青葉台旭のノートブック

「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人」を読んだ

「クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人」を読んだ

作 西尾維新

ネタバレ注意

この記事には『クビキリサイクル』と『クビシメロマンチスト』のネタバレが含まれます。

ネタバレ防止の雑談

最近、ライトノベルについて勉強し直そうと思って「ライトノベル・クロニクル 2010−2021」という本を買って読んだ。

ライトノベルというジャンルについて、こんな言葉があった。

「読み継がれる名作」がほとんど存在せず、時事風俗として流れていく。

ライトノベル業界にとって重要なのは「今年の大ヒット作品」だけだ、「10年前に大ヒットした作品」には何の価値も無い、10年前のヒット作に興味を持って読み始める新規の読者は居ない、という意味だ。

もちろん、かつて大ヒットした作品が長期シリーズ化して10年後も新刊が発行されるというのは良くある話だろう。
しかし、その長期シリーズの新刊を誰が買うのか、誰がそのシリーズを支えているのかといえば、かつて全盛時代に中学生・高校生だった少年たちだ。
10年経てば彼らも10年分、歳を取る。
その一方で、現在の中学生・高校生が、10年前のヒット作に興味を持つことは稀(まれ)だ。

ところが、10年以上前に刊行がスタートしたシリーズにもかかわらず、現在でも新規に中学生・高校生の読者を獲得し続けている『モンスター』作品が二つだけあるらしい。

ひとつは「ソードアート・オンライン・シリーズ」

そして、もうひとつが西尾維新の「物語シリーズ」

そこで、この二つのシリーズの1巻を読んでみて、中高生たちに支持され続けている理由を探ろうと思った。

ウェブで検索してみると、西尾維新に関しては「物語シリーズ」以前に「戯言シリーズ」という作品を書いている。
そっちがデビュー作らしい。

さらに調べていくと、第2巻『クビシメロマンチスト 人間失格・零崎人』を最高傑作とする記事がチラホラと有る。

そんな前情報を元に、まずは戯言シリーズの第1巻・第2巻を読んでみることにした。

以上、ネタバレ防止の雑談でした。

以下、ネタバレ。

ひとこと感想

こういう作風が一部の少年たちを熱狂させるというのは納得できる。

しかし、私には合わなかった。

正直に言って、読むのが苦痛だった。

とにかく、厭世的で自己憐憫的で気障(キザ)な主人公が、ウザい。

しかも、語りが一人称だ。
最初のページから最後のページまで延々と、ウザい主人公の自分語りに付き合わされる。
読むのが、つらい。

そのウザい主人公の自分語りを我慢して2巻の終わりまで読み進めてみた。

すると『ウザいだけの主人公も、ここまでウザさを極めたなら、ご立派だ』という、ちょっとした感動を味わえる。
これが、本シリーズの第2巻が評価されている理由だろう。

ただ、その感動にしても、文庫本2冊分ウザい主人公に付き合わされた対価としては、割りに合わないと思ってしまった。

こういうキャラクター設定は、主人公よりも敵役にこそ相応しいだろう。
例えば、『ジョジョの奇妙な冒険』なら、最後の最後で承太郎に『オラオラオラッ』とタコ殴りにされてフッ飛ばされる役回りだ。
それなら、ウザさに付き合ってきた読者もスカッと出来るから、エンターテイメントとしての帳尻が合う。

次は「物語シリーズ」の第1作「化物語」上・下巻に挑戦する。

2021-09-14 11:15