映画「プロメテウス」を観た
映画「プロメテウス」を観た
U-NEXT にて。
脚本 デイモン・リンデロフ、ジョン・スペイツ
監督 リドリー・スコット
出演 ノオミ・ラパス 他
ネタバレ注意
この記事にはネタバレが含まれます。
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ひとこと感想
1年に1回か2回、無性(むしょう)に宇宙へ行きたくなる。
近頃、その病気が再発した。
ああ、はるか遠くの惑星にワープしたい。
キンドルの小説やら映画配信サービスやらを漁って「エイリアン・コヴェナント」に行き着いた。
しかし、ここで問題が発生。
前作「プロメテウス」は何年も前に鑑賞済みなのだが、大雑把な記憶しか残っていない。
うろ覚えの状態で「〜コヴェナント』を観たら、話についていけないかも知れない。
予習(復習)するつもりで、もう1度観ておく事にした。
結果、ストーリーに関しては、だいたい記憶の通りだと確認できた。
ビジュアルで魅せる世界観
今回あらためて鑑賞して、風景描写・大道具・小道具のセンスの良さに感心した。
はるか宇宙の彼方にある惑星の雄大な自然、未来の宇宙船、そのインテリア、乗組員の宇宙服、未来のオフロード車、異星人の古代遺跡などなど。
隅々まで良く行き届いたデザインで、人類・異星人それぞれに統一感がある。
風景・建物・服装デザインの緻密さで別世界を作り上げるセンスが、他のハリウッド監督たちと比べても、頭ひとつ抜きん出ている。
- 「エイリアン」→未来の宇宙船や惑星
- 「ブレードランナー」→退廃的な近未来
- 「ブラックレイン」→80年代アメリカ人から見た異世界としての日本
- 「グラディエーター」→古代ローマ
「世界観」をビジュアルで魅せる力こそが、リドリー・スコット監督の最大の武器だ。
ストーリー
「エイリアン」に限らず、映画のシリーズ化はマンネリとの戦いだ。
「観客がシリーズに期待する定番要素をしっかりと提供しつつ、それ以外の付加価値で勝負する」
これが2作目以降の制作者に課せられた使命だ。
シリーズが進めば進むほど「それ以外の付加価値」の比重が高くなり、いつしか、
「むしろ付加価値の部分こそがメイン・テーマです。それこそが監督の本当にやりたかった事です」
という逆転現象が起きる。
その頃には、ファンも作り手も、定番要素に対し半ば興味を失っている。
定番要素は、各方面への単なる義理立てに過ぎなくなる。
エイリアン・シリーズに於(お)ける「観客が期待する定番要素」は、
「宇宙船という閉鎖空間の中で、謎の生命体の手にかかり、一人また一人と乗組員が殺されていく」という手続きだ。
本質的には、「そして誰もいなくなった」「13日の金曜日」に代表される「雪山の山荘もの」「キャンプ場の連続猟奇殺人もの」の一種と言える。
この定番要素をしっかり押さえつつ、続編の監督は「それ以外の付加価値」で腕を競う。
今回、再登板したリドリー・スコット監督が目指した付加価値(メイン・テーマ)は、「宇宙を舞台にした人類創世神話」だろう。
「我々は何処(どこ)から来て、何処へ行くのか」という問い。
あるいは、子(=人間)から親(=神)への、「なぜ私を産んだのか?」という問い。
劇中で繰り返される「親と子」のモチーフも、そのテーマに沿っている。
感想
風景・遺跡・宇宙船(外観・船内)・コスチュームの描写はセンス良し。
「人類創生神話」が今回のテーマである事も分かった。
しかし映画全体の印象が、ちょっと薄い。
「創世神話」を目指した割には、叙事詩的な壮大さが足りないと感じた。
今回の新シリーズは3部作の予定だったらしい。
まだ第1章、というよりプロローグなのか。
コース料理で言えば前菜。
メイン・ディッシュは次作以降、食い足りないのはご勘弁、という事だろうか?
気になった点その1、ガイ・ピアース
この物語は、徐福伝説などと同じ「不老長寿の妙薬を求めて旅する話」でもある。
「徐福に命じ、不老長寿の薬を探させる秦の始皇帝」に相当する役どころとして、ウェイランド社の老いた社長が登場する。
これを当時45歳のガイ・ピアースが演じている。
死を目前にした老人の役に相応(ふさわ)しい年齢の俳優を起用せず、わざわざ中年の俳優に特殊メイクをほどこして演じさせたのは、なぜだろう?
ひょっとして初期の脚本には「老いた社長が若返る」展開でも有ったのだろうか? などと勘繰(かんぐ)ってしまう。
気になった点その2、画面タッチでチョピピピピ
本作品の未来描写に関して、全体的には良く出来ていると思う。
唯一残念だったのは画面タッチで「チョピピピ」と音が鳴る、宇宙船の各種デバイスの描写だ。
透明のスクリーンに、あるいは何も無い空中に浮かび上がる文字や図形、それをタッチしたりスワイプしたりする度(たび)に鳴る「チョピピピ」
安易で、有りがちで、わざとらしい。
本作品に限らず殆(ほとん)どのSF映画が今なお、この描写を採用している。
早急に改めて欲しい。