僕とサエコ、十四歳のオッドヤークト町事件簿

決意。

1、研究所

 サエコと僕は、雪の積もった通路の先を見た。
 墓石と墓石の間を真っすぐ奥へ伸びる石畳の通路。その先には放棄された軍の研究所があった。薄汚れたコンクリ―ト打ちっ放しの四角い建物。
 確かな事は言えないが、ユキナさんは……ユキナさんの幽霊は、あの建物の中へ引きられて消えたようにも思える。
 サエコの顔は険しかった。鋭い目で研究所をにらんでいる。
「サ、サエコ……」
 僕が呼びかけると、彼女はハッとしてこちらを向いた。
「ユキナさんの幽霊とあの研究所のあいだには、何か関係があると思っているのかい?」
「分からない……けど、たぶん」
 サエコは小さくうなづいた。
「そうかも知れないな」
 はっきりとした根拠は無かったけれど、僕もそんな気がした。ユキナさんの幽霊はあの建物の方へ引きられて行った。
 しかし、そうだとしても、今の僕らに出来ることは無い。
「さあ、そろそろ駐車場へ行こう。みんなが待っているよ」
 言いながら、僕は振り返って本堂の方を見た。
 本堂の角から覗いていた誰かがサッと身を隠すのが見えた……ような気がした。
 サエコは研究所に未練のある様子だったが、僕の言葉に「うん……」と言って振り返った。その時には、もう人影は本堂の角から消えていた。
 こんどはサエコが僕を気にする番だ。
「どうしたの? コウジ?」
「あの、本堂の正面へ回り込む小道に、誰かいたような気がするんだ」
 言いながら指さす。
 サエコは、僕の指先の向こう、人影の消えた場所にジッと目をらした。
 巫女の能力で何かが分かるかもしれない……一瞬、そう思った。でも駄目だった。
「何も無いみたいだけど」
 僕は溜息ためいききながらサエコに言った。
「そうか……なら、良いんだ。僕の見間違いかも知れない」
 それから二人並んで、墓地の通路を下り、本堂を半周して正面に出た。
 三門をくぐると、兄もヨネムスさん夫妻も車の外で僕らを待っていた。
「遅いぞ」
 兄がボソリと言った。
「ごめん」
 サエコもヨムネスさん達の所へ走り寄って、しきりに頭を下げている。
 僕と兄はヨムネスさんに最後の挨拶をして、ヴァンに乗り込んだ。
「まったく、長々と何を話していたんだ?」
「うーん……ちょっと、ね」
「お前ら、まさか、神聖なる寺院の境内で不謹慎な行為を……」
「そんな訳無いだろ」
 後部座席の窓からヨネムスさんの車を見ると、サエコも窓からこちらを見ていた。
 目が合った。
 サエコの大きな黒い瞳が、一瞬、キラリと光った。

2、電話

 次の日、サエコから僕の家に電話があった。受話器を取った兄が部屋にいた僕を大声で呼んだ。
「おおい、サエコさんから電話だぞ」
 僕の家で電話機のある場所は居間と納屋の作業場だけだ。僕は、兄がソファでコーヒーを飲んでいるその隣で、サエコと話をしなければいけなかった。たぶん、ヨネムス家も似たようなものだろう。
 今までは、兄に聞かれて困るような内容の電話なんて無かった。まさか女の子から電話が掛かってくるなんて思ってもいなかった。でも、こうなると、お金持ちの家のように各部屋に独自回線が欲しくなる。いやむしろ大昔に存在した「携帯電話」とか言う便利な道具が欲しい、などと思いながら受話器を取った。
「はい。コウジです」
「私です。サエコです」
「やあ、おはよう」
「おはよう……あの……今日、会えないかな?」
 電話の向こうから聞こえる声色に、少し思いつめたような感触があった。
「ちょっと待って」
 僕は受話器を手で押さえて、居間のソファに座っている兄に、今日の午後ヴァンを使って良いか聞いた。本当は今日一日納屋で機械の修理をする兄を手伝う約束だった。兄は「仕方が無い。好きにしろ」といった風にうなづいた。
「午後1時半でどうかな? またヨネムスさんに迎えに行くよ」
「うん。ありがとう」
 話し終えて受話器を置いた僕に向かって兄が言った。
「修理の仕事が少し溜まっているからな。午後一時までは目いっぱい働けよ」
 僕はうなづいた。

3、ヴァンの中

 兄の言う通り機械修理の仕事は順調に受注を伸ばしていて、兄自身がさばける量を超え始めていた。
「これ以上来たら、断らざるを得ない」
 納屋の一角にある作業場へ向かいながら、兄が言った。
 当然、手伝いの僕の仕事量も相当なものだった。
 午後一時に「上あがって良いぞ」と言われた時には、既にへとへとに疲れていた。それでも約束に遅れる訳にはいかない。
 母屋に走って、台所で手を洗い、どんぶりにご飯をよそい、生卵二つを割って 醤油を垂らしてき込んだ。食べ終わったらすぐに流しでどんぶりを洗い、水切りかごに入れて二階の部屋に駆け上がった。作業ツナギを脱いでジーンズとシャツに着替え、ハーフコートとブーツを履いて玄関に向かった。
 外に出て庭に停めてあるヴァンに走りながら大声でジーディーを呼ぶ。
 駆け寄るロボット犬と一緒に車に乗り込み、行先を告げた。
 ヴァンが動き出す。一時十四分。ぎりぎり三十分直前にヨネムス家に到着するだろう。
「ジーディー、急いでくれ。絶対に一時半までにヨネムス家に行くんだ」
 ヴァンが少し加速した。
 軍用ロボット犬の体内には精巧な時計が組込まれている。ヨムネス家までの道のりから最適な速度を瞬時に計算したはずだ。
「ふう」
 やっと安心して、僕は背もたれに体を預けた。
 ジーディーの運転能力のおかげ、か、どうか……ともかく午後一時半少し前に到着することが出来た。
 呼び鈴を鳴らすとすぐにサエコが薄い緑色のコートを持って現れた。
 二人でヴァンの後部座席に乗る。
「どこへ行く?」
 サエコに聞く。
「うーん……」
 どうやら行先も決めていないらしい。つまり、僕と二人きりで話すのが目的で、車に乗って何処どこかへ出かけたい訳ではないのだ。
「ジーディー、町へ向かってくれ」
 とりあえず、町に到着するまでの時間に何か聞けるだろう。
 オッドヤクートへ続く雪道を走り出してから数分後、ようやくサエコが話し始めた。
「私……ユキナさんを助けようと思う」
「え?」
 さすがに驚いた。
「ユキナさんの魂を助けようと思う……ユキナさんの魂は助けを求めている。苦しんでいる」
 前日の、墓場での光景を思い出した。
「そりゃ、まあ、そうだろうな……ユキナさんの姿からは苦しみしか感じられなかったよ」
「それを目撃してしまった者として、見過ごせない。私には見過ごす事が出来ない」
 静かな声だったけど、何があっても絶対やり遂げる、という固い意志を感じた。
「私は望んで巫女みこになった訳じゃない。霊的能力なんて欲しくなかった……でも軍の兵器開発局によって、眠っていた能力を無理やり起こされた」
 サエコは視線を下げて、へそのあたりで組んだ自分の両手を見つめた。
「巫女の能力は、今では私自身の一部になってしまった……良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、軍がどうのこうのとか、今さらそんな事を言っても始まらない。とにかく私は巫女であり、巫女の能力と私を切り離すことは、もう出来ない。だったら、私は自分の能力を私自身が正しいと思う事に使いたい」
 僕は何と言って良いか分からず言葉を濁した。
「そ、そりゃあ、まあ、誰だって……そう思うと思う……かな?」
 サエコが顔を上げ僕の方に顔を向けた。大きくて綺麗きれいな黒い瞳が、切なそうに僕を見つめた。
「コウジ……お願い……私を助けて」
「え?」

 答えに詰まって、サエコの顔を……可愛くて、瞳が綺麗きれいで、切なげに僕を見つめるサエコの顔を見返すしかなかった。
 今ここで……
 今この瞬間……
 オッドヤクートの町へ向かうジーディーの運転するヴァンの中で、サエコに何と答えるか? それによって僕の一生が決まってしまうような気がした。まだ十四歳なのに。婚約者を持つというのは、こういう事か。
 僕は目を閉じた。
 大きく深呼吸。
「あのさあ、サエコ……」
 ゆっくりと、ひと言ずつ、自分自身で確認するようにして僕は言った。
「そんなに近くで僕を見つめないでくれよ」
 今度はサエコが「え?」という番だ。
「そんなに近くで、そんな綺麗きれいな目で見つめられたら、サエコを抱きしめる以外、何にも考えられなくなっちゃうだろ」
 サエコが、パッと、後部座席のベンチシートの反対側の隅まで離れた。
 頬がピンク色に染まっている。
(……ふう……セーフ……)
 息のかかりそうな距離でこれ以上あの綺麗きれいな瞳に見つめられたら、本当にどうにかなってしまいそうだった……けど……何とか耐えられた。
「僕はサエコの婚約者で、サエコは僕の婚約者だ」
 間違えるな。言うべきことを間違えるな。
「つまり、僕はサエコの未来の旦那さんで、サエコは僕の未来の奥さんという事だ」
 サエコが小さくうなづいた。
「だから、二人は出来る限り協力すべきなんだ。どんなことでも。たとえそれが命がけの行為だったとしても」
「じゃ、じゃあ……」
「それに今サエコに言われて、僕自身の考えが変わったよ。正直、最初は見なかったことにして済まそうかとも思ったけど、やっぱり、それは僕にとっても正しい選択じゃない。僕も、自分が正しいと思ったことをする。ユキナさんを助ける」
 墓場でを目にした瞬間からずっと思いつめていたサエコの顔に、やっと少しだけ明るさが戻った。
「ありがとう」
「……ただし、条件がある。
 サエコが今日二度目の「え?」という顔になる。
「まさか……そんな……お兄さんまで巻き込むなんてこと……」
「理由は二つある。……第一に、僕にサエコを助ける権利と義務があると言うのなら、兄貴にはユキナさんを助ける権利と義務がある。……第二に……