僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

棺桶。

1、研究所の地下

 最初の部屋には、ほとんど何も無かった。事務机がひとつ。その上にドキュメント・コンプレッサーが一台。驚いたことにドック・コンプは電源がオンになっていて、見たところ正常に作動しているようだった。
「驚いたな。このドキュメント・コンプレッサー、操作できるぞ」
 ドック・コンプを見ていた僕にサエコが体を寄せて来た。出力される文書情報を一緒にながめる。
「入出者管理用?」
「たぶん、ね。せまい部屋だけど、ここは研究所にとって玄関ロビーというか、受付の役目をしていたんじゃないかな」
「そうみたいね」
 僕は自動ロックの破壊された扉を見た。
(閉めるべきか? いや、兄が開け放しておいたのなら、そのままにして置いた方が良いか……)
「そうだ……ジーディー、研究所の中に入った事を兄貴に知らせておけよ。外壁は防音処理がされているだろうけど、建物の中から発信すれば聞こえるはずだ」
「ウオォォォン」
 ジーディーが、遠吠とおぼえをするようにしてのどを鳴らした。
 暗号化された音声信号だ。兄のヘルメットに内蔵された解読装置を通してメッセージを伝えられる。
「壁と言えば……」
 サエコが打ちっ放しのコンクリート壁の所まで行って、手のひらを当てた。目を細めてジッと壁をにらむ。
 数秒後、壁から手を放して言った。
「やっぱり……そうか……この壁には『霊視攪乱かくらん処理』がほどこされている」
「霊視……何だって?」
「霊視攪乱かくらん処理よ。この外壁はコンクリート打ちっ放しのように見えて、実は三重構造になっている。細かい呪文をびっしり手書きした板の両側をコンクリートの壁でサンドイッチみたいにはさみ込んだ構造をしているの」
「つまり、このコンクリートの壁の中に板が入っているって事?」
「そう。言わば霊的なカモフラージュ。巫女が透視しようとしても目がチカチカして中を見通せない。細かい呪文を一字も間違えずに壁板一面に手書きしなくちゃいけないから、もの凄い手間とコストの掛かる構造よ。その手間の掛かる構造で建てられているという事は、ここで霊的な兵器の開発が行われていた証拠」
「なるほど……」
 それから僕らは研究所の奥へ進んだ。セキュリティ・システムの反撃など、建物の危険性に関しては楽観していた。先に侵入した兄が全て無効化しているはずだ。犬の遠吠とおぼえを受信していれば、僕らがここに来たことも知っているだろう。何かあれば返信が来るだろうし、それが無いという事は、このさき大した危険が無いと思って良い。
(兄貴が既にられていれば別だが、な)
 なぜか僕は兄の戦士としての能力に絶対の信頼を置いていた。
 この程度のセキュリティ・システムに兄が負ける訳がない、そう確信していた。
 奥のスチール扉を開くと、薄暗い廊下が伸びていた。主照明の電源は落ちているようだ。暗闇の中でボンヤリと光る非常灯だけが唯一の明かりだった。
 ジーディーに言って天井に明かりを当てさせて見る。思った通り、監視・攻撃カメラは全て破壊されていた。
 軍用犬のサーチライトを頼りに廊下の奥へ進む。
 中ほどにロッカーが何台か置いてあった。どれも鍵は掛かっていないようだった。それどころか全ての扉が開いていて、空気の僅かな流れにあおられてゆっくり動いていた。動く度に蝶番ちょうつがいがキーキー鳴っていた。
 ロッカーの中を見ると銃器保管用の棚が造り付けられていた。銃は一丁も無かった。
(研究所を放棄するときに職員が持って行ったんだな。住職の銃もここから盗んだものなのかも知れない)
 さらにロッカーをあさると、都合の良いことに上の棚から懐中電灯が出て来た。点けたり消したりしてみる。大丈夫、何とか使えそうだ。
 一本を左手に持ち、一本をサエコに渡す。
「これを持って。でも灯りは点けないで置いて。もし何らかのトラブルで僕の懐中電灯が駄目になった時に点けるんだ」
「わかった」
 サエコは僕の言葉にうなづいて、懐中電灯を受け取った。
「ジーディー、ライトを消せ」
 僕の言葉に、軍用犬はうなじから出ていた金属の蛇腹を体内に格納した。
 さらに廊下を奥へ進む。
 どうやら一階は居住区らしく、ベッドと机の配置された小さな寝室や、食堂、調理場などが並んでいた。一つ一つ扉を開けて見たけど、どの部屋も黴臭かびくさくてとても中に入る気にはなれなかった。
 突き当りに階段があった。公共施設などに良くある折り返し階段だった。上に昇る階段と下に降りて行く階段がある。
 どちらに行こうか迷う。
「どうしようか……」
 昇り階段と降り階段を交互に見た。
 ジーディーが地下へ続く階段の前に立ち、こちらを振り返った。まるで「こっちだよ」と行く先を示しているように感じた。
「コウジ……地下へ降りてみない? 私も何だか下の方が気になる」
 サエコの言葉に、僕はうなづいた。
 ジーディーに目配せをすると、軍用ロボット犬は一歩ずつゆっくりと階段を降りていった。僕らも後に続いた。
 降り階段はさらに下の階まで伸びていたけど、とりあえず地下一階まで下りて、ひと部屋ひと部屋さぐっていくことにした。
 階段のすぐ隣の部屋に入る。
 最初の部屋は町の青年会館にある小会議室程度の広さがあって、床に金属製の棺桶のような物が幾つも置いてあった。その棺桶様の装置から無数のパイプが這い出ていて、壁のコネクターに繋がっていた。
 装置の一つに近づいて、懐中電灯の光を当てた。
 ……驚いた。
 隣でサエコが息を呑む声が聞こえた。 
 棺桶の蓋に相当する部分はガラス張りになっていて、内部が見えるようになっている。懐中電灯の明かりに照らされて浮かび上がった、棺桶の中に入っていたものは……「ミイラ」だった。カラカラに干からびた人間の全裸死体。
 よく見ると乳房のようなものがある。チラリと股間を見た。女性の死体だった。
 部屋にある棺桶装置ひとつひとつに懐中電灯の光を当てて中身を確かめる。
 全て女性の死体だった。
 不思議なことにミイラ化した女性の死体のどれもこれも、体のどこかしらの部分が欠けていた。
 ある者は右腕を、あるものは左足を、また別の死体はわき腹がえぐりり取られていた。
「コウジ、これって……」
「ああ。
 手足を失ったり、胴体の所々をえぐり取られている様子が、きのう墓地で見たユキナさんの幽霊によく似ている。
 という事は、この中にユキナさんの死体があると言うのだろうか?
 僕は改めて一つ一つの死体の顔を(嫌だったけど)確かめていった。
 ミイラ化して顔かたちが判別不可能になっていたから確かな事は言えないけど、ユキナさんの死体はこの中には無いような気がした。
 ……そもそもユキナさんは町の総合病院で死んで、そのあと公営の火葬場で荼毘だびに付されたはずだ。ミイラだろうと何だろうと、こんな場所に死体がある訳がない。
「いったい、これは何なんだ? このひとたちは?」
「ひょっとしたら人体実験の犠牲者かも」
 サエコがゾッとした顔で言った。
「そうかもな。その可能性が大きい。この部屋はこれくらいにして、とりあえず次の部屋へ行ってみよう」
 いったん廊下に出て、隣の部屋に入った。死体は無かったけど、そこも何かの実験をする場所だという事は一目でわかった。壁に沿ってズラリと並んだ機械。中央に手術台のような物がある。手術台の真上の天井から大型の照明器具やレーザーカッターの類がぶら下がっていた。
 どの機械も電源が落ちていて、機能していないように見える。
 次の部屋も、その次の部屋も、置いてある機械や道具の種類はそれぞれ違ったけど、実験室という事は一目でわかった。たぶん、それぞれの部屋で実験する内容が違うのだろう。それぞれ目的に応じた測定器が入っているんだ。
 廊下の突き当り、階段から一番離れた部屋まで来た。
 扉が少し開いている。中に人の気配があった。
 ごくりとつばを飲み込んで、右手の拳銃と左手の懐中電灯を握り直した。
(中に誰かいる……)
 大丈夫、こっちは拳銃を持っているんだし、ジーディーも居る……そう思っても、なかなか入る勇気が出なかった。
「コウジだろ……」
 突然、半開きになった扉の向こうから僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
「入って来いよ」
 兄の声だった。