僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

大団円。

 翌日の夕方、ヨネムス夫人とサエコが再び僕らの家を訪れた。
 午後五時に畑仕事を終えて母屋に帰ると、夫人とサエコが待っていた。
「ああ、ヨムネスさん。こんばんは……昨日の書類ですか?」
 兄が夫人に言った。
「すいません。まだ読んでいなくて……サインもしていません。わざわざ取りに来ていただいたのに……」
「あなたたち、ちょっと話があるの」
 夫人が言った。
 僕ら二人をにらんでいた。
 すごい剣幕だった。
 まだ両親が生きていた頃、僕ら兄弟の悪戯いたずらを見つけた時の母さんの顔を思い出した。
「あなたたち二人と私とサエコ、四人でちょっと話し合いましょう」
 ヨネムス夫人の後ろでサエコがもじもじしている。
 僕と兄は、夫人の有無うむを言わさぬ剣幕に押されて、玄関の鍵を開け、夫人とサエコを居間に招き入れた。
 居間のソファーに四人が向かい合って座った。
 兄がれた即席インスタントのコーヒーを一口飲んでカップをテーブルに置き、ヨネムス夫人は僕らに向かって右手を出した。手のひらを上に向けて。
「さあ、出しなさいっ」
 いやとは言わせない……そういう語調で夫人が言った。
「出せって……何をですか?」
 兄が戸惑とまどってたずねた。
「しらばくれても駄目よ。昨日の『参考書』を見せなさい!」
 僕と兄は困ったように互いの顔を見た。
「さ、参考書、ですか?」
「コウジくん、昨日、玄関で本を隠したでしょ? 封筒に入った本を二冊」
「そ、そんな事、してませ……」
「嘘をいても駄目よ。ちゃんとサエコが見ているんですからね。封筒を玄関の戸棚に隠すところを」
「えっ」
 僕と兄が同時に叫んだ。
「サ、サエコ……まさか……」
「コウジ……ご、ごめん! わ、私、あのとき玄関でコウジの言動が何か変だったから、こっそり物陰ものかげから見てたの。そしたら、コウジが戸棚に本を隠すから、ますます興味を持っちゃって」
「えーっ?」
「クルマに書類を取りに行くとき思わず戸棚を開けて中身を見たのよ。わ、悪いことしている、っていう自覚はあったんだけど……どうしても気になってしまって」
「み、見たの?」
「う、うん……」
「二冊とも?」
「うん……中身を……その、パラパラッと」
「み、見てたのかぁ……」
「そ、そしたら『いつもと違う穴』……だっけ? なんか、男の人が……その……女の人の……お尻に……っている写真が沢山たくさん載っていて」
「……」
 自分の頭から血の気が引いて行くサーッという音を聞いたような気がした。
「コ、コウジって、こういうのが好きなのかな……って。そ、その……結婚したあと……お、お尻のほうを……も、求められたら、どうしよう……って思って」
「サ、サエコ……それは誤解だ……誤解なんだ」
「も、もちろん、そういうのが良いっていう人たちがいるのは知ってるけど、わ、私は、まだそのレベルに達していないっていうか、勇気が無いっていうか……」
「いや、だから誤解なんだ! あれはキヨシが……」
「キヨシっていうのは、サガミテさんの所の弟さんね?」
 奥さんが聞いてきた。
 こうなったら洗いざらい白状するしかないと心に決めた。
(キヨシ、す、すまん! ぼ、僕は自らの保身のために、今から全部お前のせいにする! し、仕方が無いんだ! こ、これも僕とサエコが仲良くするためなんだ!)
 そして、キヨシが帰り際に僕にエロ本の封筒を押し付けた事や「これを見て勉強しろ」と言った事、エロ本はキヨシが兄さんの部屋から盗んできた事などを話した。
「なるほどねぇ……」
 ヨネムス夫人が溜め息まじりに言った。
「サガミテさんとこのキヨシくん、だっけ? 悪ぶっていても所詮しょせんは、まだ十四歳と言ったところか」
「……あの本、キヨシくんのお兄さんの物だったのか」
 兄の言葉に奥さんが素早く反応した。
「あの本? リューイチくんも、キヨシくんの本について知っているという訳ね?」
「し、しまった」
「それにしても、たとえ実の兄とは言え『盗んだ』っていうのはまずいわね」
「そ、そうですね。キヨシくんに言って返してもらいましょう」
 ヨネムス夫人は兄の言葉にうなづき、僕を見て言った。
「いずれにしろ、現物を見ない事には始まらないわ。コウジくん、その『参考書』とやらを持って来なさい」
「持っていません」
 僕は首を横に振った。
「え?」
「僕は、持っていません」
「じゃあ、誰が持っているの?」
 黙って兄を指さした。
「ええ!」
 夫人とサエコが同時に驚きの声を上げた。
「何でリューイチくんが持っているの?」
「い、いや、実は、その……やはり未成年である、お、弟に、あのような書物を見せるのは、きょ、教育上よろしくないと、お、思いまして」
 兄がしどろもどろになりながら言った。
「お、俺が取り上げました」
「まったく……あなたたちは兄弟そろって……まあ、男なんて皆そんなものかも知れないけれど。それじゃあ、リューイチくん、今すぐ持って来なさい」
「は、はい」
 兄がソファーから立ち上がり、全速力で自分の部屋へ走った。
 帰って来た兄が持っていた封筒を取りあげて、ヨネムスの奥さんは中から二冊の総天然色フルカラーの雑誌を出した。
 ぺらぺらとページをめくりながら流し読みする。
「……なるほどねぇ……『いつもと違う穴』に『ハイヒール・ビッチとランジェリー・タフガイ』か。こりゃ、サエコがショックを受けるわけだわ」
 さらっと見終わった本を封筒に戻し、奥さんが僕の顔を見た。
「……で、コウジくん。あなた、『?」
 僕は思いっきり首を横に振った。
「まったく、ぜんっぜん、ありません!」
「ハイヒール・ビッチは?」
「ぜんっぜん、ありません!」
「ランジェリーには?」
「ありません!」
「本当?」
「百パーセント、本当ですっ」
「……だってさ」
 奥さんがサエコに向かって言った。
 サエコが胸に手を当てて「ほっ」と安心したように息をいた。
「コウジくん、この際だから、夫婦の鉄則を教えてあげるわ」
「鉄則、ですか」
「そうよ。サエコ、あなたも良く聞きなさい。『男には提案する権利があり、女には拒否する権利がある』のよ」
 僕が「提案する権利……」と、つぶやくと同時にサエコが「拒否する権利……」とつぶやいた。
「長く夫婦を続けていると分かるわ。男っていうのは、ね、『いろいろ試したくなる生き物』なのよ。その中には、女にとっては『ええ?』ってショックを受けるような事も含まれているわ。……でもね、サエコ。そこでパニックになって男の存在すべてを否定しては駄目よ。その男が自分を大切に思ってくれている限りは、ね。……それから、コウジくん、あなたも将来、いろいろな事を試したくなると思うけど、女にだって女の都合ってものがありますからね。提案を拒否されたからって、その女を大切に思う心を失くしちゃ駄目」
「そ、そりゃあ、もちろん」
「じゃあ、サエコに何か言ってあげて」
「何か、って言われても」
「はい、どうぞ」
「え、えっと、サエコ……」
 サエコが僕の目を見た。
「さ、最初はのお付き合いで、良いんじゃないかな? そ、それで、さ。長く付き合っている間に、ちょっと変わった事がしたいな、って思ったら、二人で良く相談しようよ。相談して、僕とサエコの両方が出来そうだ、って思った事だけ、すれば良いよ」
「そ、そうね。お互い、無理はしないでおこうね」
「うん」
「えっと、こ、これからもよろしくおねがいします」
「こ、こちらこそ。よろしく」
 僕ら二人は、居間のテーブルの上で握手を交わした。
 ヨネムスの奥さんが「よしよし」という顔で、僕とサエコを交互に見た。
「男っていうのは、色々な欲望を持つ生き物なのよ。色々な欲望を持つというその事自体は、否定されるべきじゃないと私は考えるの。相手や、周囲の人々を傷つけない限りにおいては、ね」
 それから一時間くらいして奥さんとサエコは帰って行った。
「近日中にキヨシと会って二冊の『参考書』を返します」と、僕はみんなに約束した。
 帰り際、ヨネムス夫人は「ああ、そうだ、そうだ」と振り返って、玄関先で見送っていた兄を見た。
「男の人がいろいろな趣味を持つのは悪いことじゃない、っていう前提で聞くんだけど……」
「何ですか? ヨムネスの奥さん」
「リューイチくん、あなた、ひょっとして『ランジェリー・タフガイ』なの?」
「違います!」
 兄は即座に否定した。

――― サエコと一緒にシチューを食べた。 終わり ―――