僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

死んでしまった住職と、死んでいる住職。

1、スカイハウンド

 単座式小型偵察ステルス・ホバー「スカイハウンド」は、人間が一人ギリギリ乗れるだけの空間を内部に有した小型の飛行兵器だ。ソナー探知音の反射面積を最小にするため、出来るだけ高さを押さえた平たい形状をしている。また、浮上装置および推進装置には逆位相干渉型アクティヴ・ディン・キャンセラーが搭載されていて、真上に来ないと気づかない程の静音飛行が可能だ。
 大戦末期に軍が極秘に開発した幾つかの実験機の一つだけど、量産・実用化される前に終戦を迎えてしまった。
 真っ黒なエイにも似た機体の少しだけ膨らんだ中央部がパシュウという空気音とともに開いた。
 天地の低いコックピットに収まるため操縦者はモーターサイクルに乗るようなつんい、というより腹ばいに近い姿勢で搭乗する。
 中の男がコックピットから立ち上がった。
 乗っていたステルス機と同じような、つや消しの真っ黒な戦闘服を着ている。頭にぴったりフィットしたヘルメットと多機能ゴーグル。防毒マスク。
 さっきまで玄関でひざをついていたヨネムスさんが立ち上がって、異様な黒づくめの男にレーザー猟銃を向けた。
「何者だ!」
 僕はヨネムスさんの声に重ねるように大急ぎで叫んだ。
「心配しないでください! 兄です! 兄の、サワノダ・リューイチです」
「リューイチくん、だって?」
 驚いて僕を見た。
「そうです」
 僕が答えると同時にスカイハウンドの操縦者が、ゴーグルと防毒マスクを外した。兄の顔が見えた。
「本当に、リューイチくんなのか……これは、いったい……」
「ヨネムスさん、あまり詳しい事は話せませんが、これは僕が軍隊を離れるとき密かに持ち出した兵器です。この装備も……」
 兄は黒づくめの自分自身を指さした。
「軍から……持ち出した?」
「正直に言いまして、合法ではありません。だから誰にも言わないでほしい。それより……」
 素早く敷地と道路を見回した。
「ヨネムスさん、奥さん、コウジ、サエコさん……それにジーディーも……全員無事か」
「無事だよ。でも、ヴァンが」
 僕は後部座席のドアをへこませて道路に放置された僕らのヴァンを指さした。
「まあ……しょうがないさ。誰も怪我けがをしなかったのなら、それが一番だ」
 兄は歩いて死んだ住職のそばへ行った。
「犯人は住職だったのか……でも何故なぜ……」
「うん……きっと謎を解き明かす鍵は山寺にあると思う。山寺の墓地の向こう……あの放棄された研究施設にあるんだ。そして僕とサエコが見た、ユキナさんの幽霊とも関係が……」
「コウジ!」
 兄の大声にハッとして、僕はヨネムスさん夫妻を見た。
 二人とも不審そうに僕を見ている。
(ユキナさんのお父さんとお母さんに本当のことを話すわけにはいかない)
 僕は思わず手で口をふさいだ。
 兄が片膝かたひざをついて住職の死体をあらためた。
「心臓に一撃。ヨネムスさんがやったのか。見事なものだ」
 妙に感心しながら、さらにコートのポケットを調べた。
 手がかりとなるような物は何も発見されなかった。
 兄が立ち上がって僕に言った。
「今から山寺へ行く。俺自身の手で真相を確かめる。……ただ……俺が調べている間、警察には山寺へ来てほしくないな……」
 そして玄関に立つヨネムスさん達の所まで歩いた。
「俺は山寺へ行きます。出来れば警察への連絡は二時間だけ待って欲しい。この姿も、あの空飛ぶ兵器の事も警察には知られたくないんです」
 ヨネムスさんはしばらく黙っていたけど、最後に決心したように言った。
「……わかった。二時間経ったら警察に連絡する。君のことも黙っておく」
「ありがとうございます」
 感謝の言葉を述べ、兄はスカイハウンドに乗り込んだ。
 ハッチが閉まり、浮遊兵器がゆっくりと上昇して行く。
 二十メートルほど上昇した所で一旦いったん停止し、山寺のある森の方に鼻先を向け、あっというまに加速して見えなくなった。
 気が付くとサエコが僕のそばに立っていた。
 住職の死体を見つめている。
「いったい、どうして……」
 サエコがつぶやいた。
 僕にも分からなかった。きのう墓地で僕らを見張っていたのが住職だったとして、一体それは何故なぜなのか。そして僕らを殺そうとした理由は何なのか。
 僕はふと住職の顔を見た。撃たれたときの衝撃で外れたのだろうか、サングラスが無くなっていた。
 両方の眼窩がんかに埋め込まれた機械の眼が夜空を見上げていた。
「そうか……」
 僕は玄関に立っているヨネムスさん夫妻に聞こえないよう、低い声でサエコに言った。
「兄貴の多機能ゴーグルには霊魂感応センサーも搭載されている……ひょっとしたら住職のあの義眼にも霊魂を感知する能力が備わっているんじゃないだろうか?」
 サエコが僕を見た。
「それは……有りうるかも。最新兵器の実験をしていた軍の研究施設で手術を受けてたとしたら、有りうる」
「だとしたらあの墓地でお経を読みながら……あるいは読経を済ませたあと、通路をに気づいていた可能性が高い」
「そして私たちの視線や挙動から、と感づいた?」
と住職の間には何らかの関係があり、何らかの理由での存在を他人に……僕らに知られる訳にはいかなかったんだ」
「だから私たちの口を封じようとした」
 それでも最後の疑問が残る。……ユキナさんの幽霊と住職は一体どういう関係だったのか。
「コウジくん、サエコさん」
 ヨネムスさんが僕らを呼んだ。
「真冬の夜中に何時いつまでも外に立っている訳にもいくまい。さあ、いっしょに中へ入ろう。残念ながら居間は滅茶苦茶めちゃくちゃに壊されてしまったが……台所でも何処どこでも、戸を閉めて暖房をつければ良い。少なくとも外に突っ立っているよりはだ」
「……そうですね。ありがとうございます。サエコ、ヨネムスさんの家に……」
 玄関に向かって歩きながらサエコを振り返ると、彼女は住職の死体の前で体を強張こわばらせていた。
(僕の声が聞こえなかったのか? いや、それは有りえないだろうけど……一体どうしちゃったんだ?)
 僕は戻ってサエコの肩に手をかけ、彼女の横顔を見た。
 驚きと恐怖を顔に貼り付かせて、サエコは住職の死体を見つめていた。
 ……いや、死体ではない……
 正確には雪の上に横たわった死体の真上を見ていた……何もない空間を……少し見上げるようにして。何かを見つめるサエコの表情に見覚えがあった。
(昨日とおなじだ)
 サエコが突然、肩に置いた僕の手を反対側の手でギュッとつかんだ。
 ふたたびに襲われた。彼女の手が触れた場所から電流のような痛みが腕を駆け上り、左右のはじけた。
 思わず両手で顔を覆う。
 痛みが引いて、顔から手を放し、閉じていた両目を開けた僕の目の前に……住職が立っていた。
(……そんな……確かに心臓を撃ち抜かれて死んだはずだ)
 足元を見た。
 住職は自分自身の死体の上に立っていた……いや良く見ると死体と足の間に少しだけ隙間が空いていた。
(空中に浮かんでいる?)
 赤くギラギラ光る眼が僕らをにらんでいた。機械ではなく、怪我をする前の住職自身の眼だった。
「サ、サエコ……これは……」
「そう。幽霊よ。肉体を離れた霊的な姿ヴィション
 獲物を狙う肉食獣のような目が僕ら二人をにらみ続けている。
 両方の口角がニューッと吊り上がり、顔じゅうに薄気味悪い笑みが広がった。
 次の瞬間、幽霊は物凄い速さで空へ舞い上がり、山寺の方角へ飛んであっという間に見えなくなった。
 思わずホッと息をいてしまった。
「に……人間は皆、死ぬとあんな風に幽霊になって飛んでいくのか?」
「ええ。まあ、そうよ。死んでから数十秒から数分後、霊魂と肉体は分離し始めるの。完全に分離してからしばらくの間は、自分自身の死体や遺骨の周辺をうろうろし続ける。まるで夢でも見ているような表情で、いま自分がどんだ状態かもわからず、ただ死んだ自分の肉体に縛られて、その周囲をまわる。……そういう状態が何日か続いたあと、この世界の重力から解放された霊魂は風船みたいにゆっくりと空へ昇って行く。どこまでも、どこまでも……高く」
「で、でも、そんな風じゃなかったぞ。あの住職は……ああ、いや、住職の幽霊は」
「そう。何かが。……あのゾッと凍り付くような眼。あの幽霊は普通じゃない」
 そもそも幽霊ってだけで普通じゃないだろう、と一瞬思った。
(普通じゃない幽霊、か)
「おーい、いつまでそこに居るつもりだ」
 ヨネムスさんが僕らに声を掛けて来た。
「さあ、中に入りなさい。君らは大丈夫でも、私ら年寄りは限界だ。これ以上外にいたら凍え死んでしまうよ」
 寒いのはコートを着ている僕らも一緒だった。
「ああ言っている事だし、とりあえず家に入ろう」
 僕はサエコに言った。
「待って」
 サエコが僕を引きめた。
「何か、引っかかる……あの住職の幽霊、やっぱり変よ」
「変、って言われても……」
 言いかけて、僕は息を呑んだ。
 大きな黒い瞳が僕を見つめていた。
 この瞳には、僕は絶対に勝てないだろうな……突然、そんな風に思ってしまった。こんな真剣な眼差しで何かを言われたら、僕は従うしかない。
 サエコが言った。
「悪い予感がするの」