リビング・デッド、リビング・リビング・リビング

発生。(その18)

 棘乃森とげのもりれいは県道わきの木に寄りかかり、呆然と暗い道の向こう側を見つめていた。
 その横で禄坊ろくぼう太史ふとしが頭を抱えている。
「これからどうしよう……あの刑事、こんな人里離れた道の真ん中に僕たちを置いてけぼりにして……だいたい、あいつ本当に刑事なのか? 妙にでっかい銃持ってたけど」
「たぶん人里離れているからこそ、ここに私たちを置いて行ったんだと思う」
 志津倉しづくら美遥みはるが言った。
 三十メートルほど先の看板を見つめている。
「『なるべく人間には近づくな』みたいな事、別れ際に言ってたでしょう?」
 クルマのヘッドライトが近づき、通り過ぎて行った。
 交通量が少ない。滅多にクルマが通らない。いくら田舎の県道とはいえ、少なすぎないか。
 美遥は言葉を続けた。
「何て呼んだら良いか……とりあえず〈噛みつき魔〉って呼ぶけど……その〈噛みつき魔〉の歩き方や目つきからして、とても自動車を運転できるようには見えなかった」
「だから街から離れた県道に僕たちを置いて行ったの? クルマに乗ってる人間は間違いなく〈健康体〉だから?」
 太史が聞き返し、美遥がうなづいた。
「そうだと思う……でも」
 健康な人間こそが一番恐ろしい存在になる可能性も充分にある……あの刑事は、そんな風にも言っていた。
 その時、爆音とともに街の方からクルマが近づいて来た。物凄い速さでスポーツカーが目の前を通り過ぎて行く。
 風圧で巻き上げられたほこりが美遥たちの顔にかかった。
 去って行くスポーツカーのテールランプに、禄坊太史が悪態をいた。
「うわっ、危ないなぁ! あんなにスピード出して、事故にでもなったらどうするんだ! いくら警察が取り締まらないからって……」
 そうだ。もう警察は取り締まってくれない。
 美遥は警察署の中から聞こえてきた銃声を思い出した。
〈噛みつき魔〉たちをき殺してまで逃げた事や、刑事の必死の形相ぎょうそうを考えれば、署の中がどうなっていたかは容易に想像できた。
 この街にはもう、まともな警察官はほとんどど居ない。
 治安と秩序のを失った市民……略奪……暴行……凌辱りょうじょく……殺戮さつりく
 日没後の薄暗い路傍ろぼうで寒気を感じ、美遥はワンピースの胸元に手を当てた。
 もう一度、三十メートル先の看板を見た。県道から枝分かれして丘の方に登って行く細い道がある。その分岐点に「N市市営〈丘の上キャンプ場〉、ここから三キロメートル」と書かれた看板が立っていた。
「いつまでも県道わきに立っている訳にもいかないし、キャンプ場へ行ってみない?」
 太史と玲が同時に美遥の顔を見た。
「キャ、キャンプ場かぁ……良いかも知れないな。トイレも水場もあるだろうし……」
 太史が賛成しかけ、色あせた看板を見て言いなおした。
「でも、まだ本格的なキャンプ・シーズンって訳でもないし、そんなに有名でも立派でもなさそうなキャンプ場だし、っていうか、むしろ看板から想像するに手入れもされていない荒れたキャンプ場の可能性もあるし……誰も居ないんじゃないかなぁ。キャンプ用品も無しに僕たち三人だけでキャンプ場に行っても……」
「誰も居なさそうだから、良いんだと思う。とりあえず今日一晩、雨露をしのぐ場所があれば良い。明日あしたのことは明日考えましょう」
「うん。分かった。棘乃森さんも賛成でしょ?」
 太史が玲を振り返った。
 玲は黙っていた。美遥とも太史とも目を合わせず、困ったような怒ったような顔をして、相変わらず木に寄りかかって暗い県道の向こう側を見つめている。
「玲」
「棘乃森さん」
 美遥と太史が同時に呼びかけた。
「まさか別行動をしようって言うんじゃあ……」
 太史が言葉を続けた。
「それとも他に良いアイディアでもあるのかい?」
「……」
 数秒の間を置いて、ようやく玲が口を開いた。
「誰も一緒に行かないなんて言ってないでしょう。行きますよ。もちろん」
 逆に太史を置いてすたすたと看板の方へ歩いた。
 慌てて美遥と太史が追いかける。
 三人は県道を離れて〈丘の上キャンプ場〉へと続く車道に入った。

 * * *

「人間の歩行速度は時速四キロっていうけど」
 キャンプ場へ向かう森の中の登り坂を歩きながら太史が言った。
「こんなに急な登り坂じゃ、三キロの道のりも一時間以上かかちゃうだろうな」
 息が上がっている。
 美遥には、それほど急な坂道とは思えなかった。
「ああ、私、もう駄目。ちょっと休ませて」
 玲が言って、その場所に立ち止まってしまった。つられて太史の足も止まる。
 枝道に入ってからまだ二十分しかっていない。
 仕方なく美遥も休むことにした。
 周囲を見回す。暗い夜の森の中。一車線の道路。
「さすが、元陸上部ってところね」
 玲が木の幹に体を預けながら、美遥を見て言った。
「美遥……私、あなたのこと誤解してたわ。口下手くちべたで引っ込み思案じあん人見知ひとみしりのお嬢さまだと思っていたけど、行動力もあるし、言うときゃ言うのね……飛んだ猫っかぶりのだった、て訳だ」
「玲……そんな……」
「そうだよ。棘乃森さん。そんな言い方するもんじゃないよ。志津倉さん落ち着いて。今日は色々あったんで、棘乃森さん、ちょっと神経質になっているんだよ。シンジも死んじゃったっていうし」
 最後の言葉を聞いて、玲の肩がビクッと震えた。
 マグナム弾を撃ち込まれ、弁当棚に脳漿をぶちまけた男のうつろな目を思い出す。
「禄坊くんっ」
 美遥が、非難めいた目を太史に向けた。
「あ……ご、ごめんなさい……つい」
「別に良いよ」
 玲が強がって答えた。
「本当は、そんなに好きだった訳でもないし」
 その時、カーブを曲がって来るクルマの光が見えた。小型SUVが美遥たちの前を通り過ぎ、キャンプ場の方へ去って行った。
「僕たちの他にもキャンプ場へ行こうって思った人が居たんだな」
 太史の言葉に美遥は警戒心を募らせる。
(案外、私たちと同じことを考える人は多いのかもしれない。一カ所に人間が集まれば互いに協力できる可能性もあるけど……危険も増える)
 テールランプが見えなくなったところで太史が二人の女に言った。
「さあ、僕たちも行こう」
 美遥がうなづいて太史の横を歩く。そのさらに横を玲が歩いた。
 さっきの小型SUV以外だれも登ってこない山道を、三人は横並びで歩いた。