映画「エイリアン: コヴェナント」を観た
映画「エイリアン: コヴェナント」を観た
U-NEXT にて。
脚本 ジョン・ローガン、ダンテ・ハーパー
監督 リドリー・スコット
出演 キャサリン・ウォーターストン 他
「プロメテウス」に続いて、2作連続で観た。
前作に対する 私の感想記事 と合わせて読んで欲しい。
ネタバレ注意
この記事にはネタバレが含まれます。
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感想
良い所・悪い所、両方ある映画だったが、トータルとして割と楽しめた。
以下、つらつらと書いていく。
良かった所その1、ビジュアルで魅せる世界観
前作「プロメテウス」の感想記事にも書いた事だが、とにかくこの監督の最大の魅力は、緻密に作り込まれた背景、宇宙船、古代遺跡、コスチュームなどのデザインだ。
これら大道具・小道具を、映画では「美術」と総称するが、まさに美術館を巡っているような気分に浸れる。目の保養になる。
とくに今回は、後半に出てきた異星人の文明の廃墟が良かった。
良かった点その2、「チュピピピ」音が無かった
これまた前作の感想記事に書いた事だが、常々わたしは、未来SFに登場するデバイスが、何かというと「チュピピピ」音を鳴らすのは如何(いかが)なものかと訴えて来た。
前作の「プロメテウス」で、宇宙船ブリッジ・クルーが透明な画面を操作するたびに、デバイスが「チュピピピ」と音を鳴らす演出に辟易(へきえき)させられた。
今作では、その部分が見事に修正されていた。
その代わりに、現代の航空機にも採用されている「プー、プー、プー」というビープ音を警告に使っていた。
わたしは、こちらの方が好みだ。
タッチパネル主体だった前作の宇宙船に対し、今作では殆(ほとん)どの操作を物理スイッチで行っていた。
このあたりも好感が持てる。
その一方で、宇宙船のインターフェースに関して、前作と今作の間で統一感が失われてしまったのは残念だ。
今作「〜コヴェナント」は前作「プロメテウス」の10年後という時代設定だが、更新されたデバイスの描写によって、逆に船のテクノロジーが退化しているような印象になってしまっている。
この辺は、痛し痒しだ。
良かった点その3、バッド・エンディング
エイリアンに勝って、めでたし、めでたし。
……で終わらなかった点は良かった。
やっぱり、ホラー映画はバッド・エンドの方が収まりが良い。
イマイチだった点その1、宇宙船乗組員のアホさ加減
これに関しては、おそらく9割以上の観客が同意してくれると思うので、あえて多くは語るまい。
まあ何しろ、あらゆる判断がシュールなまでに愚かしい。
ひょっとしたら作り手はギャグのつもりでやっているのかも知れないが、白けた。
イマイチだった点その2、デビッドのキャラクター造形
2作続けて登場したアンドロイド・デビッド。
前作では得体の知れなかった彼の人物造形も、いざ蓋を開けてみれば、
「禁断の科学で新たな生命を創造する、神さま気取りのマッド・サイエンティスト」
という、もう何番煎じだよってくらいに手垢のついたものだった。
な〜んだ、結局、その程度か。
イマイチだった点その3、異星人の描写
前作は、ショウ博士とデビッドが異星人(エンジニア)の本星へ乗り込んでいく所で終わっていた。
遥かに進んだ科学力と文明を持つエンジニア本星の描写を楽しめるかと思ったら、あっけなく全滅。
あ、そこに対する興味は別に無いんだね、っていう。
イマイチだった点その4、クライマックスのアクション
これに関しては、積極的に「悪い」と評するほどではない。
わりと良く出来ていると思う。
ただ「わりと良く出来ている」の域を出ていない。
及第点ではあるが、飛び抜けて素晴らしいという程でもない。
そして、長い。
誰が観たって、結果は分かりきっている。
「どうせ良いもん(主人公)が勝って、悪もん(エイリアン)が負けるんでしょ」と。
なのに、長い。
エイリアン優勢→主人公優勢→エイリアン優勢→主人公優勢……この繰り返し。
うろ覚えだが、昔、ビートたけしが週刊誌で映画批評をやっていた頃、「ダイハード2」を評して「11点対12点の野球みたいで、つまらない」と書いていた(と、記憶している)
今作のクライマックス・アクションを観ながら、私も同様の気持ちになった。
逆転につぐ逆転劇も、度が過ぎると退屈する。
イマイチだった点その5、銃について
現代(2022年)のアメリカ軍が実際に制式採用しているM4自動小銃を、「〜コヴェナント」の乗組員たちも使っていた。
wikipedia によると、時代設定は2104年。
今から80年以上も未来の話だ。
銃のライフ・サイクルは意外に長いから、80年後もM4あるいは類似のAR系自動小銃が現役である可能性もゼロではないだろう(なかなか考えづらい事ではあるが)
しかし一方で、前作「プロメテウス」の乗組員たちが持っていた拳銃の銃口からは、発射時に青白い電気スパークのような火花が飛んてきた。
これは、その時代の拳銃が、何らかの電気的な発射システム(例えば超小型レイルガンのようなもの)で作動しているという表現だ。
もちろん、そんなものは実在しない。
架空の銃を登場させる事で、科学技術の発達ぶりを表している訳だ。
銃の表現に関して、前作「プロメテウス」と今作「〜コヴェナント」の間で、時代設定の逆転現象が起きている。
ふたたび世界観について
リドリー・スコット最大の魅力は、未来のSF世界をビジュアルで魅せる手腕だと、改めて思った。
その一方で、この監督さん、「世界観そのもの」には興味が無いんだな、とも思った。
架空の別世界を「ビジュアルで見せる」事こそが彼の興味であり、その世界の成り立ちとか、社会システムとか、科学技術レベルとか、そういう『設定』としての世界観には興味が無いんだな、と。
あくまでビジュアルの人であり、言葉の人ではないんだ。
私も架空の別世界物語は大好きだ。
映像作品であれば、架空世界の景色を壮大なビジュアルで見せて欲しいと思う。
さらに私は、その世界が、考え抜かれた緻密な設定(世界観)に沿って構築・運営されている事を望む。
画面には一度も映ったことのない、登場人物のセリフの中にしか存在しない『ミノフスキー粒子』という言葉に、誰よりもワクワクするタイプなんスよ、自分。