映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」を観た
Amazon Video にて。
脚本 根元歳三
監督 安彦良和
出演 古谷徹 他
ネタバレ注意
この記事にはネタバレが含まれます。
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ひとこと感想
ガンダムを、それも初代ガンダムの1エピソードを安彦良和が映画化したとなれば、全国のガンダムおじさん達が一斉に冬眠から目覚めて熱い議論を闘わせるは世の必定。
賛否両論のようだが、賛辞であれ否定であれ、歴戦の勇者たちが熱く語る姿の何と頼もしい事よ。
これを最後に、安彦良和はアニメ監督業を引退するらしい。
カリスマ社長と映画監督の引退宣言ほど当てにならない物も無いが、まずは「おつかれさま」と言いたい。
私は筋金入りのガンダム・マニアではないけれど、ファーストは大好きな作品の1つだ。歴史的な名作だと思う。
さて、本作品に対する私の感想だ。
「賛と否の両方があるけど、否の方が多いかな」というのが正直なところだ。
映画を見終わって、心の中で色々と反芻しているうちに、言いたいこと(書きたいこと)がブワーッと山ほど出て来てしまい、こりゃブログ記事に書いたら1万字でも足りないぞ、と自分で自分が怖くなった。
やっぱ観ると語りたくなっちゃうんだよな。ガンダムって。
今回は敢(あ)えて抑制ぎみに、思うままつらつら書いて行きたい。
クラシカル
演出・話の運び方が、とてもクラシカルだと思った。
初代ガンダムが放映され映画化された1970年代後半から80年代前半くらいまでの日本のアニメ映画の感触だ。
全編を通じてクラシカルな感触なのだが、とくにラスト・シーンはザッツ80年代という感じだった。
空を飛ぶホワイトベース、見上げる孤児たち、舞い上がる鳥の群れ、森口博子のバラード曲、エンド・ロールの背景に挿入される後日談イラスト。
ああ、こりゃ、本当に引退する気なんだな、と思った。
何だか、安彦のアニメ人生、映画人生の総決算のような気がした。
時代劇
敵役であるジオン軍サザンクロス隊が、舗装もしていない駐屯地の道を歩くシーンがある。
彼らが喋りながら歩く姿を俯瞰で映している。
この俯瞰カットを観たとき「あっ」と思った。
「あっ、これ時代劇や」と。
連邦軍とジオン軍が戦う「1年戦争」のモデルは、もちろん連合軍とナチス軍が戦った第二次世界大戦だ。
しかし本作に限って言えば、サザンクロス隊の振る舞いは第二次世界大戦のドイツ兵というより、戦国時代劇の野営地を歩く足軽のように見えた。
そしてクライマックスのドアン対サザンクロス隊、ガンダム対サザンクロス隊は、もろに時代劇ヒーロー対やくざ衆の闘いだった。
ネット上で感想を漁ったら、
「サザンクロス隊が集団で一斉に攻撃せず、わざわざ一騎ずつバラバラに闘いを挑んだのは、何故だ?」
という疑問がチラホラあった。
当たり前だ。
これは第二次世界大戦以降の近代戦ではなく、時代劇のチャンバラの再現なんだから。
最後の二刀流ビームサーベルのガンダムとザクの闘いなんか、もろ巌流島の宮本武蔵対佐々木小次郎だ。
「宇宙でチャンバラをやる」というのは、もともと初代ガンダムが持っていたコンセプトの1つだが、この「ククルス・ドアンの島」では、モビルスーツ・アクション・シーンに於いて、その傾向が極端に強まっている。
この極端なまでの時代劇っぽさは何処(どこ)から来るのだろうか?
おそらくこれも、安彦最後の監督作品・映画人生の総決算である事と関係している。
彼が少年時代に観た時代劇映画・チャンバラ映画への想いを、この最後の作品に投影したのだと思う。
出演者
40年以上の時を経て再び16歳のアムロを演じた古谷徹、カイを演じた古川登志夫の年月を感じさせない若々しい演技は流石(さすが)だ。
ブライト・ノア役を受け継いだ成田剣とマ・クベ役の山崎たくみも、ファーストの鈴置洋孝・塩沢兼人の声にピッタリとフィットしていた。
もちろん、配役が変わったとしても、声質が違っていたとしても、それはそれで監督と演者が新しい解釈を作り上げて行けば良いとも思う。
ジェームズ・ボンドやスパイダーマンを例に出すまでもなく、シリーズが長くなれば配役の変わる日は必ずやって来る。
あとがき
上で述べた通り、本作に対する私の評価は賛否で言えば、だいぶ否の方が多い。
今回は軽めの記事に仕上げたかったから、あえて否定的な意見は書かなかった。
徐々に、確実に、世代交代は進む。
40年以上の時を経て「機動戦士ガンダム」は巨大IPに育った。
その最初の種を蒔いた人たちが、1人また1人と引退していく。
後を継いだ若い人たちに願う。
この巨木を慎重に、しかし懐古趣味に陥る事なく、未来に向けて育てて行って欲しい。