一度は見ておいて損は無い……しかし、な。俺がアラツグにグリフォン像を見せたいと思ったのは、その美術的価値が理由じゃない」
交差点で馬車が
「なあ、アラツグ。お前は強い。飛び抜けて、強い。研ぎ澄まされた感覚、並外れた身体能力、野性的な勘……どれを取っても人間レベルじゃねぇ。現時点でも、この世界にアラツグに勝てる奴は居ないだろうさ。人間の中には、な……しかし、それじゃあ、まだ充分じゃないんだ。お前は、さらに上のステージへ行ける。もっと強くなる。……いや、強くならなくちゃいけないんだ」
「何だ、それ。お得意の妄想か? 俺が『英雄』になるとかいう……」
「とにかくアラツグ、お前がグリフォンを見れば何かを感じ取るかもしれない。その可能性が有ると俺は思っている。それが、アラツグが次の段階へ進む
「そこまで言うのなら、とくべつ
アラツグは後部座席の背もたれに身を預け、高級馬車の天井を仰ぎ見た。
キルト加工を
「ブラッドファングさん、ついに就職することにしたんすね」
助手席のメルセデス・フリューリンクが話しかける。
「私は、その事に感心しちゃったな。『もっと強くなる』とか、そういう話よりも。真面目にお金を
「ありがとう、フリューリンクさん」
顔を助手席のメルセデスに向けて、後部座席のアラツグが答えた。
「いやぁ、フリューリンクさんは良い奥さんになりますよ。ローランドなんかには
「でも、どうして急に就職活動しようと思ったんですか?」
「……もともと、いつまでもゴロゴロしても居られない、いつか
「クラスィーヴァヤって、お前……まさか」
「俺の住んでいるクリューシス町から一番近いエルフ居留地だ。スュンさんは、きっとそこに居る。いつか彼女に会って、もう一度だけ挑戦してみる」
前席の二人が顔を見合わせた。
「お前まだ、あのダークエルフの女を……」
「なあ、ローランド……あの日、あのデモンズって食堂で言っただろ、男の方のエルフ……確か名前は……ヴェルクゴン、だったか……そのヴェルクゴンってダークエルフと取引してる、って。お前、今でもそいつとコネあんのか?」
「どうなんだよ、ローランド」
「……実は、な。あのあと、数日後にエルフと取引きをした。ヴェルクゴンは来なかったよ。別のエルフが来ていた。さりげなく聞いてみたら……そのヴェルクゴンってダークエルフ、行方不明なんだと」
「行方不明?」
さすがに驚いてアラツグが上体を起こす。
「ほんとかよ?」
「
「ゆ……行方不明か」
さすがのアラツグも言葉が出ない。
「それから、もう一つ。お前の意志を
「ま、丸一日!」
はあっ、と
「俺なんだか、どっ、と疲れが出たわ。昨日、あんまり寝てないし。博物館に到着するまでの間、しばらく寝てて良いか?」
「どうぞ」
「どうぞ」
やがて後部座席から、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。
2、メルセデス・フリューリンク
後ろでパタン、と、何かが倒れる音がした。
助手席のフリューリンクが後部座席を
赤子のようにすやすやと眠っている。
「よっぽど疲れていたんですね。昨日夜遅くまで勉強していたというのは、あながち嘘ではないかも知れない」
「まあ何にせよ前向きに一歩
「まあ、無理でしょうね。必ず
「
「特別な存在? ブラッドファングさんが? それは
「ああ、いや、何でもない忘れてくれ」
メルセデスは、もう一度振り返って黒髪の少年を見た。
さっきと変わらず気持ちよさそうに寝息を立てている。
「ブラッドファングさんの寝顔って、魅力的ですね」
「寝顔が良くたって意味ないだろ。起きてる時の顔が、あんな
「あら、男性の寝顔は大切ですよ。一日の最初に見るのも夫の寝顔、一日の最後に見るのも夫の寝顔ですからね」
「メルセデス、お前なあ。毎回毎回……夜は夜で、俺より早くサッサと寝ちまうし、朝は朝で、遅くまでグーグー寝ているくせに良く言うよ。お前、俺の寝顔なんか見たことないだろ。たまには早起きして俺のために朝ご飯つくってくれよ。俺の嫁さんになるつもりならさ」
「今、言ってはいけない事を言いましたね。減点
「何だよ、それ。本当の事だろ」
「本当だろうと嘘だろうと、言ってはいけない事もあるのです。とくに女に対しては。私、結婚したら『減点法』で夫を評価しますから、覚悟してください」
3、エルフの馬車
「もう
メルセデスが
「いや、いいよ。ぎりぎりまで寝かせて置けよ」
「はい」
通りの角を曲がると、公立博物館の正門が見えてきた。
門を抜け、正面入り口前のロータリーへ。
入口周辺が何やらざわついている。
真正面に豪華な馬車が停まっていた。
ローランドの乗る
機械馬の美しい姿といい、車体を飾る金銀の
一人は人間で言えば二十代後半くらいの背の高い女。髪の毛から、瞳から、全身の皮膚から、全てが緑一色。
そしてもう一人。
剣女の服を着て、腰から銀剣を下げた、ダークエルフの少女。
メルセデスが息を
ローランドにも見覚えがあった。
……あれは、デモンズで会った女……
「メルセデス……」
ローランドが低い声で言う。
「アラツグは寝かせて置いてやれよ……
助手席の婚約者が
「はい。わかりました」
やがて、エルフの女たちが乗った馬車の
「……ふう」
BMWの手綱を握るブルーシールド家の息子が、大きく一つ
生え際から
助手席の少女が鞄からハンカチを取り出して、未来の夫の
「ありがとう」
ローランドは大きく一度深呼吸をした後、後部座席で眠る少年の顔を見た。
「おいっ、アラツグ、起きろ。博物館に着いたぞ」